第6話「行きましょうか、雑貨屋さん」
「いやー、美味しかったですね」
店から出ると、平岡が膨れた腹に手を置いて満足げに言った。
「ほんとほんと。量もちょうど良かったです。また行きましょうよ!」
四人は行きと同じ構図で会社に戻っていた。目黒と平岡は、研也と山田の前で感想言い合っている。
「杉森さんは、明日はお弁当ですか?」
山田が前の二人に目を向けたまま聞いてきた。
「はい、忘れなければですけれど」
「ふふ、意外とおっちょこちょいなんですね」
どうやら自分は真面目な雰囲気で通っているようだ。食事中に平岡にそんなことを言われ、それには目黒も山田も賛成のようだった。研也は自分の性格にいまいちピンとこない。真面目な雰囲気に見えるのは、このメガネのせいではないだろうか。コンタクトのほうが何かと都合が良いが、タイミングを見計らっているうちにもうこんな歳である。
「そういえば、杉森さん。来週は娘さんの誕生日だと仰っていましたね」
山田はさっきの昼食中の会話を思い出したらしい。
そう、来週は真琴の誕生日だ。ケーキなどを買うささやかなパーティーは、妻が亡くなってからほとんど行わなくなってしまった。真琴ほどの歳になると、誕生日は友達と過ごすことのほうが多いイメージだが、せめてプレゼントは考えなければならない。
しかし、年頃の娘の欲しいものが研也には予想できなかった。毎年考えた末に、デパ地下のスイーツを買うことになっている。
「最近の子は何だと喜びますかね」
研也はまっすぐ前を向いて聞いてみた。平岡と目黒がふざけあって仲睦まじく笑っている様子が見える。
「最近の子っておしゃれですからねー。お化粧とか、小学生からするそうですよ」
「えっ、本当ですか?」
最近の小学生はそんなにませているのか。すれ違う小学生は居ないかと視線を巡らせたが、昼時に学外に出る子どもなどそうそう居ない。
娘が欲しいもの。もし妻ならば、それを簡単に当てられるのだろうか。仕事に向き合いすぎた父親への罰なのか、これは。
「真琴ちゃんはお化粧はしますか?」
「どうでしょう......」
彼女の部屋になどほとんど入らない。化粧道具が置かれているかは知らないのだ。洗面所にはそれらしいものが置かれていた記憶はない。昔は妻のものが並んでいたが、亡くなったあとは処分してしまった。
空っぽになった洗面所の様子を眺めていると、山田が「そうだ」と手を合わせてぱちん、と音を鳴らした。
「私、最近近くに雑貨屋ができたのを知っているんです。そこで一緒にプレゼントを選びませんか?」
「え? 一緒に?」
思わず足を止めそうになる研也に、山田は「はい」と頷く。
「さっきのお礼をさせてください。あ、嫌なら、場所だけでも......」
と、少し悲しげな顔をする山田に、研也は慌てて言った。
「いや、ありがとうございます。いいですね、雑貨屋さん。一緒に行きましょうか」
せっかくの提案を蹴っては申し訳ない。それに、こんな中年のおじさんよりも山田のほうが女子高生の欲しいものを心得ているに違いない。
研也の回答に、山田は嬉しそうに頷く。その表情を見てホッとし、研也はいつの間にか離れていた前の二人に追い付こうと早足になる。山田もそれに合わせて足を速めた。
「お店、今日の帰りに行きましょうよ」
「いいですね。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
仕事場の人間とこれだけ長く話をしたことは、今日が初めてかもしれない。
真琴が欲しいものが、その雑貨屋で見つかると良いのだが。
朝の素っ気ない会話を思い出しながら、研也は職場のあるビルの扉を潜った。
*****
仕事が終わった後輩が次々とオフィスを出ていく中、研也は熱心に資料作りをしていた。集中していたのか、彼はオフィスの中で山田と自分以外の全員が帰っていたことに気づかなかった。
顔を上げて、がらんとしているオフィスにぎょっとする。奥の方は電気も落ちているが、一か所だけぼんやりと明かりがついている。
「山田さん」
研也が声をかけると、彼女はパッと顔を上げて此方を見た。
「すみません、もうこんな時間ですね」
研也は彼女を待たせていたのだと思って謝った。時計を見ると20時を回ろうとしていた。自分でも集中力の高さに驚かされる。
「いえ、大丈夫ですよ。私もなかなか終わらなくて。杉森さん、集中しているようでしたし。静かで捗っちゃいました」
明るい声でそう言われて、研也は胸を撫でおろす。
荷物をまとめて席を立つと、山田も鞄を持ってやって来たところだった。
「行きましょうか、雑貨屋さん」
山田が近くに来るや否やそう言った。研也は思わず「え?」と返す。
「え、って。お昼に話したじゃないですか。まさか、忘れちゃいましたか?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて顔を覗き込む山田に、研也はいや、と首を横に振った。
もうこんな時間である。雑貨屋だったらもう閉めるか、既に閉まっている頃だ。
「お店、開いてないですよね」
「いえ、開いていますよ」
思わず聞き返した。
「開いてる......? もうこんな時間ですよ?」
もう一度時計を見るが、やはり20時だ。二人はオフィスを出て、廊下の窓を施錠しながら外に出た。
「そのお店、23時まで営業しているそうなんです。この前看板が出ていましたからね」
「23時ですか......」
そんな時間に客など入るものだろうか。女子中高生を対象にしている店だとしたら、そんな時間では誰も来ないような気がする。
「すごいお店ですね」
「ええ、本当です。そんな時間までやっていると、ちょっと怪しい感じがしますよね。でも、今の時代にはその怪しさが必要なのかも。お客さんを呼び寄せる良いスパイスになるとか?」
山田の声は何処か弾んでいた。
外に出ると、冷たい風が二人に襲い掛かって来た。スーツだけでは凌げない寒さがある。山田も隣で身を縮こませていた。
「風邪ひいちゃいそうですね。早足で行きましょうか」
迷うことなく歩き出す彼女に研也はついていった。
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