お父さんは、魔法少女。
砂肝命
プロローグ
時計は11時54分を指している。
春の陽気が差し込むオフィスの中は、騒がしくもなく、かと言って静かでもない。程よい雑音の中で人々は仕事に勤しんでいた。
デスク周りで、そのデスクの主がどんな人物かはよく分かる。散らかっているもの、整理されているもの、好きな歌手のグッズで彩っているもの、小さなフィギュアを並べているもの。
カツン。
二十代後半だろうか、髪を明るい茶色に染め、耳にはピアスの穴が空いた、そんな男のデスクの飾り棚からフィギュアが落ちた。男がデスクの引き出しを閉めた振動が原因らしい。
そのフィギュアは、隣のデスクの上に転がった。
持ち主の若い男が「あっ、俺の
それは、二頭身の少女のフィギュアだった。ウェーブのかかったクリーム色の髪、碧眼、目元には涙ぼくろを持ち、フリルをあしらったミニドレスに身を包んでいる。小さな手を後ろで組み、柔らかい笑みを顔に浮かべていた。
そんなフィギュアは、転がって行った先のデスクの主の指にそっと摘まれた。
「はい、どうぞ」
それは、フィギュアの持ち主より遥かに年上の男だ。
歳は43か44だった、と若い男は記憶している。きっちりとネクタイを締め、黒縁のメガネにはホコリひとつ付いていない。デスク周りもきちんと整理されていて、良く言えば清潔感があるが、悪く言えば面白味に欠ける。
「ありがとうございます、杉森さん」
若い男の手にフィギュアが渡った。傷が付いていないか、丁寧に確認する。髪、頬、手、スカート、足......。
大丈夫だ、と若い男は満足し、フィギュアを棚に戻した。棚にはその他、様々な二頭身のキャラクターのフィギュアが置いてある。そのどれもに共通する点は、「少女」であることだった。
「いつも思いますが、すごい量ですね」
挨拶だけでは物足りなさを感じたのか、隣の男がもう一度口を開いた。
若い男は、そう言えば、と思い出す。
この席に移動して、彼と言葉を交わすことなどほとんど無かった。いつも何処か話しかけづらい雰囲気を醸し出していて、少しおちゃらけた自分には接点が無いと感じていたのだ。
そんな男がフィギュアについて触れてくるということが、若い男にとっては意外に思えた。
それと同時に、この汗水垂らして作った渾身のコレクションについて話せる機会が、とても嬉しかった。
思わず声が上ずる。
「でしょ、俺の可愛い魔法少女たちですよ」
「魔法少女?」
若い男の言葉に、メガネの男は首を傾げる。
「へ、杉森さん、知らないんですか?」
若い男の声が今度は裏返った。
まさか、あれだけ話題になっているというのに耳に入らないことがあるだろうか。
「ほら、ニュースでめっちゃやってるじゃないですか。人々のピンチに何処からともなく現れて、颯爽と助けていく......この前のだって、凄かったんですよ。電車の脱線事故も、船の沈没事故も......みんな魔法少女が助けてくれて、誰も死ななかったんですから」
若い男が興奮した様子で口を動かすのを、メガネの男は「そうなんだ」と頷いて聞いていた。物凄く食いついてくるわけでもないので、やはり真面目な男なのだろうな、と若い男は思った。高まった熱を冷まそうとしたが、
「そう言えば、前に駅前の広場で人だかりが出来ているのを見ましたよ。あの子たちのことだったのかな」
と、メガネの男が再度口を開いた。若い男の熱がまた戻った。
「うわっ、うわっうわっ! 杉森さん、あの場に居たんですか!? いーなー、いーなーっ!! 俺、その日急用で行けなかったんですよー!!」
男の声がさっきよりも大きくなった。心做しか、喋るスピードも上がっている。
「たしかあの場に居たのって、
男の声がオフィス内に響いている。語り出したら止まらないことを知る者は「またやってる」と隣の人に耳打ちし、知らない者、作業に集中していた者は煩わしそうに冷たい視線を投げてきた。
「小松田さん......」
杉森と呼ばれたメガネの男は、魔法少女トークに火がついた彼を何とか宥めようとした。
すると、ちょうどよく昼食休憩を告げるチャイムの音が鳴った。
オフィスに漂い始めていた空気に安堵の色が混じる。昼休憩になら、いくら喋っていても怒る者など誰もいない。迷惑がる者だって。
「あ、もうこんな時間ですか」
チャイムの音を聞いて、小松田と呼ばれた若い男がピタリと話すのを止めた。
「やー、やっぱり良いですよ魔法少女。杉森さんも一人くらい推しを作ったらいいのに」
「推しですか」
「そうそう! あ、でも鈴茂ちゃんはダメですよ! 俺のものですから!」
小松田はそう言ってうっとりした視線を、あの落としたフィギュアに向けた。
「その子が好きなんですね」
「そうですよ、強いし可愛いし......ファンサービスが豊富なんです! あ、前にネットに上がってた動画見ます? 身悶えしますよ!?」
そう言って片手に弁当、片手にスマホを持った小松田に、杉森が苦笑いを向けていると二人の後ろから声がかかった。
「杉森さん、今日時間あります? 一緒に飯食いましょうよー」
声をかけてきたのは、杉森と小松田のちょうど真ん中辺りの歳の男だった。窓際の席で仕事をしているためか、日差しが暑いのでジャケットは脱いでシャツだけになっていた。
「平岡さん」
杉森が椅子を回転させて、彼に体を向けた。
「えー、じゃあ俺も一緒に食っていいですか? 杉森さんに見せたいもん、たくさんあるんですよ!!」
「もしかして、魔法少女の話?」
小松田の話に、明るい女性の声が重なった。
それは、杉森と小松田の席と背中合わせになっている席からだった。黒のパンツスーツ、パンプス、そしてセミロングの髪はダークブラウンに染めた女性だった。小松田とそこまで歳は変わらないように見える。
「山田さん、興味あります!?」
「うん、あるある。小松田君が話しているの聞いてたら、混ざりたくてソワソワしちゃったもん。私もみんなと一緒に食べてもいいですか?」
女性____山田の視線は小松田から、杉森と平岡に向けられる。平岡が「もちろん」と頷いた。杉森も「いいですよ」と微笑んだところで、ぶーぶー、と低い音が聞こえてきた。
「ん、誰か電話鳴ってますよ」
小松田がそれに気づいて三人の顔を見回す。
「俺だ」
杉森が鞄に入れていたスマホを手に取って、画面に表示されている文字に目を通した。そして、パッと弾かれたように席を立った。
「すみません......急用が出来ました。先に食べていてください」
そう言って彼は鞄を抱えると、急ぎ足でその場を去っていった。
「杉森さん、最近忙しそうですよね」
平岡が杉森がオフィスを出ていくのを見届けて言った。
「本当ですよねー。昼休みもすぐ居なくなること多いし。弁当ちゃんと食ってるのかなって心配になります」
小松田も頷いた。
「ま、俺らは先に食べよっか」
平岡が言い、持っていた弁当の包みを顔の高さまで上げる。小松田も弁当とスマホを持って椅子から立ち上がった。
「何処で食います?」
「廊下?」
二人が歩き出す中、山田は杉森が出て行った扉をじっと見つめていた。
「山田さん?」
「え?」
「大丈夫です?」
「あ、うん、大丈夫。ごめん、ぼーっとしてたよ」
彼女ははにかんで笑い、二人について行った。
*****
たんたん、と激しく階段を上る音が狭い空間の中で響いている。
「平日はなるべく避けるように言ったじゃないですか!」
そう言って声を上げるのは、杉森だ。彼はオフィスを出た後、外に出るでもなく屋上へ向かった。普段はほとんど人が立ち入らない場所なので、誰かに会うということもない。今のところは。
杉森は片手に鞄、そして片手にスマホを持っていた。耳に押し当てられたスマホから、『ごめんごめん』と男の声がした。
『だって近いの
「昼休みになったばかりですっ!」
階段を登りきると、屋上へ出られる扉が現れた。杉森は鞄に手を突っ込み、鍵を取り出す。扉を開き、外に出て後ろ手で勢いよく閉める。続いて再び鞄に手が突っ込まれる。
『まあ、君ならすぐ終わる相手だろうからさ』
杉森の鞄から出てきたのは、ピンク色の丸いコンパクトだ。宝石が散りばめられ、休日の朝に放送している戦隊モノのアニメに出てくるデザインが成されている。
彼は鞄を放り出し、それを額の前で構えた。コンパクトが自然に開き、辺りが光に包まれる。それは杉森の体を覆うほどの強い光だった。
数秒もすると光は収まり、その中から現れたのはスーツの中年ではない。艶のあるピンク色の髪を背中まで届かせる長髪の少女だ。歳は14、15。白とピンクを基調としたフリルいっぱいの服とパニエ、ブーツ。
光の中から出てきたのは、誰が何と言おうと魔法少女である。
『今日もぱぱっとやっちゃって。ね、研也君......や、リンヤちゃんっ!』
茶目っ気たっぷりのその声に、少女のピンクの瞳が細められる。
「......分かりました」
少女は空へ飛び上がった。それは、人知を超えた跳躍力だ。置いていた鞄が風圧で軽く持ち上げられ、少し離れた地面にまた落ちる。
杉森 研也、44歳。極々平凡なサラリーマンである。少し前までは。
彼には、誰にも言えない秘密がある。
この世に蔓延る悪と戦う正義の魔法少女____彼はその一人だ、ということ。
これは、そんな一風変わった魔法少女たちの物語。
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