第七章 ①

 秋も深まり、庭にしもが降りることの増える時節。

 

 椿と共に生け垣として植えられた山茶花さざんかも、中心の花蕊かしんを主張するかのように花びらが大きく開き咲き乱れる。


 その花びらの有様と毒々どくどくしいほどの深紅しんくは、どことなく女の妖艶ようえんさを感じさせる。


 深まる庭の気配を感じつつ、冬支度の一環として千鶴ちづるが干し柿を軒下に吊るしていると、縁側に出てきた桐秋きりあき


「そんな季節か」


 とつぶやく。


 次いで庭の様子をちらりと見ると、干し柿を一房吊るし終わった千鶴に


「少し出かけないか」


 と提案する。


 突然の申し出に千鶴は小首をかしげる。


 桐秋は続けざまに告げる。


「実は下平しもひらに依頼している実験が、少し日数がかかりそうだと連絡が来た。


 次の計画はその結果を踏まえた上で作りたい。


 だから時間ができた。


 国分寺こくぶんじの方に南山みなみやま家の別荘がある。


 今は症状も落ち着いているし、・・・父にも気分転換に近場にでも出かけたらどうかと勧められたんだ」


 千鶴は桐秋の提案の理由に納得するとともに、終わりに少しだけ照れくさそうに付け加えられた、南山みなみやまの話に嬉しくなる。


 南山は定期的に桐秋を見舞いに離れを訪れている。


 千鶴は親子が会っている間は席を外すので、何を話しているのかまでは分からない。


 けれども桐秋が、南山の発案を受け入れるということは、少しずつではあるが、親子は歩み寄りができているのかもしれない。


 千鶴は声を弾ませ、桐秋に言葉を返す。


「それはとても素敵なご助言ですね。


 国分寺の方は緑が多く、静かでよいところだと聞きます。


 ゆっくりと体を休めて、気分転換するにも最適な場所ではないでしょうか」


 なんの含みもなく純真無垢じゅんしんむくな笑顔で言う千鶴に、恋人の立場としての桐秋は少し面白くない。


 療養はもちろんではあるが、二人で初めて外に出かけるのだ。そのことを意識させようと、桐秋は恋人の耳に口を寄せて告げる。


「君も来てくれるな。わたしと一緒に」

 

 千鶴は最後に妙に強調されて発せられた単語と、今、正面に向けられている色づいた笑みに、やっとのことで桐秋の心中しんちゅうを察する。


 そしてすこしのためらいの後、うつむき頬を染めながら、


「はい」

 

 と小さく頷いた。


 桐秋もその反応に満足する。


 二人は近頃、以前にも増して恋人同士のふれあいを深くしている。


 これまで千鶴が桐秋からふれられてきたのは、頭や着衣の上の部分。


 そこには桐秋のはめた手袋だけでなく、髪や着物、手袋など千鶴の側にも一枚のへだたりがあった。


 しかし最近では、顔や首といった着物からさらされた千鶴の素肌の部分を、桐秋の手套しゅとう越しにふれられている。


 最初千鶴は、素肌にふれられることに慣れず、びくびくしていた。

 

 そうした千鶴を気遣い、桐秋は羽毛うもうで撫でるかのように優しく柔らかにふれてきた。


 千鶴が怖がらないよう慎重に。


 ところが、ふれられればふれられるほどに、千鶴は甘さを含んだ絶妙な刺激にうっとりとした心地よさを感じるようになってしまった。


 いや今ではむしろ足りないと思っている。


 そして、桐秋もそれを心得ている。 


 ゆえに最近、桐秋は千鶴に意地悪をする。

 

 指の一本一本を順に千鶴の頬に、ふれるかふれないかの距離でゆっくりと滑らせ焦らす。


 千鶴が己でふれて欲しいと言うのを待っているのだ。


 手袋の毛羽(けば)だった繊維せんいの感触は分かるのに、桐秋の体温までは感じることが出来ない


 そのような丹念な焦らしする一方で、それを行う桐秋の表情は千鶴を誘引ゆういする壮絶そうぜつな色気を放っていて、千鶴が歯向かうことを許さない。


 そうすることが当たり前だという顔をしている。


 千鶴はそれが悔しく、ねだるまいと抵抗するが、黒瑪瑙くろめのうのような濡れた瞳に捕らえられたが最後、降参するほかない。


 そうして千鶴が堪えきれず、ふれることを請うと、桐秋は一転、驚くほど優しい笑みを浮かべて大事に、大事に、千鶴にふれる。


 千鶴はそんな小ずるく甘美なわなにすっかりとはまってしまっている。


 そんな考えに気を取られながらも、干し柿を垂らす手を再開した千鶴の視界に山茶花の赤が目に留まる。


 千鶴はその花の婀娜あだっぽさに思わず目を反らす。


 ふれられる部分が多くなるほど、もっとふれてほしいという欲求は高まる。


 桐秋の手いっぱいで鼻の造形や頬の柔らかさ、首筋の曲線の輪郭、千鶴にまつわるすべての形、感触を覚えてほしいと思う。


 最近は桐秋と過ごすたびにそういう想いにおちいり、千鶴は熱くて狂おしい気持ちを持て余している。


 普段からそうしたことを考えている自分が、別荘といういつもと違う場所に身を置けばこの気持ちはどうなるのか、千鶴は少し不安でもある。


 それでもやはり楽しみな気持ちは捨てきれず、離れのことを女中頭じょちゅうがしらに頼まなければと、千鶴は出かける算段を考えるのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る