第二章 ①
南山の子息の名前は
その最中体調を崩し、桜病を発症していることが判明。
現在は南山家の敷地内にある離れで療養しているという。
桐秋に関する基本的な情報を一通り教えてもらった千鶴は、話の中で一つ、気になっていたことを南山に尋ねる。
「ほんとうに桐秋様は桜病なのでしょうか。桜病は終息したといわれていますが」
桜病は十年以上前に流行した病で、上流階級を中心として広がった感染症である。
肢体に桜の花びらのような紅い
その様から桜病と名付けられ、恐れられた。
しかし、感染方法が「
向かいに座る南山も感染拡大を押さえた
そんな桜病研究の
「私もそうあればいいと思っているがね。あれは桜病の症状だ。
続く微熱に、
なにより、色白い
それに、桐秋は桜病が終息した後も研究を行っていた。
もしかしたらその過程での事故かもしれない」
千鶴は南山の言葉に目を丸くする。
「終わった後も桜病の研究を行っていらっしゃったのですか。
なぜ」
「私にも分からんが、あの子の母親も桜病で亡くなっているから。
それが原因かもしれない」
「そうですか」
桐秋が終息した後も桜病の研究をしていたという事実に千鶴は驚いたが、聞かされた理由に一応納得し、頷く。
話をしているうちに、千鶴達を乗せた車は
そこは診療所のある下町の、木造住宅が多い町並みとは違い、レンガを用いた洋風建築が整然と立ち並ぶ。
建物は一つ一つが大きく、千鶴はその光景に圧倒された。
さらに通りを奥に進んでいくと、今度は、洋風の柵や壁が、居並ぶ木々を仕切るように囲んだ区画になっていく。
この辺りになると、家は林というより森というほうが正しいくらいの木々に囲まれ見えない。
おそらく途中、柵が途切れる場所が、一つの邸宅の敷地なのだろう。
その間隔も奥にいくにつれ、大きく、広くなっていく。
いったいどれほどの敷地なのか、南山家もその一角なのかと思うと、千鶴は無意識に座っている背筋が伸びた。
*
まもなくして、自動車は端の見えない
運転手が降り、後部座席のドアが開く。南山、続いて千鶴が下りる。
目前のそれは、今まで見てきた洋の雰囲気とは違い、武家屋敷のような和の白壁だった。
千鶴は屋敷に入らず、どうしてここで降ろされたのかと首を傾ける。
そんな千鶴の視界の端に、薄紅の
それは白壁の向こうから少しはみ出して見えている。
千鶴がそちらの方向を向いて、その正体をはっきりと捉えようとした時、後ろから南山の声がかかった。
千鶴が振り返ると、南山は壁の中へと通ずる小さな扉を指していた。
「こっちだ」
南山は大きな体をかがめながらその木扉をくぐる。
小柄な千鶴にはちょうどよいが、大柄な南山は腰を折らないと入れないほどの大きさ。
立派な白壁には似つかわしくない入口だと千鶴は思う。
そんな千鶴の思考を読んだのか、南山は正門はまた別にあるが、桐秋が療養している離れにはこちらが近いのだと教えてくれる。
門を抜けるとそこには、整然とした生け垣が千鶴達の行く手を
それは中が見えないよう、白壁に沿うように植えられており、もう一つの
南山は白壁と生け垣の間にできた細い道を進み、千鶴も後を追う。
途中、一度角を曲がり、生け垣が途切れる場所が表れると、そこには竹で組まれた
門扉をくぐると、正面に、黒い瓦が光る見事な
ここが先に聞いた離れだろうか。
千鶴が思っていたような、畳の部屋一室に少し水回りのついた
「さあ、中に入ろうか」
南山に声を掛けられ、千鶴が玄関先に足を向けた時、こちらに向かって急ぎ足で来る者がいた。
「旦那様」
千鶴たちが来た逆の方向から現れた男性は、南山に近づくと耳元で話をする。
南山はその内容に少し考える素振りを見せ、千鶴の方を振り返った。
「千鶴さん。大変申し訳ないが、少しここで待っていてくれないだろうか。
急ぎの用が入ってしまってね。
そうだ。もし良ければ離れの庭を見ているといい。
息子は部屋からで出てこないだろうから、君が庭にいても気づかないだろう。
庭の奥には桜の木を植えていてね。今がちょうど見頃だ」
南山の提案に千鶴は、勝手に一人歩いてよいものかと考える。
それでも桜が見頃だと聞き、遠慮よりも美しい桜をみたいという好奇心の方が勝った。
「ぜひ、お庭を眺めながらお帰りを待たせてください」
千鶴の返事に南山は頷くと、庭の入口に千鶴を案内して、男性と共に足早に去ってしまった。
*
千鶴は玄関から右方向に続く、生け垣の合間に作られた庭へと繋がるまた別の門扉をくぐる。
桐秋が休んでいることも考え、極力音をたてないよう扉を開け、中に入る。
――竹の門扉をくぐったそこは、緑に飲み込まれんばかりの草木の
紅葉や低木、
身体全体が緑のゆりかごに包まれているような優しい空間。
千鶴はまどやかな空気に癒されながら、案内するように配置された置き石を辿る。
少し歩くと緑を抜け、千鶴は広い空間に出た。
――と同時に目をすがめる。
暗所からふいに、まぶしいところに出たような違和感が千鶴の目を襲う。
慣らすように少しずつ
敷き詰められた白砂が日の光を浴び、
千鶴の目を襲った正体はこれだったのだ。
目が慣れてくると庭の全景が見えるようになってくる。
まず目を引いたのは、造成されたなだらかな山の上にある大きな青松。
太い幹を、山を駆け下りる龍のようにくねらせ、その存在を
それを横目に眺めながら、雲母に見え隠れしている置き石を辿ると、導く先には大きな池。
池の周りは丸く刈り取られた低木や庭石で縁取られており、池の中には友禅をまとったような、色鮮やかな錦鯉が悠々と泳いでいる。
庭には他にも多種多様な木や石が特徴に合わせた配置、高さで置かれていて、個々が己の役割を見事に果たしている。
庭について特別知識があるわけでもなく、それでも日本に生まれた千鶴の感性が、美しい庭と言われ思い描く、日本庭園のお手本のような庭である。
千鶴は自分の心を豊かにしてくれる景色に見とれていたが、どこに目を凝らしてもお目当ての桜はない。
南山の言葉を思いだすと、桜は庭の奥にあると言っていた。
千鶴は置き石が続く池にかかった石橋を渡り、さらに奥へと進む。
するとまた、竹の門扉が現れる。千鶴は再び静かにその扉を開いた。
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