第7話  箱  2

 典子は白い箱をジッと見ていたが、体を起こして義人に視線を戻した。

「それで、そのウサギさんどうするの?」

「ああ、これなあ………はく製にでもしようか、なんて思ったけど………」

「はく製⁉」

「いや、ちょっとそう思っただけで、実際は、そんなお金のかかること、無理だし、意味ないし………それで、彼女に電話かけたら、持ってきてくれって言うから…」

「それで持ってくの?」

「そうしようかな、と思ってさ」

「それじゃ早く持って行ってあげなきゃ」

「いや、でもよく考えたら、あいつ今時分部屋にいないんだよ」

「どうして?今日電話かけたんでしょ?」

「ああ、でも、たぶんいない。あいつの生活は、俺よく知ってるから」

「でも、電話かけたんだったら、待ってるかもしれないじゃない」

「いや、今行っても駄目だよ。今すぐ持ってくって言ったわけじゃないし。それに、俺、あんまり持って行く気なくなっちゃったんだ」

「どうして?」

「なんとなくね」

「ふうーん」典子はため息をついて、白い箱を見つめた。

「でも、持ってきて欲しいって言うのなら、持って行ってあげなきゃ」

「持ってっても、処分に困るだけだよ」

 義人はゆっくりタバコを吸った。典子は箱を見つめたまま言った。

「大丈夫なの?そのウサギさん…」

「ん?ああ大丈夫だよ。ついさっき死んだばっかり。まだあったかいくらいさ」

「どんなの?ちょっと見せて」

「ダメだよ。こんな所で出すわけにいかないだろ…」

 確かに店内は昼時で混み始めていた。

「白黒のブチなんだ。かわいい奴だったよ。ウサギってさ、犬や猫に比べると、表情も少ないし、よっぽどバカに見えるだろ。でも、そうでもないんだよな。割と意思の疎通があるんだ。頭とか背中をそっと撫でてやると喜ぶんだよ」

「喜ぶって、どうやるの?」

「まばたきはしないんだけど、目を細めるね。それで、なんかトローンとしてくる」

「へえー、嫌がってるんじゃないの?」

「嫌がってるんじゃない。あれ喜んでるんだ。嫌だったら逃げるから」

「ふうーん、かわいいのね」

「かわいいんだよ、実に。ウサギ触ったことある?」

「一回だけあるけど」

「柔らかいだろ?毛が」

「うん、すごく柔らかい」

「実に感じいいよ。ネコより柔らかいと思う」

「やっぱりニンジン食べるの?」

「うん、もちろん食べる。キュウリも食べるけど、キャベツ好きかな、彼の場合」

「男の子なの?」

「うん、トムっていうんだ」

「トムちゃん」

「そう、俺はトンって呼んでたけど、そのうちブタって呼ぶようになって、ブタって呼ぶと、もう一人反応する奴がいて………」

「………………」とくに面白い冗談ではない。

「主食はキャベツになるけど、キャベツ買っても、ほとんど余るから、俺達毎日野菜炒めばっかり食ってたな」

「庭で飼うの?」

「いや、たまには出すけど、ちゃんと見てないと何処行くか分かんないし、穴掘るし、だから、だいたい部屋の中かカゴにいたね」

「ふうーん、汚さない?」

「あんまり汚さないよ」

「かわいいのね………」

「うん、死んだって分かった時、悲しいというより、ショックだった。俺が死なしたようなもんだから。可哀そうなことしたなと思って」

「仕方ないよ………」

「うん、でも仕事忙しいとほったらかしになってたし、俺一人になってからは、エサもたまに忘れちゃうんだよな………。ほんとに可哀そうなことした。俺のとこにいたのが悪かったんだよ」

「彼女、持ってってくれればよかったのにね」

「そうだなあ………」

「それからは、もう来ないの?」

「それからって?」

「別れてから、見に来ないの?」

「彼女か?一度来たかな…。元気そうにしてるわねって言って、いい子にしてるのよって頭叩いて帰ったよ」

「ふうーん………そうか。そういうもんなのかなあ」

「何がさ…」

「一度別れたら全然会わなくなっちゃうのね」

「全然ってことないさ。外でたまに会っちゃうことがある。今はもう友達さ」

「ふうーん」

典子は、指を組み合わせて窓の外を見ていた。そして「あのね」と言った。

「ひと月もの間、全然なんにも誘ってくれないのって、お茶にも誘ってくれない場合ってさ、その人のこと嫌いになったんだって考えてもいいの?」

「ええ?なんだって?」

「ひと月以上もね、お誘いがなかったらね、嫌われちゃってるんだと思ってもいいのかな」

「男と女の場合か?」

「そうよ」

「あんたの彼かい?」

「ううん、違うの。あたしの友達の話」

「はあ、あんたの友達ね。ふん、それで、誘ってくれないのはどっちの方なんだ?」

「もちろん、男の人、彼の方よ」

「もちろんね。なぜ誘うのは常に男ときまってるんだ?俺は常々それを…」

「あーん、それはいいから、ねえ、どう思う?」

「どう思うったって、そんな、わかんないよ、人のこと」

「男の人の気持ちよ」

「男の気持ちねえ………ひと月も誘わないのはなぜかってことか」

「そう」

「うん、でも、それはやっぱり個人の事情だからわかんねえな」

「嫌いになっちゃったのかなあ、そういう場合」

「なんでそんなに嫌いってことにこだわるわけ?」

「だって、今まで付き合ってたのに急に誘われなくなったら、女の子って、すごく不安になるじゃない。嫌われたんじゃないかって」

「まあ、そうかもね。その彼らは、今までそんなに頻繁に付き合ってたの?」

「そうみたいよ」

「それが急にひと月か、ひと月は長いね」

「でしょう?やっぱり嫌われたのかなあ………」

 義人はフッと笑ったが、典子が睨んだので、少し真面目に考えてるふりをした。

「一つには、その誘われなくなった時の、その直前に何かがあったのかもしれない。そこら辺は、何か聞いてない?」

 典子は黙って首を振った。義人は言う。

「ま、なんにしろ、それは当人同士のことなんだから、あまり、あんたが心配しても、仕方ないよ。君は関係ないわけだろ?」

「友達なのよ」

「うん、友達は分かるけどさ、あんまり気にすることないよ。それは二人の問題なんだから。ほっとけば直っちゃうこともあるし、考えるだけばかばかしいよ」

「うーん、でもねえ………そうもいかないのよね」

「どうして?」

「ある事情があってねえ………」

 典子はテーブルに置いた自分の手に視線を落とした。


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