第5話  喫茶店 3

 典子はトマトとレタスのサンドイッチを食べた。義人の言うように、食べ始めるといくらでも食べられる。お腹がすいていたんだ。義人が言う。

「それにしても薄っぺらいな、このパン。トーストだと3倍くらいあるのに」

「外が薄くて中が分厚い方がいいのよ。サンドイッチは」

「そりゃまあ、そうだ」

「ねえ、こういうの食べてると思い出さない?」

「シズヤのサンドイッチか?」

「そう」

「よく食べたな、あれ」

「ねえ、ほんと、あればっかりだったね、お昼は。あの店のパン、ほとんど食べたんじゃない?」

「よく飽きなかったな。いつも、お前買いに行ってたけど」

「沢田君が買ってくると、いつも少ないんだよね」

「お前が買ってくると、いつも多くって余るんだよ」

「でも、最後まで残ってたことはなかったよ」

「うん」義人は頷きながらコーヒーを飲む。典子はまた頬杖をついた。

「そうか、あの頃、あたし19才だったんだな………」

「俺、21だった。今、典子、22になったの?」

「なっちゃった」

「ついに」

「年取っちゃった」

「青春終わった?」

「終わっちゃった。なんにもない青春」

 義人は、コーヒーカップを置いて典子を見る。

「何にもなかったの?ほんとに?」

「それ、どういう意味?」典子はパンを飲み込んでから訊く。

「あんたが言ったんじゃん、何もないって」と義人。

「それって、あれでしょ?恋愛っていう意味でしょ?」

「そう」

「だったら、なかったかもね………」

「なんで?」

「なんでって言われても………」

「おかしいなあ、典子って………そこそこ可愛いいし、性格悪くないし、何より明るい、いい子なのに………」

 典子は、満面の笑みを浮かべるものの義人の顔は見れず、意味もなく手を振る。

「あのね、関係ない人にそういうこと言われると、かえって傷つく………」

義人は、「そうか」と言って、またタバコに火をつける。それから典子にかからないように横に向けて煙を吐く。

「俺、思うけど、お前って、一番もてるタイプだよ…」

「あ″あ″………」パンをくわえていた典子は変な声になる。

「つまりね、美人でスタイル良くてっていう完璧な女はさ、絶対男いると思って、誰も声かけないんだよ。その点、典子は、それ程でないから、一番声かけやすい」

「全然ほめてないね、それ」

「でも、合ってるだろ?結構告白されてるだろ?」

 典子はすぐに返事ができない。実は、合ってるかもしれない。ニュアンスで終わったのを含めると4,5回は告白されてる。義人は妙に自信ありげに続けた。

「でも、お前、全部ふったんじゃない?」

 典子は返事ができない。それも当たってる。自分が思う人は振り向いてくれない。あまりタイプじゃない人にばかり告白される。だから、結果、義人の言うように全部ふってきた。なんで、こいつに見抜かれてるんだ?…………。

「お前って、あれだよ。相手を思うのは好きだけど、追いかけられると逃げたくなるんだよな。きっと」

 もう、典子は逆らうのをやめた。

「ハイ、ハイ、その通りです。あたし結構もてました。でも、全部ふっちゃった…」

義人はタバコを灰皿に置いて腕を組み、真っすぐに典子を見つめた。今度は典子も強気に見つめ返す。義人は言った。

「でもな、それでいいんだ。典子は典子でいろ。自分を守っていけ。つまんない男の見た目と虚勢に騙されてボロボロになった子を、俺、何人も見てる。今のお前を大事にしろよ」

 なんだ、こいつ、昔とちょっと変わったなと思いながら、典子は黙って頷いた。

トマトジュースを飲むと、もう氷で水っぽくなっていたのでやめた。サンドイッチがなくなり、皿にはパセリだけが残っていた。典子はパセリに手を伸ばした。このツヤツヤとした植物を急に食べたくなったのだ。そうしたら、義人も手を伸ばしてきて、二股に分かれた茎の一方を指でつまんだ。二人は両方から引っぱって、パセリを二つにちぎった。パセリが好きだということ、これが二人の特別な共通点だった。だからパセリの取り合いは、ちょっとした思い出になっている。それを義人も覚えていたのだ。パセリを口に持っていきながら、二人は見つめ合ったが、典子はすぐに目をそらした。小さな思い出のこと、伝わり過ぎたような気がして、気まずくなってしまったのだ。

 彼女は窓の外に見ていた。窓のすぐ下の所に煉瓦で小さな花壇が作ってある。そのえび茶色の煉瓦の上に、歩道の方から落ちてきたイチョウの葉っぱが一列に並んでいた。鮮やかな黄色と、そのきちんとした並び具合に典子は目を奪われていた。気がつくと、義人もそれを見ているようだった。典子は指を伸ばして言った。

「あれ、綺麗ね」

「うん、綺麗に並んでるな」

「自然にああなったのかしら」

「たぶんね」

「みんなこっち向いてる」

「いや、みんな向こう向いてるんじゃないか」

「どうして?こっちが頭でしょ?」

「いや、こっちは尻尾で、向こうが頭だよ」

「そう?じゃ、頭で枝につかまってるわけ?」

「そうさ、だって尻尾でつかまってたら怠けてるみたいじゃないか」

「はは…そうかなあ。ふうん」

 典子は手を祈るように組み合わせて、それを頬に当てたままイチョウの隊列を見ていた。煉瓦の上に飾られた作り物のように見える。でも、それは、少しずつ確実に風に震えている。誰かが長いスカートで走り抜けたら、たぶんみんなひっくり返ってしまうだろう。

 義人がポケットからタバコを取り出したけど、一本取り出そうとしてやめ、横の椅子にぽんと投げた。そこには、あのケーキの箱があった。

典子は、忘れていたけれど、そのケーキの箱がまた気になりだした。彼女は唐突に言った。

「ねえ、それ、ほんと何が入ってるの?」

「えっ?」義人はびっくりしたように顔を上げた。



 

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