第13話

 



 雲ひとつない青空の下、風も穏やかで、気候もちょうど良い半袖の季節。



 ある親子はだだ広い遊具がたくさんある公園に訪れていた。


 母は大きなリュックにサッカーボールやシャボン玉、野球のおもちゃバットとボール、凧揚げ、けん玉を入れたジッパーつきの袋を片手に持っていた。



「ねぇ、お母さん。ブランコ乗っていい?」



「うん、いいよ。お母さん、ここのベンチにいるね。好きに遊んでおいで。」



「はーい。」


 その公園には、ブランコや、長い長いローラー滑り台、動物の形をしたシーソー、小さなロッククライミング、砂場、タイヤ飛び、ターザンロープ、グローブジャングルなど、子どもがそそる遊具がたくさんあった。


 #白狼美香子__しらかみみかこ__#。   龍弥の母は、子煩悩で子どもと一緒に遊ぶのが好きだった。日曜日はもっぱら公園に遊びに行っていた。



「美香子、あんま遠くに行かせると迷子になるんじゃないのか?」


 ズボンのポケットに手をつっこんで、何も持たずに現れたのは龍弥の父#白狼伸哉__しらかみしんや__#だった。


「良いの。ここから龍弥の姿よく見えるから。あの子はひとりっ子みたいなもんだから、公園で友達作って遊んだ方がいいのよ。そんなこと言うなら、あなたが龍弥の近くに行ってあげなさいよ。」


 腰に手を当てて美香子は言う。


 伸哉はめんどくさそうにベンチに腰掛けた。


「えー、俺行くの?」



「口では言うくせに行動にうつさないよね。ずるいんだから。」



「…おかあさん!転んだ!!」



 龍弥が遊んでいたかと思うと、1人でブランコで立ち漕ぎをしようとして転んだらしく、両肘を擦りむいて擦り傷を作っていた。


「あらら、大変。待って、今、絆創膏出すからね。」


バックの小さなポケットから絆創膏を取り出した。



「痛かったよぉ。」



「はいはい。今、ぺったんしてあげるから。」


 腰を屈めて、美香子は龍弥に絆創膏を2箇所貼り付けた。


「龍弥、良いなぁ。俺にも貼って~。」



「あなたはどこもけがしてないでしょ。」



「いや、してるよ。心の傷…。」



 両手で胸をおさえる伸哉。どの時点で傷ついているかは定かではない。


「んじゃ、僕がぺったんしてあげる。なでなで、いたいのいたいのとんでいけー。」


心専用の絆創膏は無いため、龍弥は父が可哀想になったのか、小さな手で父の胸をなでなでしてあげた。



「いいねいいね。俺、龍弥のなでなでで治った気がする!」



「何言ってるの?ほら、龍弥と一緒に遊んできなさいよ。私、あそこの芝生にテント準備しておくから。」



「はいはい。」


 行きたくなさそうな目で、龍弥の手を繋ぎ、公園の中を散策に行った2人。



この頃の龍弥は、純粋でおとなしくて、誰に対しても優しく、可愛かった。


 まだ、4歳になったばかりで、幼稚園に通い始めたばかりでようやく社会というものが分かり始めてきた頃だった。


 日曜日の晴れた日は、いつも親子3人で公園遊びに来ることが多かった。


 午前中から母の作ったおにぎりをテントの中で食べて午後のおやつの時間までめいいっぱい遊んだ。


 今日はあまりにも疲れすぎて、帰りの車の後部座席でよだれを垂らしながら熟睡していた。


 運転席に父の伸哉、助手席に母の美香子、ワゴン車の広い後部座席には龍弥が独占して乗っていた。荷物も詰めて、広く使えたため、レゴブロックや、恐竜のフィギュア、人気ゲームのぬいぐるみなど、龍弥の好きなものグッズで溢れていた。



 ごくごく普通の家庭で育っていたはずだった。その日の夜までは…。




 家に着くと、夕ご飯も食べずに寝静まっていた龍弥は、居間にタオルケットをかけて寝ていた。


 母は、夕ご飯作りに台所へ、父はテレビのニュースを見ながら、携帯ゲームをしていた。


「龍弥、起きないね。もう食べちゃう? 龍弥、このままきっと寝ちゃうよね。寝室に寝かせてこようかな。」


「うん。今日は、たくさん遊んでたからな。その方がいいかもしんないな。」


 伸哉は重い腰を上げて、美香子の代わりに龍弥を抱っこして、寝室へ連れて行った。


「ごめん、ありがとう。今、ご飯用意しておくから、パジャマに着替えさしてて。」



「ああ、わかった。」


 伸哉は言われた通りに龍弥の着ていた服を脱がせて、パジャマやシャツ、おねしょパンツを履かせて、タオルケットをかけてあげた。



 引き戸のドアをしめて、2人は夕ご飯を食べ始めようとした。



 龍弥は、体を動かされて、少し眠そうに目をこすったが、まだ眠くて、体を起こすことができなかった。


 目は少し開いていた。



「ん…うーん。」



 真っ暗な部屋で1人寝かせられていることに寂しくなった龍弥は体を起こそうとした。居間で2人の会話が聞こえてきた。



「ねぇ、いつなったら言うの?本当のこと。」

 

 美香子は、トレイに乗せたおかずを食卓に並べながら言う。



「え、何、なんの話よ。」


 コップにビールをトクトクと注いで、落ちそうな泡をすする伸哉。


「だから、龍弥の話。いつまでも黙ってられないよね。いつかは言うって決めてたし。」



「もうちょっと、大きくなってからもいいじゃないの?」



「え、でも、大きくなってからでは、手遅れってこともあるんじゃないのかな。いろんなママ友さんに聞いているけどさ。里親制度利用してるのってうちらくらいだし、結構ストレス感じるんだよね。本当の家族じゃないってことが。話の中でよく言われるのよ、龍弥くんは誰似かなって。だって、どっちにも似てないから。似る訳ないでしょう?産んでないし、私。その会話にいる時の私のストレスったら、たまったもんじゃないのよ。いっそのこと…言ってしまいたいって…。あ。」



 龍弥は聞き耳立てて聞いていたようで、引き戸の隙間から覗いていた。



「…お、おかあさん、その話。本当なの?」



 父の伸哉はバツ悪そうにほらっという態度を取った。自分は悪く無いぞという顔をしている。美香子は、冷や汗をかいた。



「龍弥、どした?目覚めちゃったのかな。夕ご飯、どうする?食べる?」



「今の話!!!! 本当なの????」



龍弥は母の美香子の言動を信じられなかった。ご飯の話を聞きたいんじゃない。優しい言葉をかけて欲しい訳じゃない。真実を知りたいだけだ。自分は本当の家族じゃないっていう言葉に、耳を疑った。



「え・・・えっと。」



 頭をポリポリかいて、言葉を詰まらせた。


 龍弥は目いっぱいに涙をためて、真っ暗な夜道をパジャマのまま飛び出した。



(僕はお母さんとお父さんの子じゃないの!?ずっと一緒にいるのに…、なんで、なんで。僕は、一体誰の子なの?!


 額にたくさんの汗をかいて、無我夢中で暗い道を駆け出した。


 行く先は無意識のうちに近所にある小さな公園。


 真っ暗でぼんやりと街灯が3つ光っている。どこに行く宛もなく、公園のブランコに座って、ギーコギーコと静かに裸足で履いた靴で地面を蹴飛ばした。


 夜の公園は初めてで、怖かった。


 それでも、家の中に入りたくない方が気持ちが強かった。


 

 ぐすんぐすんと泣きながら、ブランコを何回も漕いでいると、肘の絆創膏に気がついた。昼間、龍弥がけがしたときにおかあさんが貼ってくれたものだった。家族じゃなくても、自分に貼ってくれる絆創膏。


 おかあさんじゃないかもしれないのにどう接すればいいかわからなくなる。



「龍弥~。龍弥~。」

 

 遠くで懐中電灯を持ちながら、叫ぶ美香子の声がした。


 龍弥は気づかれなくて、顔が見えないように後ろ向きにブランコを座った。


 それでも龍弥だと気づく美香子。その後ろから心配して伸哉も来ていた。


 かかんでそっと龍弥の近くに寄り添う美香子。



「龍弥?ごめんね。」




「いや。」




「聞いて、お願い。」




「いやだ。」



「龍弥…。」



 美香子は、そっとブランコに乗る龍弥を抱きしめた。それを龍弥は逃げ出そうとするが、逃げきれなかった。


「お願い、行かないで。龍弥は私たちの家族だよ。大事な大事な家族なの。」




「でも、さっき本当の家族じゃないって言ってたでしょう?!」



「うん。そう、血のつながらない家族なの。私は、龍弥の本当のお母さんじゃないけど、すっごく大事にしてる。本当の息子のように思ってるの。それだけは本当なんだよ。ね、伸哉もそうでしょう?」



「ああ。龍弥、お前は、俺の子どもだ。血のつながりなんて関係ない。大事な家族だから。今まで黙っててごめんな。」


 

 伸哉も2人を後ろからぎゅっと抱きしめた。



いつかは訪れる真実を言わなくてはいけない時。美香子と伸哉は龍弥と真剣に向かい合った。けれども、龍弥にとっては本当の家族じゃないことに疑問と本当の母親を恨んだ。


 自分のことはどうでもよかったのかと心が歪んだ。



 涙が止まらない。



「本当の僕のお母さんはどこなの?!会わせてよ!!」


 言わなきゃいけないのかと美香子はため息をつきながら言う。



「龍弥、ごめんね。龍弥のお母さん、あなたを産んですぐに天国行っちゃったのよ。体が弱かったの。産むことだけで精一杯だったんだよ。でも、私たちがずっとあなたのそばにいる。本当の家族ではないかもしれないけど、それ以上に大事にするから。お願い、信じて。」


 嗚咽がこみあげる。


 4歳にしてこんなに過酷な状況。

 人を信じることの恐怖をおぼえた。



 その頃からずっと小さいながらにして、龍弥は、誰に対しても本当の自分ではない誰かを演じて、心の殻を分厚く作った。


 大人しく、誰も傷つけないお利口な子。

 空気を読んで、周りに合わせ、変に作り笑顔をして、無理やりでも美香子や伸哉の希望通りの子ども演じ続けた。



 中学1年になってすぐに

 自らの皮膚を傷つけて戒める。


 ピアスがその象徴だった。


 本当の親ではない親を本当なんだと言い聞かせる儀式のようなもんだった。




 思春期の時だった。


 夏休み、家族で出かけようと思い出作りに県外に高速道路で3人で大きな旅行バックを車に積んでいた。


 暑かった。熱中症が心配される気温だと天気予報では警告するくらいの暑さだった。


 高速道路のトンネルで事故は起きた。好きなノリノリの音楽をかけて、車で盛り上がっていた。


「わあ、トンネルだぁー。」


 と喜ぶのも束の間。


 あっという間に目の前の景色が真っ暗闇になっていた。


 劣化したトンネルは、土砂崩れにより、道路を突き破り、白狼家族が乗る車に押し寄せてきた。息ができない。月や、トンネルのコンクリートやいろんな破片が混ざって埋め尽くされた。



 車の中にいたはずの龍弥はいつの間にか外に投げ出されている。

 

 奇跡的とか言いようがないが、消防隊の人に埋もれる土砂の中から見つけ出され、救急車に運ばれて、一命を取り留めた。


 しかし、いくら懸命の捜索はして、両親は遺体として発見された。もう、体を動かすことはできないし、話すこともできない。


 ベッドの上に白い布を被った両親を見て、泣きたかった。でも泣けなかった。


 涙が出なかった。


 出したかった涙のはずなのに。


 ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


 遺体安置所に何時間もいて、警察の人にまで心配されるほどだった。


 女性警察官に、両親の手から外された2人の結婚指輪を手渡された。


 肌身離さず持っておけば、絶対あなたを守ってくれるからと龍弥の手の中に入れてにぎりしめ、体をぎゅっと抱きしめられた。


「大丈夫、きっと大丈夫だから。」


 その言葉でほんの少し救われた気がした。


 その後、淡々と遺体は葬儀屋に任せられることになった。こんなにもあっさりしてしまうのかと思うと本当にこの2つは人間だったのかと思ってしまう。


息子1人でどうしろと悩んでいると、父伸哉の幼馴染の#佐々木雄二__ささきゆうじ__#という人が色々とお世話してくれた。後に話を聞くと、母の美香子の元旦那だと言うこともわかった。


 この三角関係の大人たちもいろいろあったんだろうなと若干14歳にして、勘づいてしまった。



「龍弥くん、大丈夫。俺がなんとかするから。任しといて。あ、ごめんな。娘のいろは、同い年で、恥ずかしいかもしれないけど、力にはなれるかも。」


「佐々木いろはです。龍弥くんだよね。昔、一緒に公園で遊んだことあったと思うけど…。」



「……。」


 静かに頭を下げて視線を逸らした。


「龍弥くん、いろいろ大変だけど、君のおじいちゃん、おばあちゃんから頼まれてさ。一緒に住むことになったから、名前も、名義変更して、君と同じ名前、白狼で名乗るから、心配しないで。学校の生活でも大丈夫のようにするよ。安心して。な。」



 雄二は、龍弥の頭をぽんと撫でた。龍弥は、初めて会う雄二にどう接すれば分からず、大人たちの言うことにただただ従うだけだった。


 後から知ったが、祖父母の経済状況では、龍弥を引き取れないと断腸の思いで美香子の元旦那ということで連絡が来た。



 両親が亡くなった今、龍弥を救えるのは雄二しかいないだろうと家族会議がなんども繰り広げられた。中学生でも何を話しているかくらいわかる。


 

 自分の居場所は本当にここなのかと疑問符を浮かべて、祖父に勧められたフットサルに行くことで気分を紛らわすことができた。


 生活が安定したところで、両親の葬式をすることができた。

 中学の制服を着て、引っ越してまもないいろはも葬式に参列した。





 そんな様子を真っ白なキャンバスを見ているかのように消えていく。




  過去の夢を見ていたようだ。



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