第29話 黒猫とネズミの散歩に同行
昼食を終え、紅華たちは勉強を再開した。
「英語は基本、数をこなすしかないからな」
「でも、もっと早く読む方法とかないの? 時間内に文章が読み終わらないの!」
「う~ん。僕は小さい頃から英語の小説読んでただけで、慣れているとしか言いようがないな。紅華はどう思う?」
英語が苦手な椿に泣きつかれ、時彦は紅華を見やる。
「そうですね。やはり時彦さんのいう通り慣れるしかないとは思います。けれど、学校のテストで点数をとるだけならコツはありますよ」
「ホント! 紅華ちゃんっ?」
昼食後、椿と紅華は名前で呼び合うようになっていた。経緯は椿が強引に提案したものであったが、嫌がってない所を見ると紅華もまんざらではなさそうである。
二人ともぎこちない笑みは殆ど浮かべなくなった。
「ええ。例えば、流し読みする部分とそうでない分を切り分ける事ですね」
「どういうこと?」
「そうですね。この前置詞や接続詞のある文は、文章の中でも重要度が高いです」
紅華が自分のノートに書いた単語とその意味を見て、椿がへぇーと頷く。
「そこを訳すと、その文章の言いたいことが大まか見えてきます。他にも、議題や著者の意見などに頻出しやすい単語だったり、後はパラグラフを意識するといいですね」
「じゃあ、全部訳さなくていいの?」
「はい。ただ、流し読みのスキルは身に着けた方がいいです」
「それってやっぱり慣れだよね」
「ええ。沢山数をこなすしかないですね」
やっぱり楽はできないと悟り、椿はガビーンと肩を落とす。紅華が苦笑した。その横で時彦も佳祐に古文を教えていた。
それから数時間が経ち、太陽が西に傾き夜も近くなったため、勉強会はお開きになった。
「紅華ちゃん、時くん。今日はありがとうね! 楽しかったし、来週のテスト頑張れそうだよ!」
「とても助かった。ありがとうな」
「いえいえ。私も教える事で身になりましたし、ありがとうございます」
「僕も同じだな」
「「ッ」」
紅華と時彦は気さくな笑顔で感謝を告げた椿と佳祐に微笑んだ。その二人の微笑みがあまりにもそっくりで、椿たちは息を飲んだ。
「お前ら、どうかしたのか?」
「いや、ううん。何でもないよ! ね、佳くん!」
「ああ。ホント、何でもないんだ」
椿と佳祐は顔を見合わせ、二人だけが知ってる秘密を共有しあうような笑みを浮かべた。
時彦は二人の世界に入っているな……と呆れた表情になり、紅華は少し困惑していた。
椿が紅華を見やる。
「紅華ちゃん。高校でまた話そうね!」
「はい。何か用事があればお願いします」
「うん。そこは気を付けるから大丈夫! あと、今日話し合った方向で、噂とか流しておくから!」
「よろしくお願いします」
二人のやり取りに時彦と佳祐が顔を見合わせ、首を傾げた。
「じゃあ、また明日」
「また明日ね!」
そして佳祐と椿は手を繋いで、帰って行った。時彦と椿は横に並んでその後ろ姿を見送っていたのだった。
Φ
一学期末テストも終わり、あと数日で夏休みに入かという休日。梅雨が開け、本格的に主張しだした太陽がジリジリと照りつける。
薄手の黒のTシャツとズボンを着ていた時彦は、目の前を歩くスヴァリアとその頭の上に乗るカヤンを見やり、ぼやく。
「全く、急に一緒に散歩したいだなんて。紅華の作業着を作りたかったのに」
今朝、スヴァリアとカヤンに急に散歩に誘われたのだ。
期末テスト勉強でできなかった紅華の作業着作りをしたかったため、時彦はその誘いを断ろうとしたのだが、紅華が「たまには街を歩いてきたらどうですか?」と言ってきたため、仕方なくスヴァリアたちの散歩に同行していた。
「そういえば、最近、紅華の様子がおかしんだよな。妙にそわそわしているし、帰りも少し遅くなったし……」
「にゃ~にゃっ!」
「きゅ、きゅう!」
時彦が最近の紅華の様子を訝しがれば、スヴァリアとカヤンが誤魔化すように話しかける。
「散歩はどうだって? あんまり面白くはないな。暑いし」
「んみゃ~」
「そりゃあ、スヴァリアも黒猫なんだから暑いだろ。だから、さっさと家に――」
黒の上下を着ている時彦はもちろん、立派な黒の毛並みを持つスヴァリアもこの太陽の日差しに参っている。カヤンも体が小さいため、暑さに強いわけではない。
だから、時彦は帰ろうとするのだが、スヴァリアとカヤンが止める。
「んみゃ。みゃ~にゃっ! にゃにゃ!」
「きゅう! きゅ!」
「今日の散歩のノルマを達成していないからヤだ? まぁ、お前らがそういうならいいが。でも、この暑さだし、本当にヤバくなったら言えよ」
「んにゃ」
「きゅ」
スヴァリアとカヤンは呑気に鳴き、時彦を先導するように前を歩く。
(まぁ、動物用のクールネックは着用させてるし、ハンディファンや水も持ってきてる。僕がこまめに水をとるように気を付ければ大丈夫か)
それに流石は猫というべきか、スヴァリアが日陰の多い道を選んでいる事もあり、日差しの強さのわりに暑さを感じない。
二匹の後ろを歩く時彦は、最近鳴き始めたミンミンゼミの鳴き声に鬱陶しさと懐かしさを感じた。
しばらく歩くと、スヴァリアとカヤンがある家の前で止まった。
「ん? お前らどうしたんだ――」
柵から家をジッと覗くスヴァリアたちに時彦が首を傾げた瞬間。
「ワンッ! ワンワンワンッッ!!!」
「うおっ!?」
鎖に繋がれた柴犬が、ガンッと体を叩きつけるように柵に飛びつき、スヴァリアたちに向かって吠えた。時彦が驚く。
「ワンワンワンッ! ガゥゥグルルルルル!」
「にゃ~にゃ~にゃ」
「きゅ~きゅ~きゅ」
「ワンワンワンッ!!」
柵で絶対に襲われない自信があるのか、スヴァリアとカヤンは呑気に鳴く。それはまるでおちょくるかのようでもあり、柴犬は更に吠える。
そしてスヴァリアとカヤンは時彦を見た。
「んな?」
「きゅ?」
「……いや、面白くないし、楽しくないんだが。これが散歩のノルマか?」
「にゃ」
「きゅきゅきゅう」
「これがその一つって……」
柴犬が吠えている様子を面白がっている二匹に時彦は両目を吊り上げた。
「あのな、スヴァリア、カヤン。向こうが繋がれて柵を乗り越えられない事をいいことに、
大きな声ではないものの、強い声音で言い切った時彦の表情は怒っていた。
と、その時、
「ワンワンッッ!! ガゥグルルル~~ワンッ!!」
「えっ、ちょっ!?」
「んにゃっ!?」
「きゅうっ!?」
繋がれていた鎖がいつの間にか外れており、柴犬はジャンプして柵の
「ちょ、落ち着いてくれぇぇ~~っっ!!」
「にゃにゃにゃ~~~!!」
「きゅう~~~~」
柴犬の凄みのある迫力に思わず逃げてしまう時彦。もちろん、柴犬に敵意を叩きつけられているスヴァリアとカヤンも全力疾走する。
「あ、キャンディー! 何してるの!?」
遅れて柴犬の脱走に気が付いた飼い主がそれを追いかける。
そしてに夏の空の下を逃げ回る事、十分近く。
時彦と飼い主がどうにか
「隣駅まで来てしまったな」
時彦たちは近くの公園のベンチで一休みしていた。
「にゃ……」
「きゅう……」
隣で項垂れるスヴァリアとカヤンを見て、時彦は溜息を吐いた。
(痛い目は見たし、反省しているようだが、それでもしっかり言わないとな。ただ、紅華と司乃さんたちの教育方針もあるだろうし、そこら辺はすり合わせないと)
そう考え、時彦は厳しい口調で言った。
「二人とも。帰ったら紅華と司乃さんも交えて説教だからな」
「にゃにゃ……」
「きゅきゅう……」
更に項垂れる二匹から視線を外した時彦は、軽く公園を見渡し、ある光景を目にした。
「もっしゅっ。もっしゅ~! もっしゅしゅぅ~~!」
一頭身半くらいの真っ白な丸い生物が、滑り台の柵の間に体を挟まれ、バタバタと藻掻いていたのだった。
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