第18話 自ら飛び降りる系ヒロイン
それは猫にも似た姿をしていた。
体長は猫より少し大きく、胴体部分は細い。体毛の代わりに青白く光る鱗を持ち、また、首の付け根あたりから青白く光る鱗を連ねた
エンガニャール。空間操作と幻惑を得意とする妖精。
「エグニャ! エグニャ!」
エンガニャールは、時彦がカヤンたちのために持ってきたクッキー缶に顔を突っ込み、クッキーを
時彦と紅華はもちろん、クッキーを食べていたところに横やりが入ったカヤンたちも口を大きく開け、呆然としていた。動けないでいた。
「ッ!」
紅華が誰よりも早く我を取り戻す。
片方の手で脇に置いていた箒を掴み、同時にもう片方の手のひらをエンガニャールへと向ける。桜色の光で編み込まれた網を魔法で作り出し、放つ。
「エニャッ!? ンガニャ!!」
「ッ、逃がしませんっ!」
桜色の光の網は一度、エンガニャールを捕らえた。しかし、エンガニャールは周囲に揺蕩わせていた二本の鱗の帯を振るい、桜色の光の網を切り刻む。
同時に真上へ大ジャンプ。空間操作の応用か、空中を蹴りながら物凄い勢いで逃げようとした。
だが、紅華は逃がさない。箒に飛び乗ると姿勢を低くして、垂直に飛び上がり、エンガニャールを追いかける。
エンガニャールは縦横無尽に空中を蹴り、紅華の追跡を
(おかしい。何故、
急転回や急降下などによる風圧やGに耐えながら、紅華は注意深くエンガニャールを観察する。
今までエンガニャールは捕まえられる寸前で、転移を使って逃げていた。
ただ、その前。つまり、紅華たちに追いかけられているときは、
なのに、エンガニャールは今それをしない。逃げているだけ。
と、紅華はあることに気が付く。エンガニャールは鱗の帯でクッキー缶を背中に括りつけていたのだ。
(クッキー缶が邪魔で
そして、そこから推測できることは。
(クッキー缶……いや、中のクッキーを手放したくない?)
確かに天井さんのクッキーは、今まで食べた中で一番と思えるほど美味しいですが……
頭の片隅でそんな事を考えながら。
(なら!)
あることを思いついた紅華はグッと歯を食いしばって箒を一気に加速させた。エンガニャールの頭上へ移動する。
「ハッ!」
「ンガニャッ!?」
そして紅華はグルンッと反転。自分自身を地面に叩きつける勢いで箒を蹴り、真下にいるエンガニャールへと跳んだ。覆いかぶさるようにエンガニャールに手を伸ばした。
紅華の暴挙にエンガニャールは驚愕しながら、転移で逃げようとした。だが、その前に紅華の指先が触れる。
「エグニャ!!」
エンガニャールは転移で逃げた。
「春風ッ!」
紅華が物凄い勢いで真っ逆さまに落ちる。このままでは、数秒もせずに地面に叩きつけられるだろう。
しかし、その前。
紅華が箒から飛び降りる
空中で紅華をしっかり受け止め、浮遊の魔法で落下速度を相殺しながら、紅華を地面に降ろした。
「天井さん、ありがとう――」
紅華は礼を言おうとして、それを遮るように時彦がガッと紅華の肩を掴み、怒鳴る。
「あんな勢いで飛び降りて何考えてんだっ! 死ぬかもしれなかったんだぞ! いくら初めての仕事だからって、そこまですることないだろ! 馬鹿なのかッ!」
そう怒鳴った時彦の表情は酷く青ざめていて、黄金の目は泣きそうなほど歪んでいた。
紅華は面食らう。数秒、マジマジと時彦の顔を見て、申し訳なさそうに、それでいて嬉しそうに微笑んだ。安心させるように肩を掴む時彦の手に触れ、目を伏せる。
「心配かけて、ごめんなさい」
「…………本当に焦ったんだ」
消えてしまいそうなほど小さな呟きに、紅華は柔らかく目を細めた。
「本当にごめんなさい。それと、心配してくださりありがとうございます。嬉しかったです」
「ッ」
紅華の真っすぐな微笑みに、時彦は太陽の光から目を逸らすように顔を伏せた。それから心を落ち着かせ、静かに尋ねる。
「……それで、なんであんな暴挙に出たんですか?」
「ああ、それはこれを取り戻すためです」
紅華は指揮棒のように人差し指を振る。すると、頭上から箒が降りてきた。その箒は器用にクッキー缶を載せていた。
「なんで、これが……?」
「エンガニャールの転移寸前に、転移妨害の魔法を掛けたんです。まぁ、魔法陣なしの即席だったためエンガニャールには逃げられましたが、クッキー缶の転移は妨害できました」
紅華は箒に載せていたクッキー缶を手に取る。
「それで、天井さんが私を受け止めてくれそうだったので、邪魔にならないように追随させていた箒に載せたんです」
「えっ」
紅華の言葉の意味を直ぐに理解する。
自分に箒を追随させていた。しかも、エンガニャールから取り返したクッキー缶を箒に載せる余裕すらあった。
つまり、時彦が助ける必要は一切なく、紅華は追随させていた箒で直ぐに復帰できたということ。死ぬかもしれない状況なんて、なかったのだ。
時彦の顔はみるみるうちに赤くなっていく。
「…………考えてみれば、春風さんが無策であんな暴挙に出るわけないのに。なのにあんなに焦って」
顔や耳を真っ赤にしながら、時彦は恥ずかしそうに落ち込んでいく。膝を抱えてしまう。
失言を自覚し、紅華が慌てる。
「あ、天井さんは悪くないですよ! 悪いのは心配を掛けた私です! 誰だってあの状況なら焦りますよ!」
「……けど、あんなに怒鳴って。しかも、暴言まで吐いて」
自己嫌悪に
「春風さん。怒鳴って、馬鹿と言って悪かった。……大体、僕なんかが春風さんを心配すること自体おこがましかった――」
「私を心配して必死になった天井さんは間違っていません! それにあれは怒鳴りでも暴言でもなく、
「………………」
紅華が時彦の頬を両手で挟み、強制的に顔を上げさせた。キッと吊り上げた目で時彦に強く訴える。
だから、目を逸らせない。その眩しさを直視するしかない。時彦は呆然とした。
時彦の反応に紅華は恥ずかしくなり、慌てて話を変える。
「そ、それより天井さん。今度こそエンガニャールを捕まえますよ!」
Φ
時彦たちは神社の物陰で、賽銭箱の前を監視していた。
「本当に来るのですか?」
賽銭箱の前にはクッキー缶が置かれており、その周囲には魔法陣がいくつも描かれていた。
どう見ても罠だ。これにひっかかる間抜けなどいなだろう。しかし、サカエルを肩に乗せた紅華は自信満々の表情を浮かべている。
「本職の人が作ったそれに劣らないほど美味しいクッキーがあるんです。来ない方がおかしいです。それにエンガニャールは私たちを
「……前半部分は兎も角、後半は確かにそうですけど」
微妙な表情を浮かべつつ、時彦はジーっとクッキー缶を見つめる。
と、クッキー缶の周りがグニャリと歪み、次の瞬間エンガニャールが現れた。キョロキョロと辺りを見渡し、魔法陣に気が付きつつもクッキー缶に顔を突っ込み、クッキーを食べ始めた。
紅華は、エンガニャールが本当に現れて唖然とする時彦や、自分たちのクッキーを食べられて悔しそうにしているカヤンたちを見やる。
「では、作戦通りに頼みます」
「……はい」
「きゅ」
「にゃ」
紅華は箒を片手に高く浮き上がる。
緊張した面持ちの時彦は肩にカヤンを乗せ、スヴァリアと共に神社の物陰から出た。ゆっくりとエンガニャールへ近づく。
エンガニャールが時彦たちに気が付き、クッキーから口を離す。
「エグニャ?」
「ッ」
時彦たちは足を止めた。エンガニャールはジーっと時彦たちを見た後、興味を失ったかのように再びクッキーを食べ始める。
ほっと息を吐いた時彦たちは手で触れられるほどエンガニャールに接近した。
しかし、エンガニャールは大して警戒する様子もなくクッキーを食べていた。時彦たちには絶対に捕まらないという自信があるのだろう。
それでいい。
紅華の作戦通り進んでいることに安堵しながら、時彦は口を開く。
「お、美味しいか?」
「……エグニャ?」
「それ、僕が作ったけど、美味しいか?」
時彦は警戒を抱かせないように微笑みを浮かべる。
「ング。ンニャ?」
「ああ、僕が作った」
「エンッ。ングガっ。ンニャッ!!」
「それは、ありがとうな」
クッキーをたいそうお気に召していたらしい。土下座する勢いで味の感想を伝えるエンガニャールに、時彦は苦笑した。
妖精や精霊にも種類があり、自我が薄いタイプ、自我があっても言葉が通じないタイプ、自我があって言葉が通じるタイプなどがいる。それは種族によっても異なるし、個体によっても違ったりする。
(
どうやら、エンガニャールは言葉が通じるタイプらしい。
「なぁ、もっとそのクッキーを作るから僕と一緒に来ないか?」
「……エグニャ」
「そうか……」
少し悩んだあと、エンガニャールは首を横に振った。
その答えに時彦は残念そうに顔を伏せ、
「今です、春風さん!」
神社の上で魔法の準備をしていた紅華に合図をだした。同時に時彦たちの周囲に描かれた魔法陣の一部が輝き出したのだ。
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