同情はまとめ買いしろ
会話に時間をとられた。
今からのんびり崖を降りて、道のど真ん中でさぁ来いと待ち構える猶予はない。
「これ頼んだ!」
俺は即座に抱えていた赤子と銃を4606に押しつけると、その勢いで崖を飛び降りた。
ピアスは落とさないように強く握りしめる。後ろから4606の制止の声が聞こえた気がした。
だが飛び降りるとは言っても、ここは垂直の断崖絶壁などではない。
少しばかり傾斜はきついが、崖としては多少なだらかな……まぁ、急勾配だ。こんな状況でもなければ、飛び降りようとは絶対に思わなかっただろう。なんならワンチャン死ぬ。
ちょっと早まったかもしれない、と頭の中の冷静な部分が今更告げる傍ら、いやここはファンタジー世界で自分はファンタジー生物エルフだ、ならばファンタジーの登場人物がよくやっている、スタイリッシュ崖下りが出来るに違いない、と瀕死ハイな思考がささやく。
内なる自分に促されて、あの立ったまま崖をズザザザッと格好良く降りるアレをやろうとした次の瞬間、俺はもう急勾配を転げ落ちていた。
当然である。万全の状態でもやれるかどうか怪しいことを、瀕死の状態でいきなり出来るわけがない。
山肌を三メートルほど滑落した俺はそれでも当初の予定通り、馬車が通り過ぎる前に華麗なるヘッドスライディングで道の真ん中へとぎりぎり滑り込むことが出来た。
ぎりぎりすぎて、驚いた御者が慌てて馬を止めるのがあと少し遅れていたら、命乞いの間もなくきたねぇトマトになるところだった。
「何があった!!」
「ひ、人が突然、上から……!」
しかし、結果的にこれは悪くない状況だ。馬車のほうから聞こえてくる人々のやりとりを聞きながら、内心ほくそ笑む。
ずたぼろのボロボロの泥だらけで、崖の上から惨めに転がり落ちてきたエルフの少年(百数歳)は、どこからどう見ても被害者といった様相に仕上がっている。
いや実質的にも間違いなく被害者ではあるのだが、こういうのは見た目や振る舞いなどの“らしさ”も大事なファクターだ。
多くの人が同情したくなるのは、厳密に言えば“被害者”ではなく、“被害者のように見える人”である。
大多数の他人にとって真実や過程などは二の次。人々の目から今この瞬間“かわいそうに見える生き物”がより多くの同情を買うのだ。
さらにそこへ真実が伴っていれば鬼に金棒、エルフに実験体生活。よって間違いなくかわいそうな生き物に見える今の俺は、まさにバフ特盛り状態。
さぁ来い人間。同情をダース買いだ。
脳内でプランを整えつつ、馬車から降りてきた人々がこちらに近寄ってくる気配を感じて、よろよろと上体を起こして俯きがちに座り込む。
人間たちは手にしていたランプを掲げて俺を照らすと、彼らはまず驚きに息を飲んだあとで、一気に騒めき出した。
「おいおい、こりゃあエルフじゃないか!」
「珍しい……どころの話じゃねーな、初めて見たわ」
「だが何故こんなところに? しかも、こんな……」
よしよし、悪くない反応だ。
商人ギルド直轄の自警団というからには、そこまで世紀末みたいな思考のやつばかりは乗ってないだろうと思っていたが、どうやら当たりだったらしい。
相手の頭が世紀末なら世紀末でやりようはあるにせよ、即座に襲いかかってこない程度の理性があるならこっちのもんだ。
駄目押しに怯えた表情でゆっくりと顔を上げた俺は、目に飛び込んできた光景にぴたりと動きを止めた。
上目遣いにするはずだった目を思わずかっぴらいて、愕然とする。
「…………く、」
くま。
俺の目の前には、熊が立っていた。
熊っぽい男、とかではない。クマだ。たぶんヒグマだこれ。
完全に想定外である。世紀末のほうがまだマシだった。
相手が熊では、いくらエルフのツラがよかろうが、俺がしこたま媚びを売ろうがなんの効果もない。
体長二メートルはあろうかというその熊は、ぐっと身を屈めて俺に顔を寄せ、口を開く。いや終わった。
「可哀想に。ボロボロじゃねえか」
そのまま美味しく頂かれて食べ残しの体を土饅頭にされる己の未来を思い浮かべていたのだが、熊の口から飛び出してきたのは、なんと流暢な共通言語であった。
は???? と今まで演出した儚さを台無しにする声が喉の奥から漏れそうになったとき、突如崖の上から響いてきた物音がありがたくもそれを遮った。
「お頭! 誰かいる!」
「……こっちに降りてくるぞ!!」
そういえば“頼んだ”とは言ったが“待機しろ”とは言わなかった。
なんなら“とっとと行くぞ”とまで言ったことを思い出す。
見上げれば、赤子と銃を片腕に抱えた4606が、俺がやりたかったスタイリッシュ崖下りスタイルでこちらに滑り降りてくるところだった。
「…………っ、」
間もなく地に降り立った4606は、よろけて一度膝をつく。
単純に弱っているせいなのだろう。無様に転がりまくった俺とは違い、出来るはずの動きに今の衰弱しきった体がついてこられない、といった雰囲気の転び方だった。
しかし4606はすぐさま立ち上がると、俺と熊の間に滑り込んで威嚇するように熊たちを睨みつけた。
なおさっきは熊の衝撃で見えていなかったが、周囲にはちゃんと普通の人間たちもいて、熊なのは一匹だけだった。いや一匹でも普通にヤバいのだが。
人間たちは突然の乱入者を警戒して各自武器を構えようとしたが、熊がすっと手を挙げてそれをやめさせた。
それを見て、俺の中の“長いものにはぐるんぐるんに巻かれろ”センサーが、今この場で一番“長い”のはこの熊だと示して鳴り響く。
「4606!」
すでに戦闘態勢を取っていた4606を急ぎ呼び止めると、長い牢屋付き合いのルームメイトはそれだけで何やら察してくれたようで、眼前の人間(と熊)たちから目は離さないままに俺のほうへ一歩下がった。
それを見届けてから、俺も足に力を入れて立ち上がる。ただでさえ瀕死のところへ崖から転げ落ちたせいで輪をかけてフラッフラであるが、4606がどうにか支えてくれた。
赤子も銃も持たせたままなのにその上俺まで半分持たせるみたいになって悪いなと思わないでもないが、ぶっちゃけ楽なのでそのまま支えといてほしい。人という字はエルフとダークエルフが支え合って出来ているに違いない。
「……お願いします。僕たちを、たすけてください」
突然の熊に混乱はしたが、意識を立て直す時間は4606に稼いでもらった。
なら、あとは俺の仕事だ。
熊をまっすぐに見据えて、なるべく縋るような声で、しかし心からの要望を告げると、熊の瞳が揺らいだ。
話が通じて、俺たちに同情するぐらいの意思があるなら。たとえ熊であろうと。
「あんた達! いつまでぐずぐずやってるんだい」
いける、と思ったところで、馬車の中からまた別の声がした。女の声だ。
ああもう次から次へと。
ごつりごつりとブーツの音を響かせて馬車から降りてきたのは、焦げ茶色の長い髪をぴしりと結い上げた、三十代半ばほどの女性だった。
その人物の頭には、髪と同じ色をしたふわふわの丸い耳が二つ。作り物ではない質感を持ったそれは、目の前にいる熊の耳と非常によく似ていた。
彼女は他の人間たちと同じ、動きやすさを重視した揃いの制服のようなものを着ている。腰元には大降りのナイフが一本。
熊はすぐさま彼女のもとへ歩み寄ると、その耳元へ顔を寄せた。
「……助けて欲しいって? あいつらが?」
そうして、すっとこちらを向いた見定めるような鋭い視線を受けて、俺は察する。
ああ、一番“長い”のは熊じゃない。
こっちだ。
「で、交渉役はあんたかい? エルフの坊や」
熊耳の女性が、茶色の瞳にひたりと俺を写して笑う。
他のメンツは情に訴えかければどうにかなりそうだったが、冷静さをたっぷり残したその目を見るに、おそらく彼女はそれだけでは動かないタイプだろう。
緩みかけていた意識を素早く引き締める。ここが正念場だ。
「……はい」
「なるほど。じゃあ次に、あんた達の要望は?」
「どうか、僕たちを街まで乗せていってくれませんか。後のことは自分たちで何とかします。ご迷惑はかけません」
欲を言えば食料も欲しいし治療もしてほしいし街で宿とかも紹介してほしいが、そんなのは二の次だ。ここは最低限の要求のみに留める。
それにこちらから要求せずとも、とにかく馬車に相乗りさえ出来れば道中で他のお人好しそうな人間が何かしら恵んでくれるだろう、という打算も込みの提案であった。が。
「ふん、それを言うなら、今のこの状況がすでに迷惑さ。本当に迷惑をかけるつもりが無いってんなら、さっさと進路から退いてほしいもんだね」
そりゃそうだ。俺でもそう思う。
だがこちらとしても簡単に退くわけにはいかない事情があるのだ。何せ瀕死だ。退いたら多分死ぬ。まさに背水の陣である。
「それは……あの、すみませんでした。でも、僕たちはもう、あなた方にお願いするしか……」
「エルフとダークエルフが仲良く一緒にいるってだけでも十分に異常事態なのに、その上ふたり揃ってボロ切れみたいなザマで、なおかつ人間の赤ん坊まで連れている。まったくわけがわからないよ。どっからどう見ても厄介事だ」
そりゃそうだ、と二回目の同意を心の中で唱える。
俺たち二人の件はまだともかく、赤ん坊については俺だって訊きたい。なんだこの状況。
あぶあ、とタイミング良く赤子が相槌みたいな声を発した。
「…………、あたしらも慈善事業じゃないんでね。誰も彼もと手を差し伸べた結果、本当に守りたかったもんを守れなくなるんじゃ意味がない」
なるほど、正論だ。こんな場面でなければ諸手をあげて賛成したい意見だ。
俺も俺自身を犠牲にして俺以外を守るつもりは毛頭ない。
だがスラファトとの契約の関係上、俺を守るためにはあの謎の赤子も守らなければならない。
そして戦闘力皆無な俺と赤子を守るためには、出来ればなんか強そうな4606にも生きていてもらったほうがいい。
で、俺たちが揃って生き残るためには、ここで馬車に乗せてもらうのが今のところ一番確実なのである。
どうにか交渉の余地はないかとシャットダウン寸前の頭を巡らせていると、意外なことに、希望の糸は相手のほうから垂れ下がってきた。
「だから、助けてほしけりゃ、それ相応の見返りをよこしな」
あたしらは商人ギルド直轄の自警団であると同時に、商人ギルドの商人でもある、と彼女は不敵に口の端をあげて言う。
「とんでもない厄介事のあんたらを街まで運ぶ。その馬車賃に相当する価値の“何か”を、あんたがあたし達に提供出来るなら、あたしらも商人として責任持って“配達”を請け負うさ」
鋭い視線を送る4606に怯えもせず、堂々と言い切った彼女の言葉を聞いて、俺は背筋に電撃が走った気がした。
それは例えばおみくじで大吉を引いたような、最初に配られたカードでロイヤルストレートフラッシュが揃っていたような、ガチャでSSR三枚抜きをしたような……いや、なんでもいい。
とにかく、それは、勝ちを確信したときに走る衝撃だった。
「……ふふ」
思わず口元を緩めてしまった俺を怪訝そうに見る彼女を、今度は俺のほうからまっすぐに見返した。
そして今までの間に自動吸収で溜まった僅かばかりのマナを総動員して、風を指先にまとわせる。
「魔法を使う気か?」
「構えろ!!」
大規模な魔法を警戒する人間の皆様には申し訳ないが、魔法下手な俺にはこうして、ぎりぎり果物の皮がむけたり紙が切れる程度の風カッターにするのが限界だ。
これを飛ばしたりも出来ないし、暗殺者みたいな使い方をしようにも俺に武術の心得はゼロ。とても実戦になんて使えない。
だが今はそれで十分だった。
「は、」
誰かの間の抜けた声が聞こえた。
熊耳の女性が、驚いたように目を見開く。
「──“エルフは高く売れる。体の一部でも”」
仲間の“処分”をしていた兵士たちが時々そう言っていた。
死体だろうとバラして市場に流せばべらぼうに高く売れるだろうに、もったいない、と。
「この髪も。……そうでしょう?」
俺は軽くなった頭を緩く振って、手にしたものを彼女の方へと差し出した。
その手の中では、たった今ばっさりと切り取ったばかりの長い金糸の髪が、風になびいている。
「これは慈善事業じゃない、れっきとした取り引きです。これをあなた方に“売る”代わりに、僕らを街まで“配達”してください」
生産者の顔はご確認の通り。
正真正銘エルフの髪だ。
どうですか、悪い取り引きじゃないのでは?
……とまで、言えたかどうかは覚えていない。
なにせ瀕死につぐ瀕死の上に、なけなしのマナを風カッターで使い切り、エルフにとって大事なマナ貯蔵庫であるらしい髪まで盛大に切り捨ててしまったので。
俺の意識は、ここでぶつりと途切れていた。
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