長いものにはダッシュで巻かれろ
軽率に意識を失わないための切実な暇つぶしとして延々と4606の髪に三つ編みを作っていた俺は、三十三本目の三つ編みが完成したところで突如として響いた爆発音に驚き、三十四本目の一部になるはずだった髪を取り落とした。
同時にそれまでぐったりと壁にもたれていた4606が、即座に身を起こして警戒態勢を取る。もうろくな体力も残ってないだろうに見事な手負いの獣っぷりである。
手負いでも万全でもそんな俊敏な反応など出来ない俺は、凡庸な速度で音が聞こえた方向に目をやった。
よく聞くと爆発というより破壊音と呼んだほうがよさそうなその音は、研究室の外から断続的に響いている。
牢屋の前では、看守たちがなんだどうしたと混乱した様子を見せつつも、油断なく銃口を部屋の入り口へと向けていた。
音が近づく。
そして。
部屋の入り口が、弾け飛んだ。
まるで巨大な鉄球を叩きつけたかのように、周辺の壁もろとも吹き飛んだ扉が、その直線上にあった全てのものをなぎ倒しながら反対側の壁面にぶち当たる。
その光景を呆然と眺めていると、もうもうと立ちこめた煙の奥から人影が現れた。
十歳くらいの小さな人間の女の子が、壮絶な破壊の跡を悠々と歩いてくる。
銀の長髪を、瞳と同じ青色の花飾りでまとめた少女のポニーテールが、この緊迫した空間に場違いに美しくなびいていた。
「ス、スラファト様! これはいったい……ぎぁっ!!」
「ひっ、なんで……!! ぎゃあ!」
スラファト、と呼ばれた少女は、牢屋の前にいた看守たちを真顔で次々と殴り殺していく。
細い腕。小さな手。通常なら何の脅威にもならないはずの子供の拳が振るわれるたびに、赤が弾け散る。
それこそ看守たちのほうが柔らかいトマトか何かで出来ていたに違いないと信じたくなるほど、いともたやすく。
いや、……いや、俺置き去りのスピード展開すぎてわけがわからん。なんだ? 俺がいるのはファンタジーかと思ったらスプラッタホラーの世界だった?
マッドな実験とはまたベクトルの違った惨劇が目の前で繰り広げられる中、もはや呑気にそんなことを考えるしかない俺とは違い、4606は最大警戒といった様子で息を殺して、その殺戮少女の一挙手一投足を睨みつけている。
少しは見習うかと俺も少女を観察してみると、先ほどから彼女が右腕のみで看守をフレッシュトマトにしていることに気づいた。それと同時に、左腕に何かの包みを抱えていることも。
なるほど、あれを持っているから右しか使わないのか。いや右だけでもだいぶ過剰戦力のようだが。
やがて看守を全てトマトにし終えた彼女は、いよいよこの牢屋の前に立ちふさがった。
血塗れの少女が、ぎらつく瞳で俺達を見据える。
「エルフ」
「はい」
まさかのご指名である。
4606が威嚇するように前に出てくれたが、名指しされては逃げも隠れも出来ない。おとなしくよい子の返事をする。
ここで改めてもうひとつ気づいたが、彼女は俺たちが着ているのと同じ、そっけのない入院着みたいな服を着ていた。
もしやお仲間……と思いたいところだが、先ほどの看守の反応からして、この場において彼女は
彼女は血で染まった右手をおもむろに服のポケットにつっこむと、そこからふたつのものを取り出した。
見えやすいように掲げられたそれが何かを確認して、思わず目を見開く。
「あんたの母親のピアスと、手錠の鍵。これをあげる代わりに、アタシの言うことを聞きなさい。そうしたらここからも逃がしてあげる」
お得な取り引きでしょ、と淡々と告げてくる少女に、4606が低く唸るような声を上げた。
「何を企んでいる」
「ダークエルフに聞いてるんじゃないんだけど」
「そんなに上手い話があるわけがない。
「やります!!!」
「はっ?」
諸手を上げてイエスを唱えた俺を、4606が目を丸くして振り返る。
何言ってんだこいつとばかりの困惑に彩られた隻眼に、笑顔でサムズアップを返した。
「あ、ちなみにこっちの彼も一緒に逃がしてくれたりは……」
「別にいいわ。一人も二人も変わらないもの」
まず第一に、俺は大人しく捕まる以外に生き残る方法が無かったから投降したし、現状では実験体として過ごす以外に命を引き延ばす方法がなかったから従順エルフをやっていた。
だがここにいる限り、どれだけ先延ばしにしようとも、最後にたどり着くのは死の一択だろう。ならばたとえ2%程度だろうと他に生還の可能性があるなら飛びつくしかない。
そして第二に、俺は自分にとって有利に働きそうな長いものには全力で巻かれにいく
これまではそれが看守や兵士、研究者たちだったが、今この瞬間、この場所で一番“長いもの”は間違いなく彼女だ。
「……本気か」
「そもそもの話、この状況で僕に選択肢あると思います?」
牢屋の中で、手錠付きで、しこたま弱り切っている俺達が。
牢屋の外で、たった今素手で壁をぶち破り、看守をトマト祭りの刑に処した少女に。
──“言うことを聞け”と言われたら、“ハイ喜んで”以外に返せる言葉はないだろう。
ならば開き直って全力で媚びを売るほうが建設的だ。
俺のそういうやり方を牢屋シェアハウス中に散々見てきたであろう4606は、眉間にしわを寄せつつも小さく息を吐いて、好きにやれとでもいうように口を閉ざした。
さすが校庭に迷い込んだ捨て犬仲間。理解があって助かる。
あと今更だけど俺が千本三つ編みチャレンジしてたせいで髪半分三つ編みのまま真面目な話しなきゃいけなくなってるの申し訳ないなとも思っている。
「話は済んだ? ならさっさと行くわよ」
言うが早いか、少女は牢の入り口を思いきり蹴り飛ばした。
鉄の扉が盛大な破壊音とともに吹き飛んで、奥の壁に叩きつけられる。ぐにゃぐにゃになった鉄格子を見て、逆らわんどこ、と改めて心に誓った。
そして少女は足下に転がっていた元看守の銃をひとつ拾い上げてから、踵を返して歩き出す。俺達の牽制用だろうか。別にそんなものなくても、彼女なら拳一つでトマトエルフに出来ると思うが。
内心首を傾げつつ、長年過ごした牢屋を名残惜しくもなんともなく後にして、ぐらつく体を4606と支え合いつつ少女の小さな背を追う。
破壊音の具合からなんとなく想像はついていたが、研究室の外もあちこち壊れまくっていて、通路には看守たちと同じ元人間であろうトマトが散乱していた。
今更その程度で取り乱しはしないが、せっせと保った正気が仕事をしてくれているおかげでめでたいことに気分はよくない。いや、ここ最近は実験のダメージで物理的に気持ち悪い状態が常時続いていたのでそれかもしれないが。
なるべく周囲を見ないよう、脳内に颯爽と進むボートの映像などを思い浮かべて気を逸らしながら黙々と歩き続け、やがて少女が立ち止まったのは何もない通路の途中だった。
彼女がそこで何の変哲もない壁をこつりと叩くと、どこからか石や歯車が擦れ合うような音が聞こえて間もなく、壁であったはずのその場所には一本の狭い通路が出現していた。
「これ」
初めて見たリアル隠し通路に心を躍らせる暇もなく、少女は今までずっと小脇に抱えていた包みを俺に押しつけてくる。
腕に乗せるようにしてどうにかその荷物を受け取ると、そこでようやく鍵を使って俺の手錠を外してくれながら、彼女は言った。
「決して“これ”を奪われず、損なわず、逃げ続けなさい。もしも途中で投げ出したら、どこにいようと必ずあんたを殺しに行くわ」
「期間、いつまで、とかは……」
「アタシが良いと言うまでよ」
あっハイ。
推定十歳の少女に低姿勢のエルフ(百数歳)の図ちょっとうけるな、と半ば他人事のように思いつつ、サイズのわりにはずっしりと重い包みを自由になった両手で抱え直した。これが俺の命綱である。大事にしなければならない。
「そっちのやつの鍵はあんたに渡しとく。でも手錠を外すのはここを出て行ってからにしてよね。そいつ、ぼろぼろのくせに、いざというときはアタシの喉笛噛み切ってやろうみたいな目してる」
死にかけのダークエルフに負ける気はないけど時間かけるのも面倒くさいから、と言って渡された鍵を受け取り、従順にハイと頷く。
俺としてもここで揉めるメリットはないので、4606にはもう少し我慢してもらおう。
「あと、これ。あんたの母親の形見」
「……ありがとうございます」
「それとこれも」
約束していたのは手錠の鍵と母親のピアスだけだったはずだが、彼女は最後に、先ほど拾ってきた銃を俺に差し出した。
「あんたエルフなのに弱そうだからあげる」
お気遣いいたみいります。
エルフの代名詞ともいえる自然魔法を未だに使いこなせない俺は実際エルフの中でも最弱であるので、ありがたく受け取っておく。
「じゃあ、とっとと行って」
「わかりました」
ピアスと、謎の荷物と、銃。
それらをしっかりと抱えて、暗く細い通路に体を滑り込ませる。
4606も同じく続いたところで先ほどと同じ音を立てて入り口が閉じていき、かろうじて差し込んでいた一筋の光もすべて消え失せた。
退路のない完全な暗闇。本能的な恐怖を煽られることこの上ないシチュエーションだが、後はもう一本道であることを願って壁伝いに進むしかない。
「あ、ちょっと適当に僕の髪とか掴んどいてもらっていいですか? はぐれないように」
「何故、髪……」
「一番掴みやすいかなって」
こんな時くらいこの邪魔な長髪も役に立たないかと思ったのだが、4606は短い沈黙の後、そっと俺の肩へ手を置いた。やっぱり無駄に長いだけだなこの髪。
もう止めてくる相手もいないのだし、生きてここを出られたら今度こそきれいさっぱり切ろう、と心に決めつつ、闇の中を歩き続けることしばらく。
闇の奥に、ぽつんと浮かび上がる淡い光。
出口だ。おぼつかない足を必死に動かして、待ち望んだその光の中に飛び込む。
実は行き止まりだとか、兵士がずらっと待ちかまえてるとか、色々最悪の想定もしていたのだが、そこはひと気のないどこかの山の中だった。
木々の合間から差し込む月明かりが暗闇に慣れた目を容赦なく照らすのに目を細めながら、ようやく肩の力を抜く。
「はー、月ってこんなに明るかったんですね」
「……眩しい、目が痛い……」
「おんぎゃあ」
おんぎゃあ?
突如耳に届いた聞き慣れない響きに二人そろって動きを止める。
お互いを見て、今のが自分たちが発した音ではないことを確認し、周囲をざっと見回す。森だ。人っ子一人いない。
「んぎゃあ」
再度響いた音。
その発信源を辿っていけば、そこには俺が腕に抱えた謎の荷物。音は確かに“それ”から聞こえている。
おそるおそる包みを開くとその中には。
「あぁう、ぶあ」
──人間の、赤ん坊が、いた。
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