静謐

腕時計

第1話,1

一度よく考えてみてほしい。自分の中にもう1人自分がいて、否定のしようがないこと。その自分が今までの自分と全く異なっていても自分であることを理解するときの難しさを。

 

目を開けたら、全然違う景色にいる。

目を開けたら、どこからのものかもわからない廃棄物を漁っている。

目を開けたら、山の中で筍の皮を食べている。

 

"彼女"は異常なことができるらしい。ただその内容は自分は知らない。近づいたら逃げていく。ただ、夢の中に彼女が出ることがある。

 

図書館の中、司書が座るような大机の奥に彼女がいた。こっちを見て、少々怯えているようにも感じる。

 

「何か?」

 

ぶっきらぼうに言われた。長らく言葉を喋っていないのか音程が変だった。

自分は声を出さず、図書館の奥に進む。一つ、目的の本を見つける。白のカバーに金色の字、如何にも胡散臭くも感じるが、貴重なものだと思ってしまったからには、それを読むほかないだろう。

ふと気になったので、彼女の方を見る。彼女も彼女で暇なのかペンを弄んでいる。

自分は本を数ページだけ読み、借りることに決めた。彼女にいる机へと向かう。

 

「これ」

 

本を差し出す。

 

「また変な本借りるね」

 

彼女はそれだけ言って立ち上がる。机の背面にある無数の引き出し。彼女はその本の番号のマスを開け、薄茶色に変色してしまっている紙を取り出す。こっちに戻ってきて、紙を受け取る。

これに自分の名前、登録番号を書く。

 

「2週間後に返却...って言っても無駄...でしょうね」

 

呆れたようにため息をつきながら言った。

 

「この前は返しましたよ」

 

そう反論するが、既に滞納しているのは事実なのでこれ以上は何も言えなかった。

 

「すぐに返してね」

 

その言葉を受け流し、図書館を出る。それと同時に意識が覚醒した。

 

腕を組み、天井を向いていたまま寝ていたらしい。カーテンがあるにしろ日光は未だ眩しく、すぐに起き上がった。机の上に前夜、半ば放り出したメガネを掛け、机の上にある本に気がつく。あの本だ。手に取り、続きを読み始めた。

 

「ーーー彼は優秀な医者でした。しかし、医者という人を救う職業をしているのに死刑執行人という別の顔を持っていたのです...なんと数奇な出会いか、彼は彼自身で最も尊敬している人物を自らの手で処刑したのです。彼の人生は壮絶そのものでした。えぇ、何も、その処刑こそが彼の全てというわけではなかったのですから。彼は相反する二つの社会的立場を弁え、他人にとって一番良い選択となるよう熱心に励んでいたのです。」

 

古臭い伝記がつらつらと並べられていた。それらを椅子にも座らず、部屋の中を徘徊しながら読んでいると部屋がノックされた。

 

「リバ、起きているか」

 

その声に聞き覚えはない。つまりは知らない人だった。

 

「誰ですか」

 

その返答に、少々相手は驚いたようだった。とりあえず、扉に近づく。

 

「昨日とは全然違うっていうことは、お前が本当のリバなのか?」

 

独り言のように扉の外に人物は喋っていた。

 

「リバ。確かにそれは私の名前です。しかし、あなたを知らないんです」

 

恐る恐る、そして少しだけ、ドアを開ける。チラッと見えたその人物は白衣を着ていた。だが、やはり身に覚えはなかった。人物は、扉を開けたことを確認すると瞬時にドアに手を掛け、強引に開ける。その衝撃で、後方にへたり込んでしまう。

 

「若干だが容姿も違うな。怯えの表情もわかりやすい。あと、驚いた時の癖も変わっているな」

 

ジッと、淡々とその人は言った。白衣のネームプレートからは「エカ」と書いてある。

 

「そうか、お前が本当のリバか。あんなに暴れる性格では自動的に抑圧されて普通に戻る。しかしそれもないならこういう措置も妥当か...」

 

エカなる者は手を差し出した。恐る恐るその手を取ると一気に引っ張り上げられる。後ろは、今までの自分の部屋のように無機質で白かった。

 

「では、自己紹介をもう一度しないといけないね」

 

白衣の襟を一度整えた後、彼女は言った。

 

「エカ。新人の研究者で、あなたのドクターだ」

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