1章 高木勝利
1 エゴサーチ
「お疲れっした」
早朝からのスタジオ撮影を終えて、高木
不遜な態度は高木にとって屈辱以外の何物でもないが。
「勝利さん」
伸びのある声に頭を上げると、懇意にしているコンビ芸人Wスコッチの片割れ、ボケ担当の石井が横にいた。
「勝利さん、飲みに行きましょうよ。オレ、奢りますから」
ノリのいい彼は今、飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子芸人だ。真面目だが、人馴染み良く、気取らず、社交的、熱心な努力家だ。おまけに若い。
すべて高木が持ち合わせないものだった。
ただ、お笑い芸人と戦隊物俳優。ジャンルが違えどよく気が合って、現場が合ったときには気軽に誘い合う仲だった。
「いいよ。たまには出すさ」
精いっぱいの強がりを分かってくれている彼は、なら安い店に行きましょうと誘ってくれた。
赤ちょうちんの小さな焼鳥屋には紀州備長炭の煙が充満していた。
焼き場から団扇の音が聞こえている。
店内には浮世離れした老人や仕事帰りの中年がたくさんのさばって、ビールをちびちび飲みながら美味そうに焼けた串に食らいついていた。
二人は気に入りのレモンサワーで乾杯をした。
グラスのなかの氷が鳴るとたれのセセリと塩の手羽先が運ばれてきた。
「ひな壇って出てくタイミングが難しいっすよね」
豪快に串から身を抜いて咀嚼しながら、石井は悔やむ。悔やんだようだけれど、彼はその仕事がちゃんとできていた。
「お前はいいよ、使ってもらえるから」
投げやりな言葉に、肉が口のなかでほろ苦くほどけた。
「いや、タイミングが凄いっすよ。勝利さん、今日だって」
これは彼の気遣いである。額面通りに浮かれるつもりもない、自分の実力くらい分かっているから。中途半端なイケメン俳優を制作側も扱いかねているのだ。
ぼうっと考え事をしていた頭に石井の声が戻ってくる。
「どうっすかね、キレ芸とか」
ぶっと高木は吹いた。口のなかでビールの泡が弾けた。
「お前適当にいってるでしょ」
「適当っす」
二人でケラケラ笑っていると追加のボンジリがきた。ボンジリは一羽の鳥からわずかにしか取れない尻肉の希少部位で脂がトロけるほど美味い。
「これマジ美味いっすよね」
「間違いない」
ジューシーな脂を噛みしめながらこれから先のことを思った。
高木は高校に通う17歳のときに、宇宙戦隊コスモソルジャーのコスモレッドとしてデビューを果たした。戦隊物の例にもれず、主婦層の人気を獲得し、一時は時の人だったが。
だがこの世界、次から次へと若い俳優がデビューする。
イケメンなど掃いて捨てるほどいるし、一芸に秀でてなければやっていけない。
むしろ本当の意味での踏ん張りどきはそこからだったのだろう。
戦隊物をやったあと、勢いでCDデビュー。バラエティをやって、ドラマのチョイ役をこなし、地方のどさ回り。通販番組も数え切れないほどやった。
今年で37歳、懸命に抗ったが転がり落ちる人気を繋ぎとめるものは自分になかった。たぶんそれだけのことだ。
「まったくコスモレッドが泣くよ」
「そうっすね」
「適当でしょ」
「適当っす」
酒に酔ってゲラゲラ笑いあってメニューを開いた。
それからしばらく下ネタやら、友人の仮想通貨の話やらしていたが酒でどんどん会話が怪しくなる。アルコールに弱い方ではないが、きついレモンサワーは8杯目だった。
「勝利さん、アレやってます? アレ」
呂律の怪しい声で石井が問いかけた。
「アレ?」
卑猥な示唆をするとぶっと石井が笑って手をひらひらと振った。
「エゴサ、っすよ。エゴサ」
「ああ、エゴサーチ」
グラスを傾けると輪切りのレモンが口に当たった。
「したことないけど、する人いるよね」
「あれ、やめた方がいいっすよ。良いことしか出てこねえもん」
「ウソだ」
「ウソっす」
頭をメニューで軽くしばいて、ひんやりとした木床に後ろ手をついた。
「おれ、高木さんのエゴサしたんすけどね」
「なんでだよ」
乾いた笑いしか出てこなかった。エゴサは自分で自分の検索をするからエゴサなのだ。おせっかい以外の何物でもないといってやりたい。
「ファンいますよ。ちゃんと頑張ってるの見てくれてる人がいるんです。だから頑張りましょうよ。オレもファンですから」
「ああ、酔ったかも」
なんでだよ、と石井がお返しのようにいう。本人的には心をつかみたい決め台詞だったのだろう。それは伝わった、心は十分に温まった。
「いつもありがとな」
「はい」
にっこり笑顔で応じてくれる彼のこういう所が好きだなと照れ隠しに顔を反らすと、メニューを閉じて店員を呼んで串の追加をした。
心ゆくまで炭火焼き鳥を堪能すると店を出た。深夜の2時だ。酔いどれものの時間だ。
「じゃあ、また会いましょうね」
「おう、じゃあな」
Wスコッチの決めポーズをして冗談を交わすと、千鳥足で駅へ向かった。イヤなことすら思い出せないほどに酔っていた。
小さなアパートに帰宅すると半裸になってベッドに倒れ込む。作りこんだ体だけが虚しくベッドに吸いつけられた。手にはスマートフォンを持って、閉じかけた目がアプリを追っていた。俗なものを見て嘲笑したい気持ちになって、検索トップを開いたときに、ふと石井の言葉が脳裏をかすめた。
エゴサっすよ。エゴサ。
(エゴサね)
普段ならまずしない。くさす内容が多いことくらい想像がついている。
この業界にはエゴサする人間もいるがいない人間もいる。自分はエゴサしない方の人間だ。
だが、この時は幾分酔っていた。脱力気味にフリック入力する。
「高木勝利」
するとたくさんの検索予測が出た。自分も案外まだ人気があると思いながら。
――高木勝利 彼女、高木勝利 卒アル、高木勝利 整形
みんな馬鹿だよな、どうでもいいじゃん。彼女なんていねえよと、投げやりにいくつかページを開いて、自分が知っている以上の情報がないと吐き捨てると、心で小馬鹿にしてスクロールした。
スクロールしながらどのページも開かない。心を打たない。
でも心の奥底では滞留している言葉があった。知りたいけれど、本当は知りたくなかったこと。知りたいけれど、知りたくなかったこと。
レモンのげっぷが鼻に抜けた。出来心で一文字ずつ打ち込む。
「た」
「か」
「ぎ」
「し」
「ょ」
「う」
「り」
「お」
「わ……」
やめろよ。ふと冷静に返って指を止める。何を知りたいというのだろう。するとタイミング悪く入れまいとしていた検索予測が出てきた。
――高木勝利 おわり
感覚が鋭くなってゆく。神経が尖った。怖いもの見たさでそっと画面を指で押すと、たくさんの呟きがあった。
――まじ、つまんねえ
――出てたらチャンネル変えるわ
――顔だけ俳優
――演技下手だよね
――空気も読めないし、おまけに……
すべて自分の不要さを切々と説いた記事だった。懇切丁寧に出演番組でのすべりの経歴まで書き連ねてある。執筆者はKeyとある。
そんな雑魚知らねえよ、知らねえ。暴力的な言葉に付随して石井の笑顔が脳裏をかすめた。
(ちゃんと頑張ってるの見てくれてる人がいるんです。だから頑張りましょうよ)
消えちまえ。
「うるっつせっええええええええええ」
そのままスマートフォンを部屋の隅に向けて投げつけた。陶器のアロマセットが倒れて、乾いたムスクの香りが静かに立ちのぼる。午前三時半だった。
顔面を押しつけるとベッドカバーに向かって叫びを上げた。
「石井ぶっ殺す! 絶対ぶっ殺す!」
生唾でベッドカバーは湿り、抉るように布団を殴る。血管の切れそうになるまで叫ぶだけ叫んだら、疲れと虚しさが襲ってきた。
麻痺した頭で思う。仕事は明日はない、明後日も。繋ぎとめているのは今日撮ったバラエティだけなんだよ。面白くなくても必要だっていってくれるのは。
芸能界に入って20年過ぎたんだ。我慢してやっと20年が過ぎたんだ。
誰に説明しているのだろう、と独りごちると寒さも気にせず半裸で眠りについた。
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