エルフの姓、竜の名。~男に扮した金色の傭兵少女は運命に抗う~
きょろ
第1章 金色の傭兵の少女
01 少女と荒んだ街
雨で濡れた草木の香りが微かに漂う。
舗装されていない土の小道はいつもグチャグチャと不快な音を上げる。
「今日は久しぶりに仕事が見つかって良かったわ」
安堵の吐息と共に、整った顔立ちの少女は歩きにくい道を進みながら独り言を零す。
「お! おかえりエレン!」
「エレンお姉ちゃん、今日お仕事だったの?」
十歳を過ぎた少年と少女。靴は泥と黒ずみ、所々に汚れた服。荒んだ街並みと同化した装いとは正反対に、彼らの表情は澄んでいる。
「うん。中々見つからなかったんだけど、今日は運良くね」
エレンと呼ばれた容姿端麗な少女。はっきりとした目鼻立ち。長い金色の髪。白い肌。
エレンは自分に駆け寄って来た子供達に笑顔を向けた。
「いいな~。俺もまたなんか仕事やりたいのにさ、最近全然ないよな。こっちに仕事くれる人すら来ないし」
「そうよね。私も今日聞いたんだけど、最近、隣の森林に“魔物”が多く姿を現しているみたい。それで都市の人達や商人さんも通れなくて、こっちに来れないらしいの」
「えっ、魔物……!?」
魔物、という単語を聞いた子供達は驚きの表情を浮かべた。
「そう。だから二人も気を付けてね、早く家に帰った方がいいよ」とエレン。
エレンは子供達を自然と促した。
もう日は沈みかけ、決して裕福とは言えないこの難民街の治安は良くない。子供は勿論、慣れた街の者でも、女一人で歩く時間帯ではない。
「じゃあまた明日な!」
「おやすみ、エレンお姉ちゃん」
そう言って、子供達は足早に帰路に着く。そして彼らを見送ったエレンも再び自宅へと歩みを進めた。だが。
「へへへ、こりゃまたいい女だぜぇ」
刹那、建物の陰からガタイのいい男が現れた。細い目、鷲鼻、後ろに流した黒髪。欠けた歯と筋肉質の太い腕を見せる男は、エレンの行く手を阻むように立ち塞がった。
目の前の男は当然知らない。瞬時に危険を察知したエレンは、無言で男の横を素通り。直後に走り出す。
しかし、向かった先にもう一人、別の男。狭い建物の死角に隠れていた。
捕まったエレンは驚きでバランスを崩し、地面に腰を落とした。
「そんなに急いでどこ行くんだよ姉ちゃん。俺らとちょっと楽しもうぜ」
「ナイスタイミング! 危うく逃げられる所だった。それにしても本当にいい女だぜこりゃ」
「きゃッ……! やめてッ、どきなさいよ……!」
卑猥な笑みを浮かべたガタイのいい男がエレンを押し倒し、馬乗り状態で彼女を見下ろす。抵抗するエレンであったが、相手は男。力では到底敵わない挙句、体勢も圧倒的に不利。
「あ~、もう我慢出来ねぇ。早く楽しもうぜぇ」と男。
「ふざけないでッ、早く離しなさいよ!」
ザッ。
エレンは掴んでいた泥を勢いよく男の顔面に投げつける。不意を突かれた男の目に泥が入った。
「ぐあ! て、てめぇ……小癪な事すんじゃねッ!」
「ッ!?」
「おいおい、折角のいい女なんだから顔は止めろよな」
「生意気に抵抗しやがるからだ!」
怒る男はエレンの顔に平手打ちをし、力尽くで黙らせようとする。殴られたエレンは頬が赤くなり、痛みが響く。それでも彼女は逃げ出そうと必死に足をバタつかせて身を捩り、男から抜け出そうと藻掻いた。
「いい加減諦めろ。大人しくしてりゃ互いに気持ちよくなって家に帰れる」
「へへへ、そういう事だ。分かったか女」
だが抵抗も虚しく、男二人に押さえつけられたエレンはもう逃げられなくなってしまった。
この荒んだ難民街では、盗みや強姦や殺しなどの犯罪は日常茶飯事。昨日まで隣にいた者が、いつ男達のような本性を見せるか分からない。
下衆なにやけ顔となった男が、エレンの服の裾からゆっくりと手を忍ばせた。
諦めた彼女は目瞑り、スッと全身の力を抜く。それに気が付いた男達も無意識に力を抜いた。男達の本能は最早“それ”しか求めていない。
そして。
「痛ッつ……!?」
男達が油断した一瞬。エレンは僅かに自分から体を浮かせた男の動きを見計らい、素早く拳を握り締めた彼女の突きは、男の下半身の急所を勢いよく捉えた。
男は瞬く間に脂汗が湧く。
「おいッ、何してんだおまッ『――ズガン』
ガタイのいい男が死角となり、エレンが取った行動を把握出来ていないもう一人の男。彼もまた一瞬の油断から、掴んでいたエレンの足を離していた。その僅かな隙を見逃さなかったエレン。すぐさま足を引き抜き、遂に跨る男達から抜け出す事に成功した。
更にエレンはそこから動きを止める事なく、悶絶する男の顔面に蹴りを入れる。男達はドミノ式に地面に転がり倒れた。間髪入れず、護身用で太股に忍ばせていた短剣を取り出したエレンは、躊躇なく男の足に短剣を突き刺した。
「ぐああッ!?」
今の内に。
男の足から赤黒い血が流れるのを横目に、エレンは渾身の力でその場から走り去った。
「ま、待ちやがれクソ女ぁぁぁ……!」
負け犬の遠吠え。断末魔の叫び。
例えは分からない。だが確かに男の悔しがる声が難民街に響き渡った。
**
――ガチャガチャ、バンッ。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
速度を落とす事なく全速力で駆けたエレン。一切の無駄な動きなく、自分の家へと辿り着いた。
一度も振り返らなかったエレンが次に振り返ったのは、家の鍵を閉めた時。
「ハァ……ハァ……危なかった」
難民街に住む者に“自宅”など存在しない。管理すらされていない空き家を、勝手に自分の住処としているだけだ。それでも祖父と暮らしていたこの部屋だけが、唯一エレンの安らげる場所。
倒れ込むようにベッドへ寝転がる。今更ながらに、先程の恐怖が体を襲ってきた。身を丸めると、前身が小刻みに震え始めた。流しても変わらない一つの雫が、静かに頬を伝った。
「ゔゔッ……泣くな。泣いても何も変わらない。怖かった……。今日も家に帰って来られて良かった――」
美しい金色の髪の少女は伝う涙と震える体を懸命に抑えながら、今日という日をまた一日生き抜いた。
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