ソフィー・リニエールというご令嬢~ラルス・リドホルムの躍進Ⅱ~

 

「まぁ、コンラートもお嬢さんの言い付けはちゃんと守ったってことでいいか」


 金星、銀星、銅星には、ソフィーから伝えられていることがあった。


 もしも黒星が自分のことで何か言ってきても、応戦しないでくれ、と。


『喧嘩というものは、お互いやりあった時点で負けなのよ。私のことが原因で、貴方たちに下らない不名誉を与えるようなきっかけを作りたくないわ。それに、社交界に出れば、そんなやり取りは日常茶飯でしょう。貴方たちには、誰が何を言ってきても、練習だと思って笑って受け流して欲しいの』


 基本、ソフィーの言葉には従うラルスだが、その言葉だけはどうしてもすぐには納得できなかった。


 だって彼女は紫星なのだ。

 王位継承権を持つ人間から認められた最高の星が、いわれのない侮辱を受け続けるなど、本来許されるものではない。


 どうしても我慢できず、ラルスは厳格に処す方がいいのではないかと訴えたが、色づいた果実のような唇は笑みを浮かべ、愛らしい声で言う。


『私も、笑って受け流すだけでは殿下から賜った紫星に傷がつくと、降りかかる火の粉はすべて払いのけようと思ったのよ。完膚なきまでに叩き潰して、立ち上がれなくしてやろうと』


 見た目可憐な少女なのに、口にしている言葉は、わりと誰よりも過激だった。


『けれど、だからといって黒星と敵対したいわけではないわ。私は誰かと争うためにここへ来たわけではないし、貴方たちを巻き込むことなどあってはならないわ』


 そんな心配は無用だと告げる前に、ソフィーはニコリと笑った。


『私はここへ事業を成しに来たのよ。ならば、見るべきは一つ、目指すべきは一つ。回り道などしていては、時間を失うだけだわ』


 同じ年頃の少女とは思えない、全てを見通そうとする瞳に見つめられ、ラルスは告げたかった言葉を飲みこんだ。


 その時のことを思い出し、ラルスは首を捻る。


「何を食べたら、ソフィー様のようなあんな達観したお心が持てるようになるのでしょうか? 鳥が捌けるようになったら、そんなお心も持てるのでしょうか?」

「迷走するなよ、坊ちゃん。鳥の解体で達観する心が持てるなら、俺だって持ってるよ」


 実際ソフィーが鳥を捌いている所を見ていないラルスは、そこに秘密があるのかと考えるが、何度となく鳥を捌いたことがあるマルクスに否定される。


「それに、達観って言っても、その後のお嬢さんの言葉は……」


『でも、度が過ぎるような行いを貴方たちにするようなら言ってね! その時はすぐに動くから。二度とそのような行いができないよう、完膚なきまでに叩き潰すわ!』


 両手をギュッと握りしめ、輝く笑顔でそう宣言する様は、口にしたのが不穏な言葉でさえなければ、愛らしい仕草で、可愛らしく「メッするぞ!」的な言い方だった。

 しかしマルクスには「滅するぞ!」に聞こえた。というか、そうとしか聞こえなかった。


「あのお嬢さん、一度キレたら絶対にヤバそうだな」


 その時はできるだけ遠くに避難したいと、遠い目でマルクスが呟く。


「それでいくと、黒星の言動はもうそろそろマズい気がします。ソフィー様のお怒りが頂点に達する前に、僕たちでなんとか打破できればいいんでしょうが」


 ラルスの言葉に、その場にいた二人が難しい顔をする。ラルスとて、それがどれだけ難しいことかは理解していたが、口に出さずにはいられなかった。


「ここ数日の黒星たちの無礼には、目に余るものがあります」


 ソフィーが今のところ、なにもアクションを起こしていないことをいいことに、黒星たちは、やはりソフィー・リニエールは形だけの紫星だと、勝手な解釈をしているのだ。


 まったくと、マルクスが呆れを含んだ声を出す。


「黒星も、喧嘩売るならもっと相手を知ってから売ればいいものを。俺なら、絶対あのお嬢さん相手には喧嘩を売りたくないね。敵に回したら最後、未来永劫、厄介が付きまといそうだ」

「未来永劫……素敵な響きですね!」


 厄介という言葉は完全に無視し、恍惚とした瞳でラルスが酔いしれる。


「坊っちゃんくらい、黒星たちがあのお嬢さんに心酔してくれたら楽な話なンだけどな」


 はは、と渇いた笑いが、マルクスの口から零れる。


「今は心酔どころか、黒星の中では完全にソフィー様は悪女扱いですよ。紫星の価値も、いずれ王宮に住まう布石として与えられたものとしか思っていないのでしょう」


 アーロンが口にした王宮に住まう布石とは、つまり側室を意味する。その言葉に、ラルスとマルクスは顔を見合わせた。


「側室、ねぇ…」

「ソフィー様のお話を聞くと、絶対にあり得ない話みたいだけど」

「でもラルス、残念だけど黒星はそうは思ってないみたいだよ」


 お茶会で第一王子の婚約者を拝見したことがあるというアーロンが「無礼な見解を口にするけれど」と、前置きして言葉を続けた。


「ソフィー様って、黙って目を伏せている姿とかは清楚で愛らしい、大人しい女の子って感じだろう。反対に、フェリオ殿下の婚約者であらせられるクリスティーナ・ヴェリーン様は華やかなご容姿だから、見た目のタイプが全然違うんだよね。だから、フェリオ殿下はヴェリーン様のような絢爛な美貌を持った女性より、清楚系がお好きなのだろうと邪推する者もいて、黒星の中ではその噂をけっこう信じている者が多いみたいなんだよ」

「黙っていれば清楚かもしれねーけど、口を開けば暴れ馬じゃねーか…」


 話の論点はそこではないのだが、どうしてもツッコまずにはいられなかったのか、マルクスが呟くのを、アーロンが「見た目の話ですから」と断りを入れる。


 ソフィーに対してわりとぞんざいな二人の言い様に、ラルスは眉を上げた。


「マルクス殿も、アーロンもソフィー様に対して失礼ですよ! ソフィー様はお心も清らかな愛に満ちた方なのに!」

「……坊ちゃん、を心清らかな愛だと思ってるなら、一度医者に診てもらえ。お嬢さんのも病気だ」


 病気とまで言い切るマルクスの言うが、一人分からないアーロンが首を傾げる。


「もしも殿下に婚約者以外の女がいようものなら、何人か死人がでる勢いだったじゃねーか」

「え!?」


 死人という物騒な単語に、アーロンが驚いて一歩下がる。


 マルクスが言う、とは、医科学研究所での話し合いが終わった後の、お茶会でされた会話のことだった。

 ソフィーが、出席してくれた礼だと招かれたお茶会だったが、和やかな会話中、マルクスが誰も決して口にしなかったことをソフィーに問いかけたのだ。


「なぁ、お嬢さんと殿下って、恋人同士なわけ?」


 サラっと、命知らずな質問をするマルクスに、その場にいたラルスとファースは飲んでいたお茶を盛大に噴きだした。後ろで控えていたルカも、顔を強張らせて固まる。



 ――――それは、皆、一度は絶対に考えたであろう禁断の質問だった。


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