> 父親曰く、

 参宮隼人オレの話をしよう。


 オレの実家はビンボーで、びっくりするほど金がなかった。中学ん時にぐんと身長が伸びたオレは、年齢を偽ってバイトしまくるようになる。足りないからって誰かから盗むよりはマシだろう? 過ぎた話だと思って見逃してくれ。

 朝は新聞配達、昼間に学校で爆睡、夕方からパチスロ屋のホール。客の吐いたタバコの煙を避けながら、オレは「はなりたくねーな」と思っていた。こいつらにもきっと家族がいるだろうに、どうしてこんなところにいるのだか、当時のオレには理解不能だった。

 人には人の事情があるのよ、とキャスターマイルドを吸っていたバイトの先輩はのたまった。ジュースをおごってくれて、そのジュース代をエサに喫煙所まで連れ込み、愚痴を聞かせてくるような女だったのでよく覚えている。きっとこれが初恋。

 その人はオレの知っている限りで五人と付き合って別れてを繰り返し、オレが中学を卒業した三月に、これまで名前を聞いたことのない男と「結婚するから辞めるわ」と言い残して、消えた。その後のことは知らない。人には人の事情がある。オレもパチスロ屋は辞めた。続けていても先輩とまた会えるとは思えなかったから。住所ぐらいなら教えておいてもよかったかもしれない。本当の年齢を教えたときの至極つまらなさそうな顔を思い出すな……。知り合いがきたら困るからってんで偽名使ってたんだけど、本当の名前を教えたときも微妙そうな表情をしていた。未練がましいなこの話。やめようか。次、次。

 高校は定時制に通って、バイト先をシフトの融通が利きそうな――ぶっちゃけあまり利かなかったけれど――コンビニを選んで、なんとか卒業。働きぶりをオーナーが評価してくれた結果、コンビニの雇われ店長になる。高卒で、車の免許以外は何の資格を持っていないオレは就職先を探すのに難航していたから、二つ返事で店長になったわけだ。

 オレの父親はオレの就職が決まってから「もういいな」と言い残してどこかに消えた。何が「もういいな」なのかはわからない。探している暇はなかった。探してやったほうがよかったのかな。オレはオレなりに家族のことを考えて、店長になったのに。

 母親は家の中でぶっ倒れて、オレが寝に帰ってきた頃には亡くなっていた。死因は脳卒中らしい。せめて生きている間に親孝行したかったが、二駅先の、行こうと思えばすぐに会いに行ける場所に墓を建てたからそれで勘弁してほしい。

 オレは天涯孤独の身となった。一人っ子だから、実家がそのままオレの家になる。


 子どもは欲しかった。まあ、彼女らしい彼女を作るほうが先だよな。コンビニに客として来る親子連れを見て、バイトの子と話して、パートさんたちの経験談を聞いて、欲しいなって思っていた。思うだけで生まれるのなら誰も苦労しない。


 自分はこう、さきほどから話しているように、若い頃から働いてきたぶん、自分の子には金の面で大変な思いをしてほしくなかった。あと、大学まで行ってほしい。オレは行けなかったから。大学に行けば、いいところに就職できて、オレよりも生涯賃金が高くなるはずだ。だから、将来かかるであろう教育費は、全部貯金していった。なんだか通信教育だったり、塾だったり、習い事だったり、いろいろやらないといけないことがたくさんあるらしいじゃんか。それらにお金がかかる。子どもってそういうもの、らしい。コンビニも人手不足だから、べらぼうに働いて、家は寝床になった。


 オレの息子の拓三、の母親と出会った場所は、オレの働いているコンビニだ。彼女は、客として来店した。


 オレンジ色の瞳の、年上の女性。一目見ただけで恋に落ちたね。見とれてしまって、金庫の金を持ったままぼーっと突っ立っていた。当時高校一年生のバイトくんから「体調悪いんすか?」と心配されて、我に返ったよ。


 彼女が店の前でハンカチを落としていかなければ、接点は生まれなかっただろう。この好機を逃したら、もう二度と出会うことはないと思った。あちらさんから電話がきて、ハンカチを返却するため、として、デートの約束を取り付けた。デートの最後に勢いで告白する。もし断られたら力ずくでホテルへと連れ込むつもりだった。既成事実を作ればなんとかなると思ってしまった。告白にオーケーされたから、卑劣な性犯罪者にはならなかった。無理矢理連れ込まなくても済むならしないほうがいい。


 いいところのお嬢様である彼女のご両親は、オレみたいなのと付き合うのを「認められない」と言ってきた。何処の馬の骨とも知らないやつと「結婚なんてもってのほか」だと。それでも(そんときは)オレと彼女はラブラブだったから、こっそり届け出をして、いそいそと子どもを作った。おなかが大きくなるにつれて、お嬢様のご両親も認めざるを得なくなる。挙げ句の果てには経済的に援助してくれるようにまでなったのだから、孫のパワーはすごい。


 けれども結局は別れてしまったのだよな。この話はあとでする。

 二〇一七年の四月一日の話を先にしていこう。


「参宮くん、独立しない?」


 かれこれ四半世紀ほどは勤続していて、オーナーの頭髪がかなり薄くなった。勤務明けに「飲みにいこう」と誘われたので、へいへいとついて行ったら、お通しとおしぼりをいただいたタイミングで〝独立〟を持ちかけられる。となると、雇われ店長の座を退き、現場からも離れるのかあ。


 言われて「はあ……」と我が身を慮る。思えばアラフィフ。若い頃よりは動けなくなった。かつてはできたはずの無茶ができない。寝ても疲れが抜けきらず、事務所で発注画面を見ながらうとうとしてしまう日が増えてきた。これが加齢。エイプリルフールでもなんでもない、現実。健康診断には行っている。大きな病気の予兆がないのはいいことだ。健康第一。


「年寄りは引っ込んでろって話ですか」


 精一杯嫌味ったらしく言ったつもりが、その方向性には受け取られなかったようで、オーナーは「独立して、名実ともにとしてやってみたらどうか、という提案だよ」と真面目な顔をしてくれた。それから、タッチパネルで中ジョッキを二つ注文する。オレが酒に弱いのを知っているのだから頼まないでほしいよな。断ってもいいのかな、こういうときって。これでも強くなるために、週一日は飲酒日を作っているんだよ。休肝日ならぬ飲酒日。ぜんぜん強くなれないのだわ。


 オーナーになるには研修を受けなければならなくて、他にも開業に向けていろいろと準備しなくてはならない。んまあ、今のシフトの状況なら、行けなくもないか。オーナーから持ちかけてくるのだから、埋め合わせはオーナーのほうでなんとかしてくれるのだろう。


 オーナーねえ。


「最初の一年は大変だろうが、軌道に乗せちゃえばこっちのもんよ。僕のように人が足りなくなったら入ればいい。参宮くんがやめて店を持つって言ったら、ついてきてくれるスタッフもいるんじゃないか? ほら、マネージャーの宮下くんとか」


 前に宮下のほうから「参宮さんがオーナーになったら店長をやるんで」と言ってきたな。そのときは忙しすぎて気がおかしくなったか、だなんて笑い飛ばしてやった。ここにきて現実味を帯びてくるか。

 他にも何人かの顔が思い浮かぶ。中にはやめてしまったやつもいるが、オレから連絡したら空いているシフトに入ってくれるような気のいいやつや、本業をしつつ気晴らしにレジを打ちに来てくれそうなやつはいる。うまいこと組み合わせたら最強のシフト表は作れそう。


「興味が出てきた?」

「案外いけそうな気がしてきました。でも……」

「でも?」


 オレの息子、拓三たくみはどう思うかな。オレの仕事に興味なさそうだから、オレが店長からオーナーになろうと関係ないっちゃないか。

 拓三の気持ちではなくて、拓三にかかるマネーのほうが問題だよ。オーナーになるのと、このまま雇われ店長を続けるの、どちらが安定して稼げるのかを計算してから決断しなきゃいけない。怠い。来年から拓三は大学生になるのだし、大学生になったら今よりもっと学費はかかる……のかな……そこらへんもよくわからないから、ここで「はい! 研修を受けに行きます!」と答えてしまうのは軽はずみすぎる。何より計算がめんどい。いったん帰って考えさせてほしい。


「前向きに検討させてください」

「そうかそうか。……今日はこの話と、もう一件あってな」


 オーナーは満足げに頷いてから、個室の扉を開けて中ジョッキを持ってきた店員さん、の後ろで佇む二人組を「入ってきていいよ」と手招きする。紫がかった髪のストレートにロングヘアな、背が低くておっぱいの大きな女性と、同じように紫がかった髪でこちらはツインテールにしている幼稚園児ぐらいの女の子。髪色と雰囲気からして親子っぽいが、姉妹って言われても納得してしまいそう。


「紹介しよう。八束真尋やつかまひろさんと一二三ひふみちゃん」


 紹介されて「四方谷真尋よもやまひろです。初めまして」と八束だか四方谷だかどちらかの真尋さんはお辞儀した。隣の女の子がマネをしてペコリと頭を下げる。最近目が悪くなってきちゃって、入ってくるまでそのお顔がよく見えていなかったのだけども、若い。あれ? 若くない? うちの拓三と同じぐらいに見える。二人は姉妹なのでは?


「名字を戻したの?」

「初めましての人には四方谷で通してます」

「……ああ、そうだね……申し訳ない」


 何やら事情があるらしい。オレは一二三ちゃんの方を見る。真尋さんに連れられてきて、所在無げに天井やら壁やらに視線をキョロキョロとさせていた。母親にしては見た目の年齢がなあ。実はアラフォー……美魔女?


「参宮くん、さんと付き合わない?」

「はあ」


 拓三の母親、オレの元妻からは、無実の罪を着せられて国外逃亡されている。別れたと言ったじゃんか。香港の実家に帰らせていただきますってやつね。


 でも、この話さ、まーじおかしいんだって。聞いてくれよ。オレは何もしてねえってのに、オレが元妻の口座から有り金全部引き出したっていちゃもんつけてきやがるんだよ。その時間、オレは働いていたってのは店の監視カメラや一緒に働いていたパートの鈴木さんが証明してくれている。けれども、あの人のキャッシュカードを持って銀行に来店し、窓口でやりとりしている姿も、銀行の監視カメラにばっちり撮られていた。対応した銀行員もオレを見て「就係人。 毫无疑问」と決めつけやがった。嘘やん。オレ、いつの間にか分身できるようになった系? 分身できるんなら分身と二人がかりで仕事するわな。分身のほうは広東語を話すっぽいけれどオレは話せないからな。元妻が通訳してくれないと無理。


 金がなくなっていて、オレもそのおろしたはずの金を持っていないから、どうなっているのかね? な話ではある。が、ともかくこの一件のせいでオレは離婚して、手元には息子が残った。


 そんなことがあったから、もう再婚はしなくていいやと思っていたんですけども。オーナーは仲人として「彼女、元旦那から逃げてきてね。大変らしいんだよ」とオレに押し付けようとする。オーナーが引き取る、わけにはいかないか。オーナーには奥さんと息子さんと娘さんがいるもんな。でもオレ? 他に適任者がいない?


「助けてください!」


 真尋さんに泣きつかれて「う、うん……?」と首を傾げてしまう。

 美人に泣かれてつらい。断りにくい。いい匂いがする。


 いやまあ、そうね、元旦那との間になんかがあって、あちらに非があるということなら、真尋さんから三行半みくだりはんを突きつけられることもない……よな、たぶん。別れた事情は後で詳しく聞くとしてだな。三行半って夫から妻にだっけか?


「よし、今日はパーっと食べようか!」


 オーナーは明るく言い放った。ビールは真尋さんにあげればいいや。どうせオレは飲めないし。


「成人……はしてるんだよね?」

「? はい」


 していた。よかった。未成年に酒を勧める悪い大人になるところだった。


「失礼ですが、おいくつで」

「二十六です」

「一二三ちゃんは、娘さん?」

「はい。……この子、男の人が苦手なもので」


 このやりとりの間、一二三ちゃんはずっと真尋さんの後ろに隠れていた。苦手だとしても、オレはこれから父親ってことになる。それなりになついてくれるといいな。


「ご実家には帰られないの?」


 離婚したのだったら、再婚相手を人づてにでも探すよりはご実家を頼ったほうが、一般的にはいいのではないかと思った。オレみたいに、両親がもういないのならともかくだ。


 オレの質問に、真尋さんは「母は……」と言葉を濁らせて、俯いてしまった。お若くて小さい子を連れているぶん、複雑な事情があるのだろう。人には人の事情がある。オレはこれ以上、聞かないことにした。なんだかいじめているみたいで嫌な気がした。


 真尋さんと一二三ちゃんを連れて、初めてオレの家に帰ったのは四月の十日。すぐにとはいかなかったのは、真尋さんと一二三ちゃんが一時的に避難している部屋の片付けがあったり、オレが忙しかったりでタイミングが合わなかったからだ。


 その日の拓三は高校三年生の始業式な日だった。オレと真尋さんと一二三ちゃんで保育園の話をしていたところに帰ってくる。


 一二三ちゃんが拓三のことをえらく気に入った。おにいちゃんとして。オレをおとうさんとしては見てくれないので寂しい。しょんぼり。んまあ、真尋さんの話によれば、元旦那から真尋さんが暴力を振るわれていたってことだから、大人の男性であるオレに対しての苦手意識は強く出てしまうのだろうな。拓三のほうがオレよりデカくて威圧感あるのだけども……見た目ではないのかな……。


 拓三は一二三ちゃんを溺愛し始めた。一二三ちゃんから拓三への想いは、あくまで年上の家族に向けてのもの。義理の兄にあたるわけだし。なのに、拓三から一二三ちゃんへの感情は、崇拝の域にあった。一二三ちゃんこそが、自らを救ってくれる使だと盲信しているようで、はたから見ていると怖いぐらいだ。オーナーから「家族写真の一枚でもあったほうがいいんじゃないか」って写真館のチケットをいただいて、四人で撮りに行った時なんかまあすごかった。一二三ちゃんを着せ替え人形みたいにするからありえんぐらいに時間がかかって、スタッフさんに止められた。


 真尋さんは拓三にドン引きしている。初対面のタイミングで、真尋さんは拓三から「おかあさん」と呼ばれたのだけども、これが鳥肌が立つほど嫌だったらしい。拓三、身長が高いからか怖がられがち。話してみると、いい子なのにもったいない。オレの子どもにしては成績優秀で、学校に行くたびに先生から褒められるぐらい、いい子。

 だから、中一の冬に自殺しようとしたのにはびっくりしたよ。もし俺の帰宅がもっと遅くなっていたら、死んでいたかもしれない。そこまで思い詰めることがあったのなら、実行しようとする前に相談してほしかった。オレはオレなりに拓三のことを愛しているよ。

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