恐怖の大王と

ぬいぐるみのダンス

第12話

 不幸というものは人間がどれだけ身構えていようとも、予想だにしない方角から降り注ぐものだ。


 荷物をまとめて――俺の持ち物なんてもとより大した量はない。はずなのに、ドラムバッグに着替えとウサギのぬいぐるみを詰め込んだらそれなりの大荷物になってしまった。しかし、減らせるものもないので我慢する――テーブルの上に四方谷家の鍵を置いて、家を出た。祖母からは鍵を置いて行けだなんて言わなかったが、こうしておけば、俺に帰ってくる意思がないっていう無言のお気持ち表明になるだろ。察してくれ。


 まあ、あんなことがあってああまで言われたけれど、ほんの少しだけ「まだ四方谷家にいたい」とは思っている。暮らしやすかったのは、事実だから。


 俺も孫なんだしさ。隅っこのほうにでも置いてくれよ。でかい人形みたいなものだよ。


 なんてったって、俺のこれからの居住地にアテがない。そもそも真尋さんのご実家に引き取られたのは、父方が全滅だからだもん。どうすりゃいいの。家なき子になってしまった。


「はあ……」


 一旦腰を落ち着けようと不忍池のベンチに腰掛ける。あのマヒロさんと出会った場所。何かを期待していたのかもしれない。その何かが起こる可能性は極めて低いのだけれど、あの時のようにスマホで四人の集合写真を見た。


 もう俺しか生き残っていない。父親とひいちゃんはこの池の中にいる。マヒロさんは、自ら死を選んでしまった。


 この頃が平和だったとは言い難いけれど、今よりはよかったよ。

 ひいちゃんがいるから。


 祖母だった人曰く、俺は人間ではないらしいので、人間的な感傷はなるべく排していきたい。〝家族愛〟という、二度と手に入らない幻想を追い求めても意味はない。より形のない、具体性のない、ぼんやりとしていて掴みどころのない、輪郭のない……心の平穏を手に入れたい。そこに正解があるはずだ。俺の探し求めているものは、世界のどこかにある。


 何を言っているのだろうな。

 平穏なんて、どこにもない。


 父親の言う通り、俺は『生まれてこなければよかった』んだよ。ウケる。開始地点が間違っているのだから、どれだけ正しい道に戻ろうとしても戻れない。レールの敷いてある場所がおかしいのなら、まっすぐに走れるわけがないよな。でも、俺が、そう、今度こそ腹を括って、マヒロさんとの子どもを産んでもらっていれば、そちらが俺にとっての新しい〝家族〟となりえたかもしれない。そんな夢物語はもう実現しない。


 マヒロさんの言う通り、周りの援助を受けつつ生まれてくるであろう子どもを育てていくのが正解。今、一人で、ここにいる俺は不正解。俺の過去なんてどうでもいい。全てを忘れて、あの父親と同じ過ちを繰り返さないように生きていけばよかった。


 本当に、そうか?


 死ぬほどじゃあないだろ。なんで死んだのさ。俺だって、急に言われたら困るじゃん。逆の立場で考えてもみてよ。もっと時間をかけて、この俺を説得する道はなかったわけ? いつだって困るのは残されたほう。死んだほうは楽だよな。無責任にも程があるじゃあないか。


 これからあのは、――マヒロさんが慕っていた、俺にとっての祖母はどうなんの。それに、弐瓶教授もだよ。マヒロさんからは「ユニ」って下の名前で呼ぶぐらい親しげだった弐瓶教授は、マヒロさんが何故か持っているタイムマシンの技術を教えてもらおうとしていたのに、せっかく掴んだ手がかりのほうからいなくなるなんてひどすぎる。せめて最低限の情報提供はしておくべきよな。先払い。いや、俺の知らない間に二人でやりとりしているのかもしれない。マヒロさん、祖母からスマホを買い与えられていたし。


 参宮家にいる時に使っていたスマホは壊れてしまったらしい。そんながさつな人には見えなかったけれど、それを言い出したらキリがない。タイムマシンのことだって、俺は知らなかったしさ。マヒロさんに隠し事が多すぎる。


「……ははは」


 視界が揺れた。

 考えるのも疲れてきたから、俺も死のうかな。


 俺が死ねば、マヒロさんが帰ってくるわけではない。帰ってくればすべてが元通り、ともいかない。彼女のうつろな目がフラッシュバックして、訴えかけてくる。最期の、動かなくなった姿を思い出してしまう。死んでしまうよりも前の表情を思い出せない。あれだけ写真を撮って、スマホにも残っているのに、頭ん中に焼き付いているのは物言わぬ死骸だけってなんだか残酷だな。


 自分が思っているよりも、マヒロさんのこと好きじゃあなかったのかも。実は。向こうが事故が起こる前よりも好意的になってくれていたから、そう勘違いしていただけ。


 というか、死んだら俺がこうなるの予想できたでしょ。予想できてて死んだなら最悪だし、できていなかったんなら、結局のところ俺のことなんて考えてくれていなくて、ただただ俺を『好き』って言ってきただけの女さんと大して変わらない。そう考えるとやっぱり産まない選択肢が正解だった気がしてくる。俺のことなんて、ちっとも考えてくれていない。俺はこれほど引きずっているのにか。


「ははは」


 俺は俺自身の考えで俺の人生を歩んでいきたかったはずなのに、どうして間違った道を選ばされてしまうのか。周りが言うほど俺って大したことなかったのではないか。周りが言ってくるように、この俺が天才だったのなら、こんなに苦しい気持ちになる前に気付いて踏みとどまれたはずだろうよ。何もわからない。俺が悪くないことはわかる。


 ベンチから立ち上がり、一歩ずつ池に進んでいく。ひいちゃんは、池の中にいる。ここで死んだのだから。俺も沈んでしまえばいい。そうすれば、あの世でひいちゃんと再会できる。気付くまでに時間がかかってしまった。こちらの世界でひいちゃんを作るよりも、俺があちらの世界へ行けばいい。


 ごめんねひいちゃん。

 今から『おにいちゃん』が行くから、待っていてほしい。


「はははははは!」


 地面が揺れている。俺が池に近づくごとに、その揺れは激しくなっていった。よろめいて、木にぶつかる。この国は地震が多い国ではあるけれども、この揺れは、俺が生まれてからの現在までに経験したことのないぐらいに大きい。しがみついていなければ倒されてしまいそうになる。


 しかも、長い。


「なんだ?」


 繁華街の方に視線を注げば、揺れに耐えきれなくなった建物がゆっくりと倒れていくのがわかる。崩れていき、その隣の建物を押しやった。壁を削り取り、その一部分が散り散りになる。俺の周辺には池とそれを取り囲む木々しかないので、瓦礫は飛んでこない。


 おさまらぬ揺れの中、安全な場所へ避難しようと走る人と、どうしようもなくその場に座り込む人とが見える。俺はドラムバッグからスマホを取り出して、連絡先を開いて、――誰に連絡するべきかと逡巡した。今更とも思うが、最初に思い至ったのは祖母の安否だ。最終的に俺を人間扱いしなくなってしまった人なのに、こうなると心配になってくる。血縁上のつながりはなくとも、ほら、ご老人はいたわらないとさ。


 電話をかけようとして、着信音が鳴り響いた。

 弐瓶教授からだ。


「今どこにいるのん?」


 こちらが何らかの挨拶をするよりも早く、弐瓶教授は俺の所在地を確認してきた。その言葉遣いはいつも通りなのに、声色にはありったけの憎しみがこもっている。俺、何かやりましたっけ。続けざまに「話は私の研究室でするから、今すぐに来なさーい!」と指示して、電話はブチっと切れてしまった。


 こちらは死のうとしていたのに、天災に邪魔されるなんて。

 俺の人生はどうにもうまくいかないようにできているらしいな。


 折り返してかけようとすると、俺と同じように見知った人の安否を気にする者がたくさんいるようで、呼び出し音が鳴るばかりで一向につながらなくなってしまった。


 弐瓶教授からの呼び出しには応じようと不忍池から上野駅に移動する。駅舎こそ潰れてはいなかったものの、あまりの人の多さに目が回りそうになった。人の重さで崩れてしまうのではないかと疑ってしまうほど。これだけの人々がこの周辺にいて、この場所から別の場所へと移動しようとしている。こんな出来事が起こらなければ一生顔を見ることはなかったであろう、名前も知らない人間の群れ。


 弐瓶教授は『今すぐに』と言っていた。通常通りならば小一時間ほどであちらの研究室の最寄り駅に到着する。電車は動いているようだ。しかし、この人数では、乗れるようになるまで何時間かかるか想像もつかない。あちこちで怒号が飛び交う。怒ったところでどうにもならないのは、冷静になればわかりそうなもんなのに。まあ、声を上げなければ気が済まない人種がいるのもわかるよ。俺はそうではないけれど。行きどころのない不安や恐怖が渦巻いていた。


 かといってタクシーでの移動も難しそうで、タクシー乗り場には長蛇の列が形成されている。みんな考えることはおなじ。一般路も高速も大渋滞。車が数珠繋ぎに、ミリ単位で動いていた。バイクや自転車が隙間を縫って追い抜いていく。


 誰しもが安心したい。大切な人の身の安全を確認したいから、スマホを握りしめて右往左往したり、数少ない公衆電話に並んだり。俺も、やはり、祖母の安否を気にかけたほうがいいのだろうか。正常ならばそうなのだろう。あれだけのことをこの俺に言い放って、他に住めるような場所のない俺を追い出してくれた祖母に。つながるまで待ってみたほうがいいか。


 こういうときこそ冷静にならないとな。


 人々は自宅に帰りたいのだろう。自宅か、あるいは、守らなければならない居場所に向かおうとしている。つい最近住んでいた場所を追い出されたばかりの俺は、このような状況下にもかかわらずこの俺に連絡してきてくれた弐瓶教授の元に行こう。弐瓶教授にも、俺より優先して連絡を取りたい人がいるだろうに。わざわざ俺に電話してきたってことは、どうしても来てほしいってことじゃん。他に行きたい場所はといえば、――マヒロさんの死体を残してきた、あの四方谷家に戻るべきなのか。


 再度電話をかけて、出るまで待つ。俺が気にかけてやっているのに、通話中の表示になった。一時的に孫だった男よりも大事な人間がいるらしい。それなら、もういい。諦める。四方谷家には戻らない。戻ってやるものか。


 電車やタクシーが使えないとなると、研究室へは歩いて向かうしかない。ルートは、まあ、電車の線路を見ながら行けばなんとかなる。時間はかかるだろうけれど、現時点で使用できそうな移動手段が徒歩しかないのだから仕方あるまい。この交通状況を知れば、どう考えても『今すぐ』には来られないと、弐瓶教授も諦めてくれる。たぶん。……あの人はあの研究室にずっと閉じこもっているからわかんねェか。


 にしても、ドラムバッグを肩にかけている俺って、近隣住民が近くの避難所に避難しているようにも見えるのかもしれないな。避難所に行くわけじゃあないけど。

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