第16話 暗示

「どう? お眼鏡に適いそうなチョコは見つかった?」


 一通り会場内を回り終えたところでそう訊かれて、千夜は「あ」と一音出したまま、口を閉じることを忘れた。


「千夜ちゃん?」

「……うん、うん。そうだね。いくつか気になるのが……試食出てたかな。ちょっと、戻ってくるね!」

「あっ、千夜ちゃん」


 追いかけてくる声から隠れるように、千夜はわざと人混みの中に紛れた。後ろを振り返って、ギーの姿が見えないことを確認する。ほうっと息を吐き出した。


――忘れてただなんて、言えない。銀くんのこと考えてて、本来の目的を忘れていたなんて……


 今日の自分は、どうしてしまったのだろう。昨夜美紀が変に茶化してきたせいだろうか。暗示をかけられてしまったのだろうか。


――眼の前にこんなにチョコレートが並んでいるのに、銀くんのことばっかり考えちゃう……


 もしもこの場所がGIIギーだったら、どうだろうか。千夜がこの世で一番好きな味だと宣言できるチョコレートの前だったら。銀のことよりも、チョコレートのことを考えるのだろうか。


――……そんなはずないじゃない。人間とチョコは違う。全然違う


 催事場の中は、きっと換気がきいている。人の流れも多い。たくさんのチョコレートが集まっているが、甘い香りはしなかった。

 それなのに、何かに酔ったように頭の中がふわふわと揺れる。その原因が何なのか、千夜は分かりそうな気がして怖かった。


――銀くんは、なんで今日私を誘ったんだろう


 今朝待ち合わせの場所で、『可愛い』と言われた。一体どういうつもりで、あんな発言をするのだろう。反応に困りきって、わざと素っ気なくしてしまった。きっと気を悪くしただろう。


――薄情者って、思ったのかな。銀くんも……


 蘇るのは半年前の記憶だった。

告げられた言葉がそれなりにショックで、帰宅した直後には辞書をひいていた。そして読み上げた説明に心当たりがありすぎて、そんな自分に失望したのだ。きっと元彼は、千夜が失望するよりもずっと前から失望していたのだろう。


――いやだな……


 本当に気分が悪くなってきて、千夜は人混みを抜けてトイレへ向かおうと思い立った。

 その時、呼び止める声が聞こえてきた。


「千夜?」


 はっとして顔をそちらへ向けると、予想通りの人物が立っていた。


「やっぱり千夜だ」

「あ……」

「外で会うの、久しぶりだね」


 たった今記憶の中で会ったばかりだった。雰囲気が変わったと感じたのは、私服姿であったことと、髪型が違うからだろうか。


彰午しょうごくん」


 半年前に別れた、かつての恋人がそこにいた。

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