第8話 不毛な恋

高校2年生の夏。


すみれは週に活動日が1回だけの、しかも帰りが遅くなったりしない文芸部という地味なクラブに入部した。


活動内容は、図書室で好きな本の感想を言い合ったり、小説を創作して年に一回の文化祭で冊子を作るくらいのゆるいものだった。


家事を疎かにしたくなかったすみれにはぴったりのクラブだった。


同じ高校に入学した琴子との付き合いも7年目になった。




琴子は同じクラスの綿貫直人に片想いをした。


陸上部の長距離選手である綿貫は、放課後になると広い校庭で黙々と走り込みをしていた。


琴子の付き添いで、すみれは綿貫や他の陸上部員が練習するさまを見学する、いわゆる「推し活」に付き合わされていた。


「琴子。こうして見てるだけじゃ気持ちは伝わらないよ?なにかアクションを起こしたら?」


すみれの助言に、琴子は少し沈黙したあと、何かを思いついた顔をして、すみれに手を合わせた。


「すみれ、綿貫君と親友の大原君と同じ文芸部だよね?」


「うん。そうだけど。」


綿貫は見るからに体育系男子という感じで、体格が大きくて陽気で友達も多いが、比べて大原悠は色が白くひょろりとした体型の大人しい男子生徒だった。


そんな正反対の二人だけれど、家が隣同士で幼馴染らしく、はた目からみてもすこぶる仲が良かった。


いつも無表情な印象の大原が、綿貫と話しているときだけは、伸び伸びと表情豊かに笑っている。


文芸部での大原はいつも生真面目に、自前のノートパソコンで小説を書いていた。


昨年の文化祭で作った冊子で大原は、親友と二人きりになった世界で悪の組織と戦うという小説を載せていた。


すみれはうさぎに変身した女の子の冒険物語を書いた。


「大原君に頼んで、綿貫君とすみれと私と四人で、遊びに行けないかなあ?それで仲良くなれたら告白できるかも。」


「ふーん。」


今日の晩御飯は何にしようかな?


航君の好物のチキン南蛮タルタルソース付けにしようかな?


などと考えていたすみれは上の空で琴子の話を聞いていた。


「ふーん、じゃなくて、すみれが大原君に話つけて!」


「え?ええー?私が?なんで・・・。」


「アクション起こしたらって言ったのはすみれでしょ?」


「私、大原君とまともに話したこともないのに・・・。」


「いいじゃん。ね?お願い!」


そう琴子に泣きつかれて、すみれは断れなくなってしまい、渋々その大役を請け負うことになった。





「もう、どうしたらいいかわからないよ。」


すみれはチキン南蛮を咀嚼し終えると、琴子からの頼み事を航と桔梗に話した。


「あはははっ!すみれが恋のキューピット役か。琴子ちゃんの初恋が実るかどうかはすみれの手腕にかかっているってわけだな。まあ、頑張れよ。」


そう言って白飯を口に入れる航にすみれは文句を言った。


「そんな他人事みたいに言わないで。冷たいなあ。」


すみれがそう泣きつくと、航は箸を置き、口元のタルタルソースをティッシュペーパーで拭き取った。


「仕方がない。知恵を授けてしんぜよう。ベタ過ぎるかもしれないが遊園地なんてどうだ?ジェットコースターに一緒に乗ったりすれば吊り橋効果で恋が芽生えるかもしれないぞ?」


「吊り橋効果?」


「そう。ジェットコースターに乗ると不安や緊張で胸がドキドキするだろ?それを心は恋のドキドキと錯覚するのさ。実際、困難を一緒に乗り越えた相手とは親密な状態になりやすい、と心理学では言われている。」


「ふーん。・・・航君は女の子と遊園地でデートしたことあるの?」


「そりゃまあ、何回かはね。」


自分で聞いておきながら、すみれは航の過去の彼女に激しく嫉妬し、泣きそうになった。


「なんだその顔は。焼きもちか?」


航はすみれの頭をポンと叩いた。


「最近はすみれの相手で忙しくて、女の子との付き合いなんて皆無だけどな。」


「ほんと?」


「ああ。すみれの勉強をみなきゃならないし、買い物や映画にも付き合わなきゃならないし、大忙しだ。」


すみれはその言葉に安堵して笑顔になった。


たしかに航は平日は夜7時までにきっちり帰ってくるし、土曜日はすみれに勉強を教え、日曜日は家でビールを飲みながらメジャーリーグで活躍する大谷をテレビ越しに応援したり、歴史の小説を読んだりしている。


女性とデートしている様子は今のところ見受けられなかった。


「いっそのこと、すみれもボーイフレンドを作ったらどうだい?」


桔梗が湯飲み茶わんを持ちながら、こともなげに言った。


「いやだよ。ボーイフレンドなんかいらない。」


すみれが即座にそう言うと、航がにやにやと笑った。


「すみれはまだまだお子ちゃまだもんな。」


「なに言ってんだい。私が最初にボーイフレンドを作ったのは14のときだよ。」


「お祖母ちゃんと私は違うの!」


すみれはいやいやをするように、首を横に振った。


「すみれはともかく・・・航、あんたも少しは結婚を考えな。この前もあんた宛に結婚式の案内が届いてたじゃないか。友達に先越されてる場合じゃないよ。」


「はいはい。わかりました。」


航はぶっきらぼうにそう言い、桔梗の言葉を適当に流した。


航君は私との約束を覚えているのだろうか?


たとえ覚えていたとしても、きっとあの日の必死の告白は一過性のはしかのような症状だったと思っているのだろう。


だからこんな軽口が叩けるのだ。


すみれは航を恨めし気にみつめた。


航君は私が結婚するまで独身でいるって誓ってくれた。


でも・・・いつかは航君が誰かと結婚する・・・そんな日がやってくる。


私はそれを耐えられるだろうか?


そんなことを考えながら食べるご飯は、まったく味がしなくなってしまった。


すみれは恐る恐る航に聞いた。


「・・・航君、本当は結婚したいんじゃない?」


すみれの不安そうな顔に航は子供をあやすような顔で微笑んだ。


「約束しただろ?すみれの幸せを見届けるまでは絶対にしないよ。」


航が約束を覚えていることを知り、すみれは安心した。


部屋に戻ったすみれはうさぎのららにこうつぶやいた。


「ねえ、らら。私の幸せは航君と一緒にいることなのにね。どうしてそれをわかってくれないんだろう。」


ららはそんなすみれを慰めるように、ぴょんとすみれの膝に乗った。





「ねえ。一緒に遊園地に行かない?」


自分でもいささか言葉足らずだと思ったけれど時すでに遅し。


どう切り出していいか見当もつかなかったすみれは、文芸部の活動時間が終わり席を立った大原の背中にいきなりそう声を掛けた。


振り向いた大原は訝し気にすみれの顔を睨んだ。


それはそうだろう。


今までひと言も話したこともない女子にそんなことを突然言われても、反応に困るだけだ。


しかし大原はなんの躊躇もなく、すぐさまその答えを口にした。


「断る。」


そうハッキリとその言葉を吐きだすと、すみれに一瞥もくれずカバンを持ち立ち去ろうとした。


「ごめん!待って。私の話を聞いて。」


すみれの必死な訴えに大原はもう一度振り向くと、心底嫌そうに顔を歪めた。


「なに?僕、早く帰りたいんだけど。」


「大原君って綿貫君と仲がいいでしょ?」


すみれの問いかけに大原の片方の眉がピクリと動いた。


しかしすぐにいつもの無表情に戻ると、相変わらずの冷たい声で答えた。


「それが何?」


すみれは大原が立ち去るのをブロックするように、ドアの方へ身体を移動させた。


「あのね。同じクラスの川中琴子がね。あ、琴子は私の親友なんだけど・・・琴子が綿貫君と遊びに行きたいんだって。でもいきなり二人きりじゃ恥ずかしいって言うの。だから琴子と私と綿貫君と大原君で、遊園地に行けたらなって思ったんだけど、大原君的にはどう?」


「それはつまり、川中さんが直人を好きだっていうこと?」


「うん。まあ・・・そういうこと。」


大原は怒ったような表情を隠さずにすみれから視線を外すと、小さく鼻から息を吐いた。


「それならなおさら断る。」


「そう言わずにお願い。琴子はああみえて恥ずかしがり屋なの。」


「そんなもん知るか。」


大原はすげなくそう言うと、再びカバンを勢いよく肩にかけ、すみれから逃げる様に図書室から出て行った。


「・・・断られちゃった。琴子、ごめん。」


すみれはそうつぶやき、ふと足元を見た。


そこには黒いパスケースが落ちていた。


今さっき出て行った大原のものだろうと思いながら、すみれはそのパスケースを拾った。


思った通りそのパスケースには、大原の名前が記載されている定期券が挟まっていた。


そしてその裏面には一枚の写真・・・。


それを見たすみれはしばし固まった。


そうか。だから大原君はあんなに頑なに私の誘いを断ったんだ。


すると廊下からバタバタと大きな足音が聞こえ、大原が図書室に戻って来た。


急いで走ってきたのだろう。


息を切らしながら大原はすみれに近づいた。


そしてすみれがパスケースを持っているのを見て、絶望的な顔をした。


「見たの?」


すみれはそのパスケースを大原に差し出した。


「ごめん。見た。」


「・・・・・・。」


「その・・・大原君も好きだったんだね。」


「それ以上言うな。」


「ごめんなさい。大原君の気持ちも考えず、変なこと頼んじゃって。忘れて下さい。」


「同情するような目で見るな。」


「だって。」


「・・・いいよ。行こうか。遊園地。」


「・・・・・・。」


「川中さんと直人、お似合いだよ。ふたりの恋に協力する。僕もこんな不毛な片想いには決着をつけたいと思っていたし。いいきっかけになる。」


「いいの?それで。」


「いいもなにも、君が持ちかけてきたんじゃないか?」


「そうだけど・・・」


悲し気にパスケースの写真をみつめる大原の痛々しくも切なげな横顔を、すみれはなぜか美しいと感じていた。


そのパスケースには眩しいほどの笑顔でVサインをしている綿貫の写真が挟まっていた。






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