ケモノとケダモノ
「たった一蹴りだったんだが…予想以上にひ弱だな。
見下し悪態付くイグバーンを睨みつつ、女将は直ぐに灯りがあった方を一瞥した。
イグバーンはランタンを持ちながら歩いていたはず。そう彼女は思っていた。
だが、いつの間にかランタンは台替わりとなった酒樽に置かれており、彼自身はその間、身を潜めていたのようだった。
「…思念体と…呼びなさい、って…言ってるでしょ…!?」
募る憤りはより一層と彼女を昂らせていく。
彼女は素早く腕を薙ぎ払い、その勢いはかまいたちの如く烈風を生む。
が、先ほどのように人を吹き飛ばすような威力はなく。イグバーンは僅かに体勢を崩されつつも不敵に笑って見せる。
「ちょっとはやる気になったか? と言ってもさっきのような力はもう無さそうだな。ああ、さっきのありゃあ虚勢でも這ってたってところか?」
痛いところを、図星を付かれ女将は顔を顰める。
こうなってしまっては最早、彼女はやけくそであった。
腕を振り上げ、地面を蹴り、イグバーンの急所目掛けその鋭い爪を伸ばす。
止まず絶えず素早い動きの連弾で。
しかし。彼女の渾身の攻撃は余裕綽々のイグバーンに容易く避け続けられてしまう。
更には酒が溜まった床に足を取られてしまう始末。
もたつく彼女の隙を見逃すことなく、イグバーンは女将の腕を掴み上げ、勢いよく投げた。
「がっ、はッ!!」
背負い投げられた女将は酒樽の棚へと叩きつけられ、倒れ込んだ。
「なん、で……?」
そのときになってようやく、彼女は気付いた。
自分の身体に力が入らなくなっていることに。視界も随分とぼやけており動揺する女将へ、イグバーンは告げる。
「乗っ取っておきながら女将さんの言葉を聞いてなかったのか? 下戸だって…」
「下、戸…?」
くらくらと、ふわふわとする感覚。それは感情の高ぶりによる高揚感だと勘違いしていた。
僅かなふらつきも、久々に力を発揮したことへの疲弊感だと、彼女は勘違いしていた。
「こんな空間で度数の高い蒸留酒をぶちまけ続けてりゃあな…酒に弱い奴なら飲まずとも酔うだろうな」
気化した酒の香はじわりじわりと、それを吸った女将の身体を酔わせていたのだ。
天使人格の方は酒に覚えもあったものの、
その不一致こそが酔いの仇となってしまったようだった。
「おの、れ……」
「時に獰猛、時に狡猾……と云われちゃあいるが、所詮はこの程度だってことだろ?」
「うるさいうるさい!!」
足元に上手く力が入らず、立ち上がろうにも敵わず。女将は真っ赤になった顔でイグバーンを睨みつけることしか出来ない。
彼女がまともに動けなくなったことを知るや否や、イグバーンは酒樽を背に倒れ込む女将へと近付いていく。
「色々語ってくれた礼代わりに俺も言っといてやるよ。俺はな、別にお前ら天使の呪いやら願望やら…何ならお前らがどうなろうとも正直どうでも良いんだよ」
彼女の前で屈みこみ、彼はその顔を強引に自分へと向ける。
ランタンの灯りを背に映る男の顔は、笑っているようで笑っておらず。
次第に彼女の呼吸が荒くなり始める。
「俺はただ―――
低く、吐き捨てるような声。
徐々に抱き始めるその感情に、女将の表情が歪み始める。
と、そんな彼女の顔を見下したまま、イグバーンは鼻で笑った。
「あー…それ、その顔だ。お前らがそうした憎しみ哀しみ怒り恨み絶望したって顔見んのが…最高の瞬間なんだよなぁ」
そう言うとイグバーンは投げ捨てるように女将を放す。
力無き彼女はその反動で酒に濡れた床へ倒れ込む。
「……結局は俺もお前も、同じただの
「ち、違う! 貴方たちのようなケダモノと一緒にするな! 私達は黒鷹様に選ばれた、神に値する自由な存在なのよ!」
必死に、尚も反論する女将。
抵抗に動くことは出来ずとも、そう叫ぶことで自身の自尊心を保とうとする。
そんな気高い彼女にため息を漏らしつつ、イグバーンもまた非情に責めていく。
「自由なんかじゃねえだろ。そんな大昔の
「ち、違ッ―――」
その直後。イグバーンは女将の手の甲へ、取り出したナイフを突き刺した。
貯蔵庫内に響き渡る彼女の断末魔。
同時に翼と化していたその腕が暴れたことで、彼女の白い羽が舞い散っていく。
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