化けの皮剥がれるケモノ
「嘘よ…な、んで…あんなに飲んでいたのに…!」
「悪いが酒は強い方でな…あの程度じゃあまだ酔いもしねえよ」
平然と立ちながらそう説明するイグバーン。
ふらつく様子もなく、彼は勝気な笑みを浮かべる。
「そんな…」
一方で動揺の余りに、その場に崩れ落ちる女将。
客人の寝こみを襲い、包丁を突き立てたこの現状には弁解の余地など微塵もなく。
その証拠である包丁は未だ布団に突き刺さったまま、不気味に輝いている。
「こ、これは…そう。そうなの、驚かそうと…思って……」
「酔い潰れただろう人間をか? そりゃあ悪趣味が過ぎんだろう」
そう鼻で笑い飛ばしながら、イグバーンは懐から煙草を取り出し、口に咥える。
「まあ…言動が怪しいってだけで葬ろうとすんのも中々度が過ぎてるがな」
「あ、怪しい…だなんて、思ってなんか…」
「いるだろ? 怪しく見えるように敢えて動いてたんだからな」
ぎこちなく言葉を反す女将に対し、イグバーンは低いトーンの声で返す。
顔を顰め、俯きながら奥歯を噛みしめる女将。
そんな彼女を後目に、イグバーンはマッチを擦り、煙草に火を灯す。
「ここまで過激に攻めて来るのは想定外だったが…まあ誰だってそりゃあ必死になるわな。旦那を殺めた事実を隠している、となればな…」
イグバーンの言葉に、女将は更に顔色を曇らせる。
その横で静かに吐き出される白煙。
「なんで…殺したなんて………私は…彼を、殺してなんか―――」
「事故にしちゃあ偶然が良すぎんだよ」
「え…?」
腰が抜け、すっかり座り込んでしまっている女将へイグバーンは言う。
「旦那が発見されたという物置小屋はこの宿の最奥に隣接されている…そのとき女将は何処に…?」
「そ、それは…調理場に…」
「料理が不得意で旦那が料理番なのにか? しかもこの宿の調理場から物置小屋は真反対の位置にあると言ってもいい。なのによく火事に気付くよな…?」
彼女は既にボロを出しているというのに、イグバーンはよく言えば丁寧に、悪く言えば意地悪く彼女を追い詰めていく。
「気付いたわけじゃなくて…夫を探していたら偶々…小屋が燃えていて…だから、慌てて人を呼んで消火を…」
「だとしたら随分と運が良かったな。少しばかり木枝に燃え移った程度で、宿にまで燃え広がらずに済んだわけだからな。なのに小屋の中の旦那は運悪く黒焦げってか?」
挑発的に、狡猾的に、相手を追い詰め、痛めつける。彼の悪い癖が始まっている。
「それはその小屋が…燃えにくい造りだから」
「だろうな。あの小屋は単なる樽倉庫なんかじゃねえ…樽の焼き直し作業をするために造られた場所なんだろうからな」
樽の焼き直し。
樽は繰り返し使用されていくうちに徐々に劣化してしまい、味の熟成等が衰えてしまうという。
そんな古樽の内部を焼き、焦げ目を付けることを『焼き直し』と言い、この工程をすることで古樽に新たな熟成効果がもたらされ再利用出来るようになるのだという。
本来ならば樽職人に任せる工程であるが、試行錯誤の末に樽造りからこだわっていたというこの村ならば、それ専用の場を用意してあったとしても可笑しくはない。
「だからあの建物は周辺の森林に引火しにくい石造りだし、消火もし易いよう井戸が近くにあった。女将さん…あんたずっと見張ってたんだろ? 連れ添いだった男が丁度いい具合に真っ黒焦げになるまでな」
「ち、違う…」
より一層と女将の顔が青ざめていく。
構わずにイグバーンは問い詰め、追い詰める。
「じゃあそもそも。なんでそんなことをせにゃならんかったのか…その答えは一つだ。隠すためにだったんだよな? 自分がやっちまったっていう殺人の痕跡を―――」
「そんなのでまかせで言ってるだけじゃない!? 私は何も悪くない! 全部、全部全部偶然だったのよ! そう…そうなのよ! 彼はそういう運命だったのよ!」
『偶然』と『運命』。
性別も身分も関係なく、全ての人は等しく『偶然』と『運命』が、赤猫の気まぐれによって与えられる。
それが、赤猫信仰の決まり文句であった。
彼女が投げつけたそんな言葉に、イグバーンは静かに白煙を吐く。
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