爪隠すケモノ
「カイルー! 何処? 何処にいるの?」
その呼び声に反応し、草陰から現れる一人の青年。
切れ長の目と整った顔立ちをしており、夏の風に靡く髪は艶やかな黒色を輝かせる。
「お呼びですか…イレーヌさん」
「お呼びですか、じゃないわ。また勝手に部屋から抜け出して…」
そう言って青年へと駆け寄る一人の女性。
彼女は慌てた様子で青年の腕を半ば強引に組んだ。
「怪我人なんだから、外を出るときは絶対に教えてって言ったじゃない!」
眉尻を下げる女性の視線は青年の手足へと向けられる。
彼の右手左足は厳重に頑丈な包帯が巻かれていた。
「す、すみません…どうしてもブチの様子が気になって…」
青年はそう言うと自身の足下を見つめる。
そこには蹲る一匹のネコがいた。
木陰で昼寝をしていたのだろうそのブチネコは「ニャーオ」と鳴き、青年たちを見つめ返している。
「ブチはもうおじいちゃんネコだから…気になるのも無理ないけれど」
首輪が取り付けられているわけでもない野ネコであるにもかかわらず、威嚇することも逃げることもせず。
そのネコは女性が差し伸べた手を見るや否や、起き上がり擦り寄る程に懐いていた。
「私が以前飼っていたネコのお父さんネコだったの…だからきっと亡くなった娘の代わりに会いに来てくれているのかもしれないのよね…」
屈みこみネコを見つめながらそう話す、イレーヌと呼ばれた女性。
と、そのブチネコは突如、彼女の肩に軽々と飛び乗り、更に擦り寄ってみせた。
「以前はこうじゃなかったのに最近はこうして甘えてくるようになったのよ…私が寂しくないようにしてくれてるのかしらね。甘えん坊過ぎて困っちゃうときもあるけどね」
抱きかかえられたブチネコは愛情表現なのか、彼女の頬や口元を懸命に舐めている。
そんなネコの様子を嬉しそうに語るものの、イレーヌの横顔は悲愴と苦しみの影を落としているようであった。
「……本当はもっと他のネコたちも遊びに来てくれてたのに…最近じゃこの子くらいしか寄り付いてくれなくなったのが、悲しいところではあるけれど…」
「それは多分…貴女の視線が僕にしか向かなくなってしまったせいかも…しれませんね…」
青年はそう呟きながら眉を顰める。
彼の言葉を耳にした途端、イレーヌは顔を真っ赤にして彼の方を見上げた。
「そ、それは…!」
「僕としては感謝しているんです。こんな身なりの僕を何も聞かずに泊めてくれるだけでなく、身の回りの世話までしてくれることに…ネコさんたちから貴女を奪ってしまったことには多少の罪悪感がありますけど…」
だからせめてネコたちに認められればと、こうして悪戦苦闘しているんですけどね。
と、青年は言葉を付け足し苦笑する。
片やイレーヌは未だ耳まで紅くなってしまった顔を懸命に背けたままでいる。
「私は…そんな、大したことしてないわ。むしろ感謝しているのは…私の方なの…貴方のお陰で私は……変われそうなのだから」
「そう言って貰えると嬉しいです。イレーヌさんは本当に優しいから大好きです」
無邪気な笑顔を向ける青年。
そんな彼の顔を見たイレーヌは、視線を交えないまま、その場から立ち上がる。
「…そんなお世辞を言って…おばさんをあまりからかわないで……」
彼女はそう言いながら抱きかかえていたネコを地面へと下した。
ネコはその場に蹲り、再び静かに眠ってしまう。
「ネコと遊ぶのは良いけれど…ちゃんと夕刻には帰ってきてね。それとネコを追いかけて危ない場所には絶対行かないで」
「大丈夫です。ちゃんと宿には帰りますから」
「約束よ…?」
青年の微笑みに呆れた様子で苦笑を返すと、イレーヌは茂みの向こうへと消えていった。
彼女を見送り、手を振りながら一人残った青年。
彼は照り付ける太陽から身を隠すよう木陰へ下がりつつ、静かにその笑顔を止めた。
「恋は盲目と言うが…あれは妄信に近いのかもな……何も、見えていないんだな……」
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