第37話 魂のぶつかり合い

 カタム砦で英気を養い、最終決戦へ向けて準備を進める。

「王都の門番」とも呼ばれているこの場所だ。カタム砦さえ突破すれば、王都は目前であった。忠臣と名高いキ・ソコ将軍とアルボル卿を味方につけた私たちを、阻もうとする者ももういなかった。

 合流した民たちも引き連れ、私たちは城へ足を踏み入れた。


(うわ……)

 城内は、かつて私たちがいた頃とは、まるで様子が違ってしまっていた。

(人がいない……。チヨミが軍を率いて来たと知って逃げたのか。それともすでに、ヒナツに愛想をつかして離れてしまったのか……)


 掃除も行き届いておらず、全体的に薄汚れている。

 さらに、かなりの数の貴重品が持ち去られているようだった。


「閑散としてて、人の気配がないねぇ。これが一国の王のおわす城とは」

 メルクが呆れたように肩をすくめる。

 タイサイはどこからともなく漂ってきた異臭に、鼻をつまむ。

「ちょっと離れている間に、ここまで荒れるものかよ」

「ヒナツ……」

 心配そうに辺りを見回すチヨミの手を、私は取る。

「行こう、チヨミ。ヒナツはきっと、こっちにいるよ」

「うん……」

 私たちは、謁見の間に向かって進んだ。


 ■□■


 予想過たず、ヒナツは謁見の間にいた。

 ここもやはり薄汚れ、閑散としている。

 窓から差し込む光の中で、埃が白く舞っていた。


 荒れ果てたこの光景の中、ヒナツは玉座に腰を下ろし、頬杖をついて私たちを見ている。

 かつて野良犬と呼ばれ何も持たぬ存在だったヒナツ。

 だが、宝石や貴金属で飾り立て国の頂点に立った今となっても、纏う雰囲気はひどく煤けていた。

 ヒナツは取りつかれたような目をして、口元に薄い笑いを浮かべている。

(あっ!)

「ラニ!!」

 ヒナツの側にはラニの姿があった。

 蒼ざめ、恐怖におののく眼差しをこちらに向けている。

 怯えて膝にすがるラニの頭を、ヒナツは猫でも愛でるように撫でていた。

「ヒナツ!」

 チヨミが部屋に足を踏み入れる。

 私も彼女と共に、一歩部屋に入った時だった。


 バタン


 背後で扉が閉まった。


「え?」

 私たちは振り返る。

 扉の陰に隠れていた兵士二人が、鍵をかけ、その上から魔術を施すのが見えた。

「あなたたち、何を……!」

 チヨミの声に、二人の兵士は縮み上がる。

「ひぃ……」

「すみません!」

 だがそこへ、ヒナツの大音声が響く。

「よくやった、お前たち! さぁ、どこへなりと消えるがいい!」


 兵士たちはおびえた表情のままヒナツの方へ走る。そしてそのわきを抜けると、部屋から逃げ出していった。

「みんな!」

 私は閉ざされた扉へ取りすがる。

 分断された向こう側に、メルク王子やその他の仲間が全員取り残されていた。

(くっ、ロックがかかってる! どうすれば開くの!?)

 ゲーム脳の私には、ある程度の目星がついた。恐らくここにかけられたのは施錠の魔法だ。開錠の魔法を持つ人間にしか開けられない。けれど私が知っているのは、簡単な攻撃魔法と補助や回復を目的としたものばかりだ。

「みんな! そっちは無事!?」

 私が扉を叩くと、向こう側からテンセイの声が返ってきた。

「こちらの心配は無用です! すぐにここを開けて合流します!」


 今この部屋にいるのはヒナツとラニ、チヨミ、そして私のたった四人だった。

(こんな……!)


「久しいな、わが妻。そして、わが愛妾よ」

 ヒナツは傲岸不遜な態度で私たちに言い放つ。

(何を……)

 苛立ちと恐怖を覚えながら、悪魔のような笑みを浮かべるヒナツを私は睨む。

「ヒナツ……」

 チヨミは、まっすぐにヒナツを見ていた。

 濁りを纏ったヒナツを、澄みきった眼差しで。

「ヒナツ、話をしに来たの」

 チヨミは清らかで勇ましく、まさに魔王と対峙する英雄の姿そのものだった。

 味方と分断され、戦場の悪鬼のようなヒナツを前にしても、彼女は全く怯む様子を見せなかった。

「今日はあなたに何を言われても、私が思っていることを言わせてもらう。あの日、あなたを気遣い言葉を飲み込んだことで、こんな事態を招いてしまったのだから」

「……ほぉ?」

「ヒナツ様!」

 ラニが怯えて伸びあがると、ヒナツの首にしがみついた。

「ヒナツ様、私怖いですわ。私、あの者らに殺されるのは嫌です! まだ死にたくありません!」

「ラニ……」

 ヒナツは目だけを動かし、すがりついてくる幼女を見る。そしてラベンダー色の髪をいつくしむように撫でた。

 ラニはこちらを肩ごしに振り返ると、涙の浮かんだ目で睨みつけてきた。

「御覧なさいませ、ヒナツ様! お姉さまたちのあの悪鬼のように恐ろしいお顔!」

 おい! 失礼だぞ、そこの美少女!

「ヒナツ様、この世で最も強く、最も正しく、最も尊いお方、必ずや私を守ってくださいましね? 甘言にほだされて、私を見捨てないでくださいましね?」

 ガクガクと震える細い体を、ヒナツは愛し気に抱き寄せる。

「あぁ、ラニ、わかっている……。お前は何も案ずるな」

 それはこれまで聞いたことがないほど、優しいヒナツの声だった。

「お前だけは、俺を見捨てずにいてくれたのだからな」

「ヒナツ様……」

「ヒナツ……!」


 チヨミの声に応じるように、ヒナツがゆっくりとした動きで王座から立ち上がる。

 そして剣を鞘から抜くと、重々しい足取りで一段、また一段と階段を下りてきた。

(ひ……!)

 彼の放つ殺気だけで、足が強張る。これほど死を間近に感じたことはなかった。まだ十分な距離があると言うのに、もはや魂が生きることを諦めかけている。体が気絶を選び取ろうとした時だった。

「ソウビ、下がってて」

 チヨミの凛とした声に、私の意識は引き戻される。彼女は堂々とその場に立ち、ヒナツを見据えたまま細身の剣を手にしていた。

「ヒナツ、あなたに王の座から下りてもらう」

「……」

「あなたは王位をトロフィーか何かのようにしか思っていない。でもね、その地位はこの国の誰よりも責任の重いものなんだよ。おもちゃのように扱ってはいけなかった!」

 ヒナツが鼻で笑う。けれどチヨミは言葉を続けた。

「国中の全ての人の幸せを想いながら、あなたは地位や力、そしてその体や頭脳を駆使しなきゃならなかった。でも、あなたの目に入っていたのはラニだけ。あなたの自尊心を満足させてくれる幼い少女一人」

 チヨミは一つ大きく息を吸うと、はっきりと言い放つ。

「それは王にはふさわしくない行いなの!」

「うるさい」

 羽虫を追い払うような仕草をし、ヒナツがさらに距離を詰めてくる。けれどチヨミは止まらない。

「民があなたに求めたのは、自分たちと同じ目線を持ち、寄り添い共に歩んでくれる強い指導者。けれどあなたは、そんな民の望みを、命をないがしろにした」

 チヨミの目に戦う意思が宿る。剣を構え、その澄んだ声を室内に響かせた。

「ヒナツ! 今、この国に、あなたを王にいただきたい人間はもういない!」

「黙れ!!」


 ギィンと音を立て、刃がぶつかり合う。

「くっ! 黙らない!」

「誰に向かって口をきいている! 俺は王だ!」

 ヒナツの攻撃が絶え間なくチヨミに降り注ぐ。チヨミはその刃を全てギリギリで凌ぐ。

「俺は誰よりも高い地位にあり、誰よりも尊い! 俺に命令できる人間は、もはや誰もいない! 民が俺にそうあれと望んだのだ。今さら何を言う!」

「くぅっ!」

 チヨミの顔が苦痛に歪む。力の差は圧倒的だった。

(いけない!)

 私も腹をくくる。

(チヨミがいくら策謀を得意としていても、こんな真正面からじゃヒナツには勝てない!)

 ここでただチヨミに守られているだけじゃだめだ。

 チヨミはヒナツを、私はラニを。私たちは二人で、大切な人を救いにここまで来たのだから。

 私は自分の内部へ意識を集中させる。

(補助魔法でチヨミを助けよう)

 何とか頭に叩き込んだ古えの言葉を、ヒナツに気づかれないよう詠唱する。

(防御力アップ!)

(攻撃力アップ!)

(敏捷性アップ!)


 私はチヨミに補助魔法をガンガン重ね掛けする。完全に劣勢だったチヨミが、徐々に持ち直し始めた。

 激しい剣戟の音が続く。


(よし! バフ盛り盛り! いける!)

 私は小さくガッツポーズをする。

(けど、原作ゲームだとチヨミは1人でヒナツと対峙するってことになる? ここ、どう攻略するんだろ?)

 つい、ゲームの攻略で考えてしまう。

(負け確定イベント? それともレベルマックスまで育てて経験値で殴る系?)


「ほぅ?」

 ヒナツがこちらを見て、ニタリと目を細めた。そして一撃でチヨミを弾き飛ばす。

「ぐふっ!」

 壁に叩き付けられ、チヨミが呻く。だが、かつての妻のそんな姿を振り返ろうともせず、ヒナツは私に向かって進んできた。

「ソウビ、面白い真似をしているではないか!」

(ぎゃああああ、こっち来たぁああ!!)

 ヒナツが剣を大きく振りかぶる。その瞳は完全に、獲物をいたぶる肉食獣のものだった。私は逃げることも叶わずその場にたたずむ。

(足が、動かない……!)

 悪魔のような笑みを浮かべたまま、ヒナツは私の頭上へ振り下ろそうとした。

(もうだめ……!)

 しかしそこへ、チヨミが走り込んでくる。

 息を荒げながら、チヨミは細身の剣でヒナツの刃を受けとめた。

「ヒナツ、させない!」

「邪魔だ、どけ!」

 傷だらけのチヨミが不敵に微笑む。

「こんな時くらい、私だけを見てくれてもいいでしょ?」

「チィッ!」


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