第29話 集中講義
イクティオ王都への帰還に向けて、私にはやるべきことができた。
「はい、これも」
書斎の机に、ユーヅツが魔導書を積み上げる。どさりと重い音を立てたそれからは、歴史を感じさせる特有の匂いがした。
(ぐほ……)
顔を引きつらせながら、私はユーヅツを振り返る。
「えぇと……」
「戦力になりたいんでしょ? だったらこの魔導書の中身、どんどん頭の中に叩き込んでいって」
「ぁい……」
王都への道行きは決して平穏なものではない。
チヨミの命を狙う者はいまだ健在だろうし、私自身、ヘイトを集めているラニの身内と言うことで襲撃される可能性が高い。
つまり、戦えない人間がのこのことついていける状況ではないのだ。同行するのであればその覚悟を持って、戦力にならなくてはならない。
私の場合、魔力の値は高いらしいがほとんど使いこなせていない。前にユーヅツに一時間で叩き込まれた初級魔法は、私の世界で言えば小学生レベルのものだそうだ。
そんなわけで、イクティオ随一の魔導士様であらせられるところのユーヅツ先生に、魔法の集中講義をお願いしたわけである。
(長文の暗記なんて受験以来だよ!)
私は魔導書を開く。幸運なことに、内容はちゃんと理解出来た。
「前にも教えたけど、一旦復習しようか。魔法を使うのに必要なことが三つ。ソウビ、一つ目は何?」
「魔力、だよね?」
「そう、誰がどれだけ使えるかは素質にもよるけどね」
言いながら、ユーヅツは黒板に図を描く。
「初期能力が低くても、トレーニングである程度は鍛えることもできる。ソウビは元の魔力が優れているから、ここは気にしなくていい」
ありがとう、王家の血! ソウビの体!
「次に技術。どういうものだったか、ソウビ、やり方覚えてる」
本当に学校の授業のようだ。
「体の中心でエネルギーの弾をイメージして、腕を通して手から放出する」
「正解。エネルギーの流れをしっかり意識しなければ、コントロールや威力が落ちてしまう。今の君は、これに一番苦労しているね」
その通り。そもそも私の元の生活に魔法なんてなかったんだから。イメージとか放出とか言われても感覚が分からない。とりあえず、かめはめナントカのつもりでやっている。
「そして最後は記憶力。まぁ、呪文は頭に叩き込みさえすればいいから」
ユーヅツの言葉に苦笑いする。
確かにエネルギーのイメージをどうこうよりは、体感的に分かりやすい。
分かりやすいが、「=できる」と言う意味ではないのだ。
例えば、初級魔法の呪文は英語に例えれば「I play baseball」くらいの感じだ。
ところが高等魔法になるとシェイクスピア劇のワンシーンみたいな呪文になる。
それを間違えずによどみなく詠唱しなくてはならない。
つまり魔法を発動するには、
魔力を、
体の中心から腕を通って手から放出するのをイメージしつつ、
正しく記憶した呪文を正確に詠唱すること
以上が必要となる。
だが、やり方を知識として取り入れても、実践できるとは限らない。詠唱に集中すると、イメージを練ることが疎かになり、イメージに集中すれば、文章が頭から抜けて詠唱を失敗した。
「ソウビ、イメージが弱いよ」
(おぶぉ!)
「ソウビ、詠唱、一文飛ばした」
(あぅ)
「ソウビ、コントロール」
(うぎぃい!)
特訓を始めてどれほどの時間が経っただろうか。
「休憩しようか」
ユーヅツの声が聞こえたのは、私の集中力がボロボロとなり,自分が何をやってるかもわからなくなった頃だった。
(頭から、煙出そう……)
私は机にばたりと突っ伏し、冷たい天板に頬をくっつける。
脳を酷使したせいか、ぐるぐると眩暈まで起きていた。
「ソウビ、いい感じで上達してるんじゃない?」
言いながら、ユーヅツはお茶を用意してくれる。のろのろとカップに手を伸ばし、中身を口に含むと、人心地がついた気がした。
「上達かぁ。……そっかな」
実感がない。感覚的には、バスケで一本もシュートが入らなかったのに『いい感じ』と言われている気分だ。
けれどユーヅツは顎に手をやり、うなずいている。笑ってはいないが、渋い顔もしていない。
「この間初級魔法を身に着けたばかりにしては、いい成長率だよ。さすが王家の血筋」
それは褒められているのだろうか。
しかし、すぐにユーヅツの眉根に軽いしわが寄る。
「ただ、戦場に繰り出すとなると微妙だな。手ごわいと思ってもらえなきゃ、相手は集中攻撃を食らわせてくるからね」
(ぐぅっ)
これはすごくわかる。私も『ガネダン』のプレイ中、簡単に倒せる弱いキャラから集中的に撃破していた。敵の手数を減らすことで、味方のダメージが抑えられるからだ。
(……そのターゲットに自分がされるのか)
ゾワリと寒気がした。
(ゲームなら、敵が来ない場所に配置して、経験値だけ稼がせるやつだよね)
『ガネダン』の戦闘マップ画面を思い出す。
勢いで戦力になりたいなどと言ってしまったが、今更ながらかなり無謀な気がしてきた。
(てかさ、私って転生者みたいなものだよね? なんで、『詠唱なしでいきなり発動』とかできないの!? 『私何かやっちゃいました?』ムーブやりたいよ!)
『私、何かやらかしちゃいました?』は何度かやった気がするが。
(受験生並みに苦労しなきゃならないのは、なんでだよぉおお!!)
「はい、休憩終わり。特訓、再開するよ」
ユーヅツは当たり前のように言ったけれど、「弱いと標的にされる」というどうしようもない事実が、ひどく不安を掻き立てていた。
ゲームなら、敗北しても画面から一旦撤退するだけだ。戦闘後のストーリーでは何事もなかったかのように登場する。けれどこの世界で深い傷を負えば、そんなわけにはいかない。
私は初めて、深刻な身の危険を感じていた。
「あのさ、ユーヅツ。もしかして私、戦場に出ない方がいい?」
「なんで?」
「いや、足手まといとか、迷惑になるだけじゃないかな、なんて……」
「まぁ、ソウビが戦力として頼りになるかと言えば、ならないけど」
(げふっ)
さすがユーヅツ、淡々と容赦がない!
けれど、私に実力以上の期待をしていないことに、少し安堵した。
「ソウビは元々の魔力が強いから、初級魔法でもそれなりの威力は出ると思うよ。後方支援としてはいいんじゃない?」
(後方支援か……)
「気が進まないなら、無理強いはしないよ。怖ければ戦場に出るのはやめておいたら?」
(うぅ……)
正直なところ、そうしたい気持ちはやまやまだ。
けれど、チヨミと『ヒナツとラニを救いに行こう!』なんて盛り上がっておきながら『やっぱり怖いので高みの見物しています』なんてのは言いづらい。
「ソウビはこれまで通り後方に控えて、治癒に専念してくれるのもアリだと思うよ。何も戦場で武器を振るうだけが戦いじゃないからね」
(ユーヅツのこの言葉はすごく有難い。だけど……)
私の代わりに悪女の役を割り当てられたラニを、この手で救いたいと言う気持ちも本当なのだ。
私は『GarnetDance』の戦闘マップ画面を思い出す。
(戦力になるかどうか怪しいレベルのキャラを出撃させるとしたら、私ならどこに配置するだろう……)
やはり敵に直接ぶつからない、後方に配置する。ただ、背後から増援が来た時のことも考えて、近くに1人ほど戦えるキャラを置いておく。
基本は治癒の役割に専念させる。あと僅かでも攻撃力がほしい、と言う時にだけ攻撃に加わる。
出来るだけ強いキャラの背後について回り、そのキャラが常に万全の状態で戦えるように、優先して回復させる。
(こんなところかな)
私は考えをユーヅツに伝えた。
あくまでもゲームからイメージした配置なので、現実的ではないと否定されることは覚悟していたのだが。
「いいんじゃない、それで」
「えっ? いいの?」
「うん。自分の実力を冷静に俯瞰で見てて、理にかなっていると思うよ」
ユーヅツはあっさりとうなずいた。
「そっか。じゃあ、そうしようかな」
「なら、ちょっと待ってて」
ユーヅツは書庫へ向かうと、手際よく分厚い魔導書を引っこ抜く。それらを私の目の前へタワー状に積み上げると、今まで私の側にあった本を遠ざけた。
「覚えるのはこれとこれと、ここからこのページと」
「えっ? 魔導書が入れ替わった上、冊数増えてない?」
「攻撃魔法の書は減らして、治癒と状態異常回復の書を持ってきただけだけど?」
ユーヅツはページを開き、一つ一つ説明を始める。
「これが火傷回復、これが混乱回復、これが盲目回復、これがマヒ回復……」
(ヴァッ!?)
補助魔法、舐めていたかもしれない……。
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