未開の街道を進んで

 港町ペニンから始まる未開の街道は一旦南に下ってから北へと伸びている。竜鱗の山脈の尾部と呼ばれる南端を迂回するためだ。そこから竜鱗海に面する海岸に沿って進む。


 では延々と海岸を眺めながら旅をするのかというとそうではない。山脈の裾野から海岸まで短いところでも50オリックもある細長い平原の真ん中を街道が通っているからだ。そのため周囲は地平線の彼方まで平原である。


 まったく代わり映えしない景色の中、幌付き荷馬車がゆっくりと街道を北に進んでいた。つばあり帽子を被った浅黒い肌の老人セストが御者台でのんびりと馬を操っている。


 荷馬車の後方、荷台の端に座っているのはつばあり帽子に全身を覆う外套を身に付けた若い男2人だ。やや幼い顔の青年ブレントが楽しそうに喋る。


「セストさんに話を聞いていたけど、本当に何もないね」


「そうだね。こういう場所はいくつも通ってきたけど、なんだか一番僻地って感じがする」


「あはは、俺もだよ。この街道っていうか道がもういかにも田舎って感じだし」


「ここが果ての地だって知っているから余計にそう思うのかなぁ」


 遠ざかっていく背後の風景を眺めながらユウは言葉を返した。夏の盛りは過ぎたがまだ日差しが強いので景色全体の色彩が鮮やかだ。


 暑さでいささかしおれ気味のユウに対してブレントは楽しそうに話し続ける。


「獣や魔物に襲われないっていうのはいいよね! 馬車に乗ってるだけで報酬がもらえるんだから最高だよ」


「あんまり大きな声で言うもんじゃないよ。セストさんに聞こえちゃうだろう」


「おっとごめんよ。今までの旅は波瀾万丈だったから、ついね」


「そこは同意かな。竜鱗の街道に比べたらずっと安全なのは間違いないし」


「往来がなさすぎて盗賊もいないんだもんなぁ」


「だから竜鱗の山脈に住んでいる飛翼竜ワイバーンもこっちには来ないんだよね。反対側の遊牧民の家畜を襲うって聞いたことがあるよ」


「なるほど、あっちにいっぱい餌があるからこっちは安全ってわけだ! 銀竜の高原とは大違いだなぁ」


 感慨深そうにブレントが首を横に振った。


 かつて通った場所を耳にしたユウも曖昧な声をわずかに漏らす。あのときと同じく、今飛翼竜ワイバーンに襲われてもやはり何もできない。


 半月ほど何事もなく馬車に揺られて北に進むとモイスの村に着いた。街道上の集落だけあって宿屋がある。木造の家屋だ。


 荷馬車を宿屋の手前の庭に停めたセストが荷台の2人に声をかける。


「着いた。儂は馬の世話をする。荷物番を頼んだぞ」


「久しぶりの町だ! ユウ、どっちが先に休憩する?」


「ここ村だって聞いているよ。まぁいいや。で、休憩だけどブレントが先に行ったらいいよ。僕が荷物番するから」


「やった、ありがとう!」


 満面の笑みを浮かべたブレントが荷物を置いたまま荷台から飛び降りると、朱色に染まる村の中心部へと駆けていった。


 その後ろ姿を見送ってからユウはセストから支給された干し肉を取り出して囓る。少し水を含んでは口の中でほぐして飲み込んだ。


 日没が近くなって辺りが見えにくくなった頃、セストが1人で戻って来る。


「荷物番はユウが先か。ブレントが戻って来たら酒場に行くのかね?」


「いえ、このまま馬車で寝ます」


「少しくらい羽を伸ばしてもいいと思うんじゃが」


「前にセストさんがこの村の酒場で出る料理を教えてくれたでしょう? あれを聞いてだったらターミンドの町に着くまでこのままでもいいかなって思ったんですよ」


「あぁなるほどなぁ。そいつぁ賢いの。しかし、荷物番で宿にも泊まれんのじゃから、それでは息が詰まってしまわんか?」


「これだけ獣や魔物の襲撃がないんでしたら、あと2週間は我慢しますよ」


「ふむ、そうかい。なら、儂も1杯引っかけてくるとしようかの」


 にこやかな顔のセストは穏やかなままユウに背を向けた。


 食事が終わるとやることがなくなったユウは荷物にもたれかかって周囲に目を向ける。もうほとんど何も見えない。


 未開の街道はターミンドの町が終点でその先はもうないというセストの話をユウは思い出した。まだ開拓が進んでいないという。


「ターミンドの町に着いたらどうしようかな」


 果てまで進むのが目的だったユウはその後について考えを巡らせた。ブレントなどは町に着いたらそこが出発点だが、ユウにとっては終着点である。特に何も思い浮かばない。


 考えがまとまらないままユウがぼんやりとしていると足音が近づいてくる。


「ユウ、交代しよう!」


「早いね。村に着いたら飲むんだって言っていたのに」


「それが聞いてくれよ! この村しけてるんだぜ。薄いワインしかないんだ。あんなんじゃ酔えないよ。しかも飯は固い黒パンに薄いスープときたもんだ。あれじゃ羽なんてのばせやしない」


「セストさんが言っていた通りだったんだ。それを承知で行ったんじゃないの?」


「確かにそうだけど、普通はもうちょっとこうなんかあってもいいと思わない?」


「そう言われても」


「とにかく、だから俺はさっさと切り上げたってわけさ。ユウも行ってきたらいいよ」


「いいよって言われても、そんなことを言われたら行く気なんてなくすよ。それに、僕はもう夕飯を済ませたから」


「そっか、それが賢いね」


「ところで、銅貨しか使えないっていうのは本当だったの?」


「ああ、鉄貨はなかった。だから割高だったな。あー今思い出しても腹が立つ!」


「だったらターミンドの町もそうなんだろうな。これは滞在費が高く付きそう」


「なに、だったら稼げばいいんだよ、帰らずの森でね!」


 荷台に乗り込んできたブレントがユウの反対側に座って明るく答えた。


 返事を聞いたユウは微妙な顔をする。ブレントからはほとんど見えないので表情については何も言われない。


 こうして、ユウのモイスの村での滞在は野宿のときとさして変わらないものとなった。


 モイスの村に丸1日滞在した翌朝、ユウたちは再び未開の街道を北に進み始める。やることも周囲の風景も以前とは変わらない。


 そのうち暇に耐えきれなくなったブレントが荷馬車の前に寄ってセストに話しかける。


「セストさん、ターミンドの町ってどんなところなんです?」


「活気のある田舎町と言ったところじゃの。あんたのような希望に燃えた若い冒険者がちらほらとやって来ては、あの森で働くんじゃ」


「やっぱりみんな魔物を倒してはお宝を手に入れてるって感じ?」


「いや、大半が魔石の採掘をしておるよ。襲ってくる獣や魔物は追い散らしているようじゃがな」


「魔石の採掘? 未知の遺跡なんかを探検してるんじゃないの?」


「そっちもたまにしておるようじゃが、頻繁にはないのう。何しろ探検隊が募集をかけるのは年に数回じゃからな」


「えー、それって魔法使いなんかが隊長のやつでしょ? 冒険者パーティだけで探索はしてないの?」


「間違っても本人に魔法使いなんて言うんじゃないぞ。ああいうのは怒らせると厄介じゃからな」


「ああうん、魔術師って言うんだっけ?」


「そうじゃ。それと、冒険者だけでの探索はしとらんみたいだぞ。帰らずの森での遺跡探索は危険じゃからな。早々あるものではないわい」


「えー、危険に挑戦するのが冒険者なのになぁ」


 帰らずの森での冒険に胸を躍らせていたブレントはあからさまに落胆した。ため息をついて荷台の後方へと戻って来る。


 夜間でさえこれといった危険がほとんどない旅はその後も続いた。


 10月に近づくと残暑が一層弱まり、それに従って未開の街道が東側へと進路を傾ける。そうして旅も終わりに近づく頃に南の竜鱗海へ流れる大河にぶつかった。


 停まった荷馬車から降りたユウは渡し守と話をするセストを眺める。


「こんな果ての場所でも渡し守っているんだなぁ」


「そりゃ向こう岸に町があるからね。俺たちみたいなの相手に商売する奴がいて当然だろうさ」


「仕事をしていないと自分で支払わないといけないんだよね。あれ結構きついんだよなぁ」


「ユウはあれを払ったことがあるの?」


「そりゃここに来るまでにいくつか川を越えたから、って、ブレントは払っていないの?」


「俺、船に乗ってきたんだよね」


「ええ!?」


「いやだって砂漠越えなんてどう考えても無謀でしょ、って、ユウは船じゃないの?」


「僕、ずっと陸路できたよ」


「ええ!?」


 どちらもお互いの移動経路を知って目を丸くした。自分の選択した経路が普通だと信じて譲らない。ついにはセストに判定を委ねて決着を付けようとしたところ、陸路が多数派だが死亡率は低くないという言葉が返ってきて2人とも微妙な顔になる。


 その間に荷馬車が渡し船に移動し終わり、渡し守が3人を呼びつけた。肩をすくめたセストがすぐに踵を返して船に乗り込む。無言でお互いの顔を見ていた2人はため息をつくとセストに続いた。

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