第3話 医者の老婆

 翌朝、目覚めたルルは自分の格好が未だにガウン姿であることに気づく。この姿のまま町の中を歩いていたんだと思い出すと思わず赤面してしまう。



「本当なら洗濯したいけど……」



 服が一着しかない以上、洗濯をしてしまうと乾くまで全裸でいないといけない。さすがにそれはできなかった。



「ほんの気休めだけど――」



 ガウン自体に治癒魔法をかける。

 治癒属性が付加されたガウンは普通ではあり得ないほどの防御力を発揮する魔道具に生まれ変わっていたのだが、ルルはそのことに一切気づいていなかった。



 くぅ……。



 そんなことをしているとルルの腹の虫がなる。

 結局昨晩は疲れてしまってそのまま眠ってしまったので何も食べていなかったのだ。

 ただ、そもそも病弱で食が細かったルルは一食抜いたくらいじゃそこまでお腹が減ったりしなかったのだが、さすがに一日抜いたらダメだった。



「うん、ご飯食べに行こう」



一旦服のことは忘れて朝食を取りに行くことにする。



 食堂へ移動するとすぐさまエレンに捕獲されていた。



「あっ、ルルちゃん、待ってたよ。さぁ座って座って」



 手を掴まれて、そのまま席へと誘導される。

 すると、すぐさま目の前に朝食が用意される。


 黒く固いパン。塩気の強く薄いスープ。何かわからない果物。あとは何の肉が使われてるのか不明のソーセージが二本。



――硬い……。



 まずはパンを手に取りそのまま口にしたのだが、あまりの硬さに噛み切ることができなかった。

 こんなものをどうやって食べているのだろうかと思い、周りを見ると他の人たちはそれをスープにつけて、柔らかくしてから食べているようだった。


 ルルもそれに倣って同じようにスープにつけて食べてみる。



――これでもあまり美味しくない……。



 少しだけ柔らかくなったものの、それでもまだまだ固い上にスープがしょっぱいので、水なしには食べるのが大変だった。


 ソーセージはパンやスープに比べるとだいぶ味はよかったが、朝から肉料理は病院暮らしが長かったルルにはすごく重く、一口食べるだけで胃がもたれてしまう。


 最後に果物を手に取るとこれが一番ルルには合った。

 先ほどまでの塩辛さや胃もたれを払うように瑞々しく、シャリッと心地よい音がする。


 それをリスのように頬張るルルを見てエレンが微笑ましそうに口元を緩めていた。







 食後、ルルは門兵に教えてもらった店へと向かうことにした。

 持ち物は相変わらず門兵にもらった水筒だけ。

 その水筒の中の水はルルが治癒魔法を使っておりある程度の傷や病気が一瞬で治る中級治療薬ポーションになっていたが、相変わらずそれを飲み水として利用していた。


 昨日歩き回ってようやく町の地図がおぼろげにわかってきたのだけど、この町は大きく分けて五つの場所に分類される。


 商業区域、貴族区域、工業区域、居住区域、貧困区域。


 円状の城壁に囲まれた城郭都市で北と南に町の外へ繋がる城門があった。それを繋ぐ南北を走る大通りの側が商業区域。


 中央の通りから東へ進むとしばらく貴族専用の店が建ち並んだ後に貴族区域があり、ここがこの町の行政をになっていた。

 更に進んだ東の端が領主邸。

 その側に領主が率いる兵の詰め所があった。


 中央の通りから西へ進むと少し安めの庶民向けの店が建ち並ぶ。


 その通りから細かい路地がいくつか伸び、北西と北東に居住区域。南東に工業区域、南西に貧困区域があった。


 ルルが今泊まっている宿は中央から西へ少し行き、そこから一本路地に入った先、庶民向けの宿であった。

 今から向かう先は工業区域側にある店なので町の位置としては正反対に位置している。



 石畳の敷かれた大通りの端を隠れるように歩く。

 たまに人とすれ違うとなんだか服を笑われてるような気がしてフードを被り直していた。

 もちろんそんなことはなく、可愛らしい子が一人で歩いているのを微笑ましく見ていただけなのだが。


 目的地付近にたどり着く。

 しかし、ここから目的の場所を見つけるのが至難の業だった。


 門兵はしっかり店の場所とその名前を地図に書き示してくれていた。

 しかし、ルルはその文字を読むことができないため、近くまでは行けたとしても、詳細な店の場所までは分からなかった。

 宿の場合は看板が上がっていたことと他に近くに宿がなかったことが功を奏したのだが……。



「似たお店がたくさん……」



 工業区域にある家や工房は知識のないルルからしたらその違いがまるで分からない。

 しかもここは用のある人しか通らないために人通りも少ない。


 地図を握りしめたまま、ルルは固まってしまう。

 そんなルルを見かねたのか、工房にいたガタイのいいエプロン姿の男性が声をかけてくる。



「お嬢ちゃん、こんなところでどうしたんだ?」

「あの、道に迷ってしまって……。ここに行きたいのですが……、ひっ」



 ずっと地図に目を落としていたルルだが、顔を上げて声をかけてくれた人を見ると、そこにいたのは厳つい髭面をした熊のような男性だった。


 心配してくれているのはわかっていたが、その見た目の威圧から思わず悲鳴を出してしまう。



「はははっ、びっくりさせてしまったか? 別に取って食おうとしてるわけじゃないから安心しろ。なになに……。おぉ、ここはマリン婆さんの店だな。案内してやるから着いてこい」

「あ、ありがとうございます。あと、驚いてしまってごめんなさい」

「気にすんな。慣れてる」



 男はどこか遠い目をしていた。

 本当に何度も驚かれているのだろう。



――優しい人でよかった……。



 ルルは安心して男の後ろに隠れるように道を案内してもらう。







「婆さん、客だぞ!」



 なんの変哲もない家の一つに声をかけながら入る男。



――せ、せめてノックしてから……。



 ルルは不安に思いながら男に続いて中へと入る。



「なんじゃい、突然に!」



 中から怒鳴り声が聞こえてきて、ルルはビクッと肩を振るわせる。それと同時に男の陰に隠れて、目に涙を溜めていた。



「客だぞ! ほら、嬢ちゃん。ここがその地図に書かれていたマリン婆さんの店だぞ」

「あ、あぅぅ……」

「婆さん、客を怖がらせてどうするんだ!」

「ふんっ、別に儂が怖がらせたわけじゃない。それに儂はまだぴちぴちの120歳じゃ!」

「ヨボヨボの間違いだろ」

「あんたはもう用はないんじゃろ。しっしっ、早く出ていきな」

「そうだな。こんな薄気味悪い場所にいつまでも居たくない。帰らせてもらうぞ」



 男が去っていく際にルルに向けて笑みを浮かべながら小声で言う。



「安心しろ。見た目はこんなだが、悪い婆さんじゃない」

「そ、そうなのですね。わざわざ案内して下さってありがとうございます」



 ルルが深々と頭を下げると男は片手を上げて去っていった。







 悪い人じゃないと言われてもその見た目からルルは萎縮してしまい、ただでさえ小柄な体がさらに小さくなっていた。



「それで儂に用とは一体何じゃ?」



 老婆はゆっくりした足取りでルルに近づいてくる。


 怪しげな黒ローブを着ており、曲がった腰を支えるために杖をついており、白くて長い髪が波打っている。

 シワがれた顔と高い鼻、俗に言う魔女のイメージそのものの人がそこにはいた。



「あの、門兵さんに働ける場所がないかと聞いたらここを教えてくれたんですけど……」

「ちっ、また面倒ごとを……」



――舌打ちされたよ!? 働ける人を探してるんじゃなかったの?



 ここで働けないとなると一からお金を稼ぐ手段を考えなくてはならなくなる。

 不安げな表情をルルは見せる。



「仕方ないね。よそで働くところもないんじゃろ。雇ってやるよ。ただ、一日銀貨一枚だ。それ以上は出せないよ」

「はいっ! ありがとうございます」



 雇ってもらえることになったルルは元気よく頭を上げてお礼を言う。



「ところでここってなんのお店なのですか?」



 店の中を見ても埃被った棚には何も置かれておらず、店内は薄暗いのであまり客を呼ぼうという雰囲気には見れなかった。

 ただ、いくつかの空き瓶が置かれていたり、変な草や訳のわからないものまで色々と置かれていたので、全く商品がないと言うわけではなさそうだった。



「そこからの説明がいるのかい。儂は医者じゃ」

「お医者さんなのですね」



 それを聞いてルルは笑みを浮かべる。

 異世界の医者ということは自分と同じ治癒魔法の使い手なのだろう。

 それなら色々と学べることがあるはず。



「でもちょうど小間使いが欲しかったところじゃ。早速今日から働くかい?」

「はい、お願いします」

「わかった。それじゃあ、まずはこの部屋の掃除をしとくれ。これが全ての基本じゃ。綺麗になったと思ったら呼びに来とくれ。掃除道具はそこに入っておるからね」



 老婆が指差した先にはろくに使われたことがなさそうで蜘蛛の巣が張っている箒や埃被っている雑巾、木製の脚立が置かれていた。



「あとは客が来たら呼んどくれ。儂は奥の部屋にいるからね」

「わかりました。頑張ります!」



――見習いが掃除から始めるのは基本だよね。よし、頑張ろう。



 拳を振り上げ、気合いを入れるとルルは掃除を開始するのだった。


 まずは換気のためにドアを開ける。

 本当なら風の通り道を考えて二方向の窓を開けたいところだが、この部屋には窓がない。

 仕方なく、玄関のドアだけで我慢をする。


 今まで碌に掃除をしてこなかったのか、ちょっと掃いただけで埃が宙を舞っていた。



「ケホッ、ケホッ……」



 思わずルルは咳き込んでしまう。

 しかも、埃を払っても元々床や壁、棚は汚れているようで全然掃除した気にならなかった。それでも日々の生活のために、と体に埃を被りながら埃を払い終える。


 ただここまで汚れているといつまで経っても綺麗になるなんてことはない。

 もしかして何か決定的な勘違いをしているのかもしれない。


 そう考えたルルは老婆が「これが全ての基本じゃ」と言っていたことを思い出す。



――あれって掃除をすることが当たり前、って意味じゃなくて、この部屋を綺麗にすること自体が治癒師としての基本ってことだったの?



 ルルは既に治癒魔法を使うことができるが、医者の卵として治癒魔法の特訓をするために掃除をするのなら、汚れ自体に治癒をかけてみてもいいかもしれない。

 そう考えたルルは水筒に入っているポーションを床に振りかけてから雑巾で拭いていく。


 すると、まるで新築のワックスがかけられたばかりになったかのように綺麗な木目が姿を現した。



――やっぱりこれって治癒魔法の練習のための掃除なんだ。



 綺麗になった床を見て嬉しそうに微笑むルル。

 床や壁、棚や天井を徹底的に磨き上げたのだった。


 ただ、たまたま治癒魔法が汚れや劣化悪しきものに効果があっただけで老婆の思惑はまた別のところにあった。


 そもそもこの家は老婆が祖母より受け継いだもので築300年は優に超える。

 綺麗にしてくれ、というのは文字通り『埃をゴミを掃除してくれ』というだけの意味合いだったのだが、治癒魔法の練習と勘違いしたルルの手によって、匠もびっくりの新築同然に生まれ変わったのだった。

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