狼少年と怪人少女
その女は異様な匂いがした。
単純なものじゃなく、なにかが複雑に混じりあったような匂いだ。
俺の語彙力じゃ言語化するのは難しいが、あれはやばい。
見た目は警戒するようなものじゃない。
いや、ある意味警戒するほどの見た目の良さはあるのかもしれないが、その匂いがどうしても見た目以上に危険性を現している。
速水達はなにも感じちゃいなかったようだが、それはその女、佐倉が敵意や害意を周りに向けることがなかったからだろう。
その点を考えると、佐倉の存在自体がなにかしらあるということなんだろうと思える。
佐倉がなにかしでかそうとしているわけじゃないなら、俺からなにかするわけにもいかない。
とはいえ、これまでの経験からなにか日常に変化があったときにはこの街でなにかが起きなかったことはほとんどない。
あの佐倉の複雑な匂いからして、なにも起きないわけがないんだろう。
そして、なにか面倒事が起きるというなら、俺も黙って見過ごすわけにはいかない。
俺にはこの街を守る役目があるのだから。
そうはいったもののなにも起きないうちにはどうすることもできないのが困りものだ。
しばらくは佐倉を警戒して見ておくしかないんだろう。
そうして、しばらく距離を取って佐倉の様子を伺うことにしたわけだが、数日経っても、なにが起きるわけでもなかった。
「大上、そんなに佐倉さんのこと気になるのか?」
気になるのは間違いないんだろう。
それより、一ノ瀬に異様な目つきで見られていることをこいつは気にならないんだろうか。
「一ノ瀬が睨んでいるが、お前は今度はなにをしたんだ?」
「いや、なにもしてないよ!?」
なにもしてないわけがないだろう。
怒りや嫉妬に満ちた匂いがこれだけ鼻につくのだから。
「睨んでいるだけならともかく、一ノ瀬の嫉妬やらなんやらが鼻につくんだよ」
「は!?なに!?そんな匂いさせてないし!?」
「嫉妬っていうと、佐倉さんのことか」
「お前も気になってはいるのか」
「大上がそれだけ気にしてればどうしても気になるよ」
「ちょっ!流さないでよ!」
そんなに気にしてるように見えてるということか。
「大上の鼻に引っかかるっていうならなにかあるんだろうし…なにか手伝えることある?」
速水は無理に手伝おうとしてこないのが、好感を持てる。
善意だけで無理強いしてくるやつは面倒でしかないからだ。
「いや、今はまだいい」
「そっか、手が必要だったら言ってよ?」
「ああ」
そういってその日はまた俺一人で佐倉の様子を伺うことにした。
そうして、そのときはやってくる。
逢魔時、夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻。
魔物が現れると言われるそんな時間。
周りに人の気配がなくなったそんな時。
「君が送り狼か?」
確かな意志の込められた言葉が俺にかけられた。
「転校初日からこっちを見ていたが、いつまで続けるつもりだ?」
その口調はこれまで学校で他の奴と話しているときとは違うものだ。
俺を見つめるその赤い瞳に込められた意志は如何なるものか。
敵意はあるようには見えない。
ただ真っ直ぐに、俺を見つめている。
「黙っていられてもわからないんだが…君はどうしたい?」
その瞳に射抜かれて、動けなかった俺に向けられたその表情。
どこか困ったような、そして俺を安心させようとしているような。
「ふむ、どうしたものかな?声が出ないのか?」
そして、心配しているような匂いが伝わってくる。
「いや、喋れないわけじゃない」
その匂いでようやく声が出た。
「そうか、ならよかった」
ホッとしたように浮かべたその微笑みに俺はわずかに見惚れてしまった。
「落ち着いたようなら、少し話をしないか?」
「話?」
そうか、相手が話す意志を持っているなら、とりあえず話を聞けばいいか。
ただ警戒しているだけじゃ、後手に回るだけなのは間違いないのだから。
「そうか、そうだな、俺も状況を整理したい」
「ああ、それじゃ、まずは君の家にいこう」
「は?」
どうしてそうなる?
「君の家はこの街の守護者の一角だろう?」
「なんでそれを…」
「元々君の親である
「親父に?」
「ああ、この街の状況を把握するなら彼に逢うのがいいだろうということでな」
つまり、俺は釣られたってことになるのか。
「直接逢いにいけばいいと思ったんだが、現在この街を主に守護しているのは学生達ということだったからな」
ん?
「世代交代しようとしているなら、君達と接触しやすい学校に通った方が動きやすいだろうということだったんだが…余計な警戒をさせてしまったようだ」
「いや、それは俺が勝手に…」
「すまなかった」
そう言って困ったように、そして申し訳無さそうに微笑む彼女は綺麗だった。
だからこそ、俺はちゃんと伝えるべきなんだろう。
「謝る必要はない」
そうだ。
「俺がこの街を守護するものとしてやったことだ」
それが親父から受け継いだ俺の誇りだ。
「俺も、佐倉もやるべきことをやっただけだ」
少しだけ彼女は目を見開いた。
「そうか、そうだな…ならこう言おう」
誇らしいと思える笑みを浮かべて彼女は言葉を紡ぐ。
「この街、
「誇り高き次代の狼王たる君に出逢えたことを嬉しく思う」
「君に名乗ろう、俺は佐倉 秋」
「健君、俺と出逢ってくれてありがとう」
どうして、俺が人狼であることを知っているのか。
どうして、俺の親父が狼王であることを知っているのか。
そんな風に疑問に思うべきことはあったんだろう。
けれど、今の俺の頭にはそんなことは思い浮かばなかった。
ただ、その名乗りと言葉へと返すことで精一杯だった。
「御霊町を訪れたお前にこの街の守護者たる俺が応えよう」
「次代の狼王として、俺はまだ未熟だ」
「それでも、この誇りは確かに俺のここにある」
「それを認め、喜んでくれたお前に俺は感謝したい」
「佐倉 秋、お前が誰に拒まれようと俺はお前を歓迎しよう」
「そして、俺も名乗ろう、俺は大上 健」
「秋、俺の方こそ、出逢ってくれてありがとう」
❖
健君とのファーストインプレッションは思ったよりもスムーズにいった。
見た目は不良っぽいが、素直な良い子で誇り高い男だというのもあったんだろう。
若いながらも、こういう心の強さを持つ少年は好ましく思える。
透真君や海斗君とは方向性は違うが、それぞれの良さがあって良いことだ。
「嬉しそうにみえるが、どうしたんだ?」
健君の言葉に自分が笑みを浮かべていることに気付かされる。
「ああ、また良い出逢いがあったな、と思ってただけだ」
「また?」
「健君のように確かな強さを持っている少年達を思い出してね」
「…そうか」
なんとなく、少し不機嫌になったように見えるが、どうしたんだろうか?
「どうした?」
「なにがだよ?」
「気のせいならいいんだが、少し不機嫌になったように見えたんだ」
「…いや、秋の言うそいつらに嫉妬したんだろうな」
「嫉妬?」
「そいつらより俺の方が強いっていつか思わせてやるってことだよ」
「そうか、強さというのは人それぞれ違うものだが、向上心があるのは良いことだ」
俺の言葉に頭をかいて、微妙な顔をしているが、思ったより繊細なのかもしれない。
「まあ、いいさ…親父に逢うんだよな?」
「ああ、御霊町の現状を学生達と親世代でどの程度把握しているのかの確認もしておきたいからな」
「確認?」
「学生達で色々な事件を解決してはいるが、大人達も動いているということだ」
「まあ、それは、な…」
そんな話をしながら健君の家に向かっていく。
ほどなくして、健君の家に着いた。
大きな屋敷、というわけでもなく、どこにでもある一軒家だ。
「どうしたよ?」
「いや、普通の一軒家だな、と思ってな」
「ああ、他の守護者の家はでかい屋敷だったりもするしな」
「だからこそ、最初に狼に逢うように言ったのかもしれないな」
「そうか、他の家はアポ取るだけでも面倒そうだしな」
コルトのコネならアポくらい取れそうな気もするから、なにかしら他の意味もあるのかもしれない。
それはコルトにしかわからないのだから、気にしても仕方ないのだろう。
「それじゃ、上がってくれ」
「ああ、お邪魔します」
玄関から中に入ってリビングへと案内される。
「母さん、お客さんだけど、親父いる?」
「あら、珍しいわねって…あらあらあら」
「なんだよ…」
「ううん、可愛い子連れてきたわね♪」
「…まあな、佐倉だ」
「佐倉 秋です、はじめまして」
「少しくらい照れてもいいのに…」
健君がため息をついて先を続ける。
「俺じゃなくて親父に用があるんだってよ」
「健志狼さんに?」
「いや、健君も同席した方がいいだろう」
「俺もか?」
「ああ、君は知っておくべきだ」
彼が守護者としてやっていくと決めているなら自分達だけではなく、親世代がどこまで知っているかは把握しておくべきだろう。
「そうか、わかった」
「…結構真面目な話?」
「多分な」
「そう…呼んでくるからリビングで待っててくれる?」
「わかった」
「はい、ありがとうございます」
そう言って、健君の母親は健志狼さんを呼びにいってくれた。
ほどなくして、彼はその姿を現した。
「健が彼女連れてきたってわけじゃなさそうだな」
「残念だけど、そうじゃないみたい」
「なんで、そう言えるんだよ…」
フランクな様子だが、その存在感は確かなものだった。
「はじめまして、佐倉 秋です。コルト・フォルトナーの勧めで大上 健志狼さんに逢いに来ました」
「コルトの…?なるほど、あいつの関係者か」
コルトの名前を聞いた瞬間、わずかに眉間にしわがよっていたが、それもすぐに戻っていた。
「コルトは健志狼さんは友人だと言ってましたが、違いましたか?」
「…いや、違わないな、あまり進んで関わりたくはないが友人、ではある」
「なんだよ、その珍しく煮えきらない言い方は?」
健君の言葉の通りに取ると、健志狼さんのこういう言い方は珍しいようだ。
「確かにあいつは友人と言っても差し支えない仲なんだがな…関わると面倒事ばかりで、それも規模が大きくなりすぎて嫌なんだ」
「親父がそんなに言うほどなのか?」
「ああ、確かに助けられてはいるが、それを差し引いても面倒事が厄介な方向に転がりすぎてな…」
「そんなになのか…」
確かにコルトの持ってくる案件はどれも厄介なものが多い。
それでも、それはすべて解決できるものだった。
「健志狼さんがそれだけの実力者だから、ということなんでしょう」
「まあ、俺だけだったらどうにもならなかったがな」
「コルトの案件は厄介なものがばかりですが、解決できない相手に投げるようなことはしません」
「わかってるよ、あいつの見極めはシビアだからそう思う奴もいるっていうだけだ」
「それはそうですね」
「そうなんだよ」
面倒そうではあっても、どこか懐かしそうに笑いながら彼は言葉を紡ぐ。
「それで、何の話をしたくてここに来たんだ?」
話を戻してくれた健志狼さんの言葉にこの街に来る前にしたコルトとの会話を思い出す。
❖
「御霊町には守護者が何人かいてね、秋がまず逢ってほしいのはその中の狼なんだ」
「狼というと人狼か?」
「うん、狼男というよりは人狼の方がしっくり来るかな」
「なにが違うの?」
コルトの言葉に律君が質問を口にする。
「単純に人狼には女性もいるって思えばいいよ」
「あ、そっか」
割と単純な理由に皆あっさりと納得したようだ。
「で、狼の中の狼王に逢うことが最初の目的になるかな」
「狼王というと、その街にいる人狼を束ねる人物か」
「そうなるね、実際には顔役って感じで、あとは人狼の中で一番強いから狼王って呼ばれてる」
「人狼の群れの長、ということになるのか?」
「基本的には集団では動いてなかったけど、いざ集団で動くときは最前線でまさしく狼王って感じだったよ」
「実力と人望を兼ね備えている人物ということか」
「そうだね」
そういう人物に逢うのが最初の目的ということになるのか。
「御霊町に行ったら、まずその狼王のところに顔を出せばいいのか?さっきの言い方だと違うように思えたが」
「狼王の子供が学生やってるから、秋が女子高生として転校すれば多分向こうからなんらかの形で接触してくると思うよ」
なるほど…だが、わざわざ学生として行く必要があるのだろうか?
「実際に現状街の問題を解決しているのは狼王の子供達の世代、つまり学生達が中心になってやっているからね」
俺の思考を読んだかのようにコルトは言葉を続ける。
「その学生の中心にいる人物のひとりが狼王の子供だから、接触すれば自然と街の問題にも関わることになると思うよ」
「そうか…それで、狼王に逢えたらどうすればいいんだ?」
「狼王達親世代と学生達子供世代の現状の認識のすり合わせをすればいいよ」
「親世代と子供世代で認識が違うかもしれないということが」
「うん、価値観が違えば認識も変わるからね、あとは今後のことについても話をしておきたいし、いずれ連絡することを伝えておいてよ」
「わかった」
こちらからなにか伝えることは特にないということになるか。
「現場でどうするかは秋に任せるから、話を聞いて気になることがあったりしたら好きにしていいよ」
「最低でも街がなくなるかもしれないとさっきは言っていたが、コルトはどうしてそうなると予想しているんだ?」
俺の質問にコルトにしては珍しく考えるような仕草をした。
「…あくまで予想でしかないから伝えるか悩んでてさ」
「伝えて困ることなら伝えなくても構わない」
「いや、秋には伝えても問題ないんだけど、狼王達に私の予想を伝えると結構ピリピリして状況を悪い方向に動かしちゃう人も出てきそうな気がするんだよね」
「そうなのか」
「使命感や善意で動いたとしても、それが結果に繋がるとは限らないからね」
内容がわからない以上判断はできないが、凝り固まった思想は他者にとって迷惑なものになるときもある、ということだろう。
「まあ、なるようになるだろうし、いいかな」
「いいのか?」
「うん、狼王なら下手なことはしないだろうし、秋も一応伝えるときに守護者の中でも変な真似しない相手以外には伝えないよう言っておいてよ」
「わかった」
そうして、コルトは御霊町でこれから起きるかもしれないことについて話しだした。
❖
「なるほどな、俺達の御霊町の現状の認識を知っておきたいってことか」
「はい、健君達と健志狼さん達の世代で認識が違うこともあるでしょうから」
「そうだな、わかった、なら俺の知ってる範囲で話しておこう」
「ありがとうございます」
「いや、コルトのやつがわざわざ介入してくるほどだ、これからなにか面倒なことが起きるんだろう」
健志狼さんは眉間にしわを寄せながらもこれからのことを考えているようだ。
「そのコルトって人の言うことはそんなに当たるのか?」
健君の質問にさらに眉間にしわを寄せて健志狼さんは返事をする。
「ああ、あいつがそういうってことはほぼ確実に俺達が予想してる斜め上以上の面倒事が起きるはずだ」
「親父達にとっても斜め上以上ってどれだけだよ…」
「さあな、まあ、とりあえずすぐに起きるってわけでもないだろうし、今はできることをやるだけだ」
そういって健志狼さんと健君と俺で御霊町の現状についてそれぞれが認識していることを話し、すり合わせていく。
「だいたい、こんなところか」
「ああ、俺達の認識はこんなところだな」
「だいたいはコルトから聞いていた事前情報と合っていましたが、細かい所まではわかっていなかったので助かりました」
「いや、こっちこそ助かった」
そうして、話が終わった後に健君が俺に質問する。
「そういえば秋は、そのコルトって人からこれからなにが起きるかもしれないってことを聞いてないのか?」
その言葉に健志狼さんはわずかに反応したが、質問を止めることはしなかった。
「あくまで予想でしかない、ということで一応聞いてはいる」
「言えないことか?」
健志狼さんの言葉が続く。
「いえ、ただそれを聞くことで守護者の誰かが使命感で悪い方向に動くかもしれないと」
「守護者の誰かがなにかしでかすって言うのか?」
少しだけ怒気を乗った声が健君から放たれる。
「ああ、正義感や使命感で行動したとしても、それが必ずしも良い結果に繋がるわけじゃなく、むしろ悪化させる可能性もあるからだ」
「そうだな、俺達もそれぞれにやり方と主義がある」
「…そうか、そうだな」
健志狼さんのフォローもあってか健君も納得したようだ。
「とはいえ、情報は知っておきたいからな、話してくれるか」
予想とはいえ、事前情報はあった方がいいということなのだろう。
その考えはよくわかる。
やるべきことをやるためにはどれだけ準備していても不安要素はあるものなのだから。
「あくまで現状ではコルトの予想では、という話でしかありませんが、それでもよければ」
「ああ、あいつの予想というだけで十分だ」
コルトへの信頼は相当なものなようだ。
その気持もよく理解る以上、これ以上の前振りは必要ないんだろう。
だから、俺はコルトの言葉をそのまま伝えた。
―――黄泉平坂がまた開く、と―――
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