第42話 ある少年の夜


 闇に包まれた廃工場は静寂に包まれている。構内はそれなりに広もうもう動くことのない機械が放置されていた。普通なら文句の一つや二つが出てもおかしくないのに、何年もこのままだった。詳しい理由はわからないが、誰も気にしないのだからどうでもいい。

 何年前からこの状態なのか。何を作っていた工場なのか。答えられる人間はほとんどいない。ここは人々から忘れ去られた場所。不良どころか生物すら寄り付かない冷たい世界だ。

 血の通わないコンクリートの床が体温を奪っていく。ぎこちない手足は錆びた機械のようになっているのに、窮屈さを感じない。

 とても楽だからだ。

 ここでは足を動かす必要もなければ、汗を流すこともない。声を出すこともなく、無理して目を瞑らなくてもいい。余計なものが目に入らないし、雑音の届くことがなかったからだ。誰かを気にする必要もなく、ただ自分だけがここにいる。

 外には嫌なモノが溢れている。

 ぬるま湯に漬かっているような毎日。退屈で吐きそうになりながら、世間に文句を叫ぶことすらできはしない。心の内を晒すなど堪らなく格好悪いからだ。誰も聞いてくれはしないし、惨めさを思い知らされる。自分の存在などいてもいなくても同じ。ノイズ程度の価値しかない。

 自分が行動したところで、何が変わるというのか。何を起こせるというのか。

現実はどこまでも非情だった。頑張ることなど無駄な行為であり、ただ傷つくだけである。己の無力感や無価値さを思い知らされるのだ。


『全て壊れてしまえ』

 自分には何もできないなら、そんな自分ごとこの世界を壊して欲しい。慈悲の欠片もない無惨な終末。煩わしいものから解放して欲しかった。

『この現実から助けてくれ』

 自分には何もできないなら、目の前の全てから救って欲しい。厄介な問題を全て解決して欲しい。何一つ取りこぼすことのない幸福な結末。夢のような今を与えて欲しかった。


 相反する二つの願いと意思。どちらも本音でどちらも真実。この場所にいると二つの気分を交互に味わえた。

 共通しているのは諦めからくるものだということ。どれだけ望んでも劇的な変化など起きるはずがないのだ。窒息しそうな閉塞感。絶望だけが胸を支配する。

 かといってこの現実から逃げ出すこともできないのだ。己の無力さなど誰よりもわかっている。何処までも続く牢獄の中にいる気分だ。

 そうして今日も静かに天井を見上げる。叶うことのない願いを胸に抱きながら。物言わぬ蓋は星の光すら遮ってくれる。

 この狭い世界が己の全てだった。ここは安らぎと絶望を与えてくれるのだ。


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