第26話 妹の秘密


「ガデスの奴め。自分の正体を教えるなんて、相変わらず碌なことをしない」

 クラブの前で大きなため息をつき、忌々しそうに自らの肉体に目を向ける。もう一つの魂は何も答えない。舌を出しているかもしれなかった。

「彼は彼なりのやり方で新犯人を追ってるんじゃないの」

「方法が問題なんだ。わざわざ正体をバラすなんて危険が大きすぎる」

 例のクラブの話をしたら、シャリアもまた店に訪れた。両介を通じて、情報の共有はできるかぎりしているが、やはり自分の足で調べたいらしい。これは刑事の性といってもよかった。

 しかし店まできたシャリアは店内に入ることをしなかった。路地裏に隠れ、慎重に様子を伺っている。

「この星にいる悪党はやる気をなくした連中ばかりって言ってたよ」

「自分の危険性をまるで理解していないだけだ。湿っていた導火線に火を点けて回っているようなものだよ」

 ガデスは指名手配犯であり、ならず者たちからも懸賞金がかけられている。その額は一生遊んでも使いきれないくらいだ。またガデス自身がどれだけの資産や財宝を隠し持っているのか想像もできない。

「今まで燻っていた連中が一旗揚げようとしてもおかしくない。あるいは奴に恨みを抱える者たちが立ち上がる可能性もある。それほどまでに希少な首なんだ」

 千載一遇の機会である。諦めかけていたものが目の前に現れたのだ。眠りから目覚めるのも当然かもしれない。

「奴は情報を売られることを織り込み済みで動いている。生命を狙われても気にしていない。良くも悪くも何かが動くから」

「危険すぎるよ。自分の肉体じゃないのに何かあったらどうす」

 言いかけた言葉が止まる。ガデスという男はそういう状況すら楽しめる男。頭のネジが外れているのが通常運転なのだ。自分の命を平然とチップにできる。

「事態をややこしくしてばかりだ。何発殴っても気が済まないな」

 シャリアがこうして店に入らないのは刺客がいることを警戒しているからだ。両介のことを考えれば慎重にならざるを得ない。

 店の様子を窺っていたシャリアが身を固くする。緊張感を纏っているのが伝わってきた。何か大きな発見があったのかもしれない。

 両介は小さく息を呑み、路地裏から様子を伺う。そこにはこの場で誰よりも会いたくない人間、妹の仁奈が店の前で楽しそうに女友達と話していた。

「ご、ごめん。その、話す暇がなくて」

 どきまぎしながら弁明する。悪いことなどしていないのにバツが悪かった。これは家族の問題であり、見られたくなかった。恥ずかしい気持ちで一杯になる。だがシャリアに見られた以上、次の行動など容易に想像できる。


「ちょ、だめだって。迂闊に動かないって言ったばかりじゃないか」

 さっきまで隠れていたのは何だったのか。力強く雄々しい足取りで進んでいく。必死に呼びかけても止まってくれない。通りすぎる人間たちも自然と道を開けていった。シャリアは優しく仁奈の肩に手を乗せる。

「は? な、なんでお前がいるんだよ」

 振り向いた仁奈が驚きに目を丸くする。刺々しい言葉遣いも掠れていた。

「それはこっちの台詞だ。何時だと思っている。未成年が出歩く時間じゃないぞ」

「ウザい。お前には関係ないじゃん」

 舌打ちしながら振り払おうとするが離すことができない。無理矢理でも話を聞かせようとする。

「関係ないことはない。私は君の兄だ。大切な家族の心配をするのは当然だろ」

 何の迷いもなく言い切る。正確には家族ではないのだが、ここでツッコんでも意味がない。

「こういう店に行くなと言ってるわけじゃない。決められた時間を守るんだ。もし門限を延ばしたいなら、自分からしっかり話そう。あまり二人に心配をかけちゃダメだ」

「だからウザいんだよ! 口出しすんじゃねぇよ!」

 眉が上がり、目の色が変わる。激しい怒りが込められていた。通行人たちが面白そうに視線を向け、ひそひそと笑い合う。

 両介は無言で成り行きを見守っている。口出しなどできなかった。妹のあんな表情や感情を初めて見た。どうすればいいのかわからない。

「家族だって? 偉そうなこと言うなよ。お前にそんな資格ないだろ」

「君が何に怒っているのか残念ながらわからない。だが私たちはこうやって話し合うことができる。だったら遅くない。何度でもやり直すことはできるんだ。まずは君のことを教えて欲しい。不満があるなら大いに言ってくれ。全てはそこからだ」

 きつい言葉をぶつけられてもまったくブレない。どんなに嫌われ、何度も殴られたとしてもこうと決めたらとことん突き進む。シャリアは相手をとことん知ろうとしている。本来なら無関係な少女のことを。

 たじろぐのは仁奈の方だ。強い覚悟が伝わるからこそ、気味が悪いものを見る目をしている。あまりの変貌ぶりに困惑していた。


「どうした、仁奈? 入らないのかよ」

 店の中から一人の男が出てきた。昨日の夜も仁奈と一緒に話していた男だ。染められた髪を伸ばし、耳にピアスを付け、高そうな指輪をしている。洒落た格好をしているが嫌味な感じはなく、どこか気品が漂っていた。

「こいつ俺の連れなんですよ。何かありましたか」

 外見だけならいかにも同年代の不良という感じだが、眼差しは優しく、顔立ちもどこか柔らかい。軽薄には見えなかった。

「なんでもない。どっか他のところ行こう、タカユキ。今日は気分じゃなくなった」

 腕を取って寄り添う。付き合っているというのがわかる空気感だ。

「私は彼女の兄だ。家族の心配をして何か悪いかな」

 実に堂々としている。言っていることは正しいが、こんな場所でこんなことを言われた仁奈の胸中は計り知れない。どこか居心地悪そうにしており、一秒でも同じ空気を吸いたくなさそうだ。

「そうですか。あなたが」

 どこか興味深そうに目を動かす。話だけなら仁奈から聞いているのかもしれない。どんな風に話されているかはわからないが、恐らくは悪口と愚痴だけだろう。

「君は仁奈と付き合っているんだろ。だったらこんな時間に未成年をクラブへ連れてくるな。交際することに反対はしないがちゃんと考えて欲しいな」

 シャリアは正しいことを言い続けている。でも相手に響くとは限らない。

「ふざけんな! いい加減にしろよ!」

 自分の憩いの場所へ土足で入り込み、彼氏のことを悪く言われる。ついに我慢の限界を迎え、手を振り上げた。

「駄目だ、仁奈。君はそんなことしちゃいけない」

 その手は空中で静止した。止めたのは他でもないタカユキである。

「わかりました。今日は帰らせます」

「な、なんで。こんな奴の言うことなんて聞かなくていいよ」

「そうじゃなきゃどこまでも付いてくる気だよ。君のお兄さん」

 言うまでもないという感じだ。シャリアは本気で付いていく気である。事件の捜査とは無関係であり、無視しても構わないはずだが彼女は首を突っ込む。目の前に放っておけないことがあるなら、何があろうと関わろうとする。

 仁奈は憎しみの籠った目で睨みつけると、荒々しい足取りで駅のある方角に向かう。不機嫌な背中ははっきりと兄を拒絶していた。これ以上は話しかけても無視するだろう。タカユキは小さく礼をすると、宥めながら付いていく。

 一連の騒ぎが終わり、野次馬もいなくなっていた。賑やかな繁華街の雰囲気は何事もなかったように戻ってくる。


「どうして君はそうやって。捜査をするんじゃなかったの」

 じっとりした目を向ける。本人はまるで反省していない。悪いことをしたと思っていないからだ。ガデスとは別の意味で困った人である。善意で動くのがより厄介だ。

「君の家族の問題だ。放っておくわけにはいかないだろ。両介だって心配してたんじゃないのか」

 嫌われていても家族である。昨日から気になっていた。シャリアは両介の代わりに行動に移しただけである。心から正しいと信じ、人のために動いたのだ。ただやり方やタイミングは変えてほしかった。

「時間はまだあるけど捜査は続けるの?」

 シャリアの時間は限られている。余計なことなどしている暇はないのだが。

「彼は信用できそうだが、念には念をだ」

 わかりきっていた答え。迷うことなく尾行を開始する。人混みに溶け込み、見えるか見えないかの絶妙な距離感を保っていた。張り込みが見事に失敗したため不安だったが、刑事らしいことはちゃんとできるみたいだ。

 二人はどこか別の店に寄ることもなく駅に向かう。正直意外だった。絶対に他の店に行くと思っていたからだ。まさか本当に真っ直ぐ帰るとは。

「ふむ。どうやら考えを改めなければいけないようだ。存外素直じゃないか」

 感心しながら頷いている。目元はとても優しかった。二人のことを心配していたのは本心だ。

「僕たちも帰るかい。このまま寝るのもありだと思うよ」

 もうすぐガデスに交替する時間がやってくる。眠っている間に0時を迎えたらどうなるのか。まだ試したことがなかったので良い機会かもしれない。仮に意味がなくても繁華街のど真ん中に解き放つよりはマシだ。家にいれば少しは大人しくなるかもしれない。

「眠るのはもう少しあとだ。まだやらなくちゃいけないことが残っている」

 目元が引き締められ、声音が固くなる。問いかける暇もなく、シャリアは人混みに紛れる。


 一旦駅から距離を取ると、再び駅に向かって歩き出した。足取りはスムーズで鞄の中にいなければ、両介も姿を見失っていただろう。

 改札を通り抜け、ホームに下りると少し先で仁奈がスマホを見つめていた。こちらにはまったく気づいていない。

 電車がホームへ駆け込んでくると、シャリアは一気に歩を進め、ホームの柱にいた男の手を取った。

「どうしてこんなことをされるか。説明しなくてもわかるはずだ」

 脂汗の滲んだ肌。苦し気に呻き声を漏らしている。帽子を深く被っているので顔はわからない。柱の影に立ち、最小限の動きで関節を極めているため、他の客には何をしているか見えていないのだ。

「だ、誰なのこの人は」

「仁奈を尾行していたんだ。妙な人影があるとは思ったが、私ではなく妹を狙うとはね」

 朝にも同じことがあったが、まさかまた尾行相手を捕まえるとは。流石は敏腕刑事と言ったところだろうか。

「逃げられないことはわかっているはずだ。理由を話さないなら、このまま警察へ行ってもいいんだぞ」

 帽子を取り上げた手がピタリと止まる。シャリアの額から汗が流れ、顔色が青くなっていく。両介も同じ思いだった。

 その男は家で毎日のように顔を合わせる存在。父である市川昭三だった。

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