第23話 道場にて
「良い場所だ。立っているだけで身が引き締まる思いがするよ」
シャリアの言っていることは何となく理解できる。人のいない道場には独特の空気が満ちている。空気が澄んでいるというか、神聖な感じがするのだ。木造の床は綺麗に磨かれており、正面には掛け軸が飾られていた。
「宇宙警察にこういう場所はなかったの?」
前から案内して欲しいと言われていたが、ドタバタしてできなかったのだ。本人はとても嬉しそうである。
「残念ながらね。文化は知っていたけど、お目に掛かれなかった」
宇宙警察には最新鋭の装備や設備が整っている。訓練も両介の想像力じゃ追いつかないほど近未来的なものかもしれない。犯罪者を相手にするのだから当然だ。
「地球の施設じゃシャリアには物足りないかもね」
「訓練なんてどこでもできるさ。ようはどう鍛えるかだよ」
どんなに優れた道具や訓練方法があったとしても、本人次第で宝の持ち腐れになることもある。シャリアは自らを高めることを忘れない。こんな特異な状況に置かれながらも常に何かしらのやり方で鍛えていた。とても立派なことなのだが。
「もう少し周りを気にして欲しいけどね」
熱中するあまり入れ込み過ぎてしまうのだ。無駄かもしれないがそれでも言っておきたくなる。
「面目ない」
頬を赤くして申し訳なさそうに頭を掻く。本人は本気で悪いと思っているのだろうが、反省が活かされているとは言えない。彼女は目の前のことに対して真剣に対応する。だからこそ周囲が見えなくなるのだ。
勇敢な戦士であり、自分よりも年上の女性でありながら、小さい子供のように見えることもある。こういう姿を見ているとつい甘やかしたくなる。
(ダメだ。僕がちゃんと目を光らせないと)
大きく頭を振る。注意することを忘れたらそれこそ好き放題してしまう。ブレーキが千切れた車みたいなものだ。できることなどたかが知れているが、これは相棒としての仕事でもある。誰よりも彼女の近くにいるからこそできることなのだ。
「そこで何をしている」
背後から厳しい声が響き、両介は急いで鞄の中に身を隠す。慣れてきたためか狭い視界でもはっきりと状況を確認することができた。
道場の入り口に男子生徒が立っている。整った顔立ちをしており、きっちりした佇まいには清潔感がある。
彼の背後には他にも生徒がおり、敵対心を隠していない。歓迎するような空気など微塵もなかった。
「私は二年の市川両介。興味があったので見学させてもらったよ」
相手の空気など気にせず、しっかりと挨拶する。
「剣道部の吉崎だ。悪いがさっさと出て行ってくれないか」
吉崎という名前が両介の頭に引っ掛かった。話したことはないはずだが、どこかで聞いたことのある気がしたのだ。一応挨拶を返してくれたが、警戒心は消えていない。
「君にはここに立ち入ってもらいたくないんだ。自分の胸に手を当てればわかるだろう」
初対面の相手に対して失礼とも取れる態度だが、こういう反応をされるのはわかる気がした。
今や市川両介の名を知らない者はこの学校にいないだろう。問題児の道を絶賛爆走中である。この学校で最も関わり合いになりたくない生徒になっていた。
「残念だけど仕方ないか。騒がせてすまなかった」
「待て。君は剣道をやっているのか」
道場を後にしようとしたシャリアを呼び止める。その目は鋭くなっていた。
「少し違うけど剣は使うよ。これでも少しはできるつもりだ。ここに来たのも本場の道場で振ってみたかったんだ」
両介の肩ががくりと下がる。全身の力が抜ける気がした。
「また君は余計なことを。少しは気を配ろうよ」
部員たちにバレるのもお構いなしで喋り出す。言わなきゃ気が済まなかった。
「しかし本当のことだよ」
「だからってバカ正直に言わなくていいんだよ」
口を滑らせたおかげで明らかに彼らの反応が変わった。不用意な発言がいつも事態をややこしくさせるのだ。
「どうしてこうなった?」
思わず疑問を投げつける。この状況を見れば言いたくもなるものだ。
吉崎の提案で剣を合わせることになってしまった。実力を見るためか、純粋な興味からか、それとも痛めつけるためか。どんな意図があるのかわからない。問題はシャリアが迷うことなく、その提案に乗ってしまったことだ。
「別に受けなくてもいいのに。今からでも断れるよ」
無駄だと思いつつも言ってみる。どこか投げやりになってしまう。
「こんな機会は滅多にないからね。飛び込んでみたいじゃないか」
竹刀と防具は貸してもらえたがよく似合っていた。もしも中身がガデスだったら似合わないと断言できる。同じ顔でも印象が変化するから不思議なものである。
「アトラクション感覚で戦わないでくれ。遊園地じゃないんだよ」
純粋な興味からだろうが後のことなどお構いなしだ。もちろん両介は剣など振るったことがない。勝ってしまったらどう思われるのか。恐らくシャリアの頭からは抜けているのだろう。
「あの人は強いよ。未可子がそう言ってた」
先程ようやく思い出した。吉崎は剣道部の三年生で大きな大会で何度も入賞している。
「それは楽しみだね」
ワクワクしている姿は子供みたいだ。最早この展開にツッコむ気力もない。あるがままに任せるだけだ。
ただ両介にも興味があったことは否めない。話を聞いているだけでもシャリアが相当な実力者であることはわかる。変な嘘をつくよう人間じゃないからだ。
しかし今は市川両介という器に入っている。これは相当なハンデになるだろう。そんな状態で実力者である吉崎とどれだけ渡り合えるのか。
鞄から離れるとシャリアたちは中央へと移動する。お互いに礼をし、竹刀を中段に構えた。
試合が始まっても二人は動かない。正確には吉崎の竹刀の先は小刻みに揺れている。一方のシャリアは微動だにしていない。どちらが優勢なのか両介にはわからなかった。
先に動いたのは吉崎だ。すり足の体勢から一気に距離を詰める。振るわれる竹刀が風を切り、甲高い音が静寂を打ち破った。
竹刀同士がぶつかり合い、互いに肉薄する。押し合いは互角のようだ。ぶつかりあったまま拮抗している。
先に身体を離したのは吉崎だ。態勢を入れ替え、素早く攻撃に転じる。滑るような綺麗な足捌きから振るわれる一撃は鋭い。
シャリアは防戦一方になっている。相手の攻撃を凌ぐので精一杯という様子だ。何度か自分から仕掛けてはいるが、悉く竹刀を払われてしまうのだ。
(やっぱり苦しいのかな)
傍から見ても手を抜いているように見えない。やはり本来の自分とは違う肉体で剣を使うことは難しいのだろうか。ただ練習で竹刀を振るうのとはまるで違う。相手は有数の実力者なのだから。
吉崎が何度目かの鍔迫り合いに持ち込む。押し合う竹刀が離れ、竹刀を振り上げた。咄嗟に反応したシャリアが竹刀を構えたとき、抜けるような音が道場に響いた。綺麗に胴を打ち抜かれたのだ。
審判役の生徒の手が上がる。素人から見ても文句なしの一本だった。
「ありがとう。貴重な体験をさせてもらったよ」
防具を解き、お互いに向き合う。シャリアは晴れ晴れとしており、悔しそうな様子は微塵もない。
「やりましたね。流石は吉崎さん」
「噂なんて当てにならないな。大したことないじゃないか」
「騒ぎすぎなんだよ。所詮はこの程度なんだ」
調子の良い声が吉崎の背後から聞こえてくる。部員たちからすれば爽快だろう。噂の問題児を成敗したのだから。
「やはりここには来ないでくれないか。色々とあるからな」
一方の吉崎は淡々としていた。勝ち誇っている様子はどこにもない。威圧的な感じも消えていた。表情からでは何を考えているのかわからない。
「了解した。片付けはこちらでやるよ」
借りていた防具を返し、道場を後にする。掃除もやろうとしたのだが、吉崎に断られたのだ。
「あの、シャリア」
道場を離れてから遠慮がちに声をかけてみる。確かにハンデを背負っているが彼女は宇宙警察のエリートなのだ。いくら強いと言っても一介の高校生に負けるなんて信じたくない。単なる勝敗の問題ではない。肉体を上手に動かせなかったという疑問が嫌でも突きつけられたのだ。
「楽しかったよ。彼らには感謝の気持ちしかない」
しかし当の本人に落ち込んでいる様子はない。むしろ勝負ができて喜んでいるようだった。
「動いたらお腹が減ってしまったよ。食堂はまだやってるかな」
明るい顔を見ているとそれ以上は追及できない。両介の方が遥かに悔しく、欝々としたものを感じていた。
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