第21話 路地裏の情報戦


 ロッドマンを見送るとシャリアは真逆の方向へと歩き出し、より奥まった場所へと向かっていく。陽射しの届かないじめじめとした路地裏は、自転車が一台でも通れば道を塞いでしまうだろう。住宅やマンションが次々と建てられていくうちに、この小さな道だけが残ってしまったのだ。地元の人間ですら使うかわからない。

 両介は先程と同じように無言のまま鞄の中でじっとしている。シャリアがさりげなく鼻を擦ったとき、人差し指を立てたのをはっきりと目にしたからだ。この状態でも外の状況が把握できるように、シャリアが気を利かせてくれている。

 人目の届かない道の先に立っている男が見えた。先程別れたはずのロッドマンである。

「確認するが本当に奴には伝わっていないんだな」

「間違いありません。このことはガデスも気づいています」

 シャリアだけでなく、両介も証人である。ガデスの様子を見る限り、どう見ても演技とは思えなかった。

「よし。ならば話してくれ」

シャリアはこれまで自分に起きた事柄や把握している情報を伝える。傍から聞いていてもわかりやすいものだった。


「……といったところです。これからどうしますか?」

 ロッドマンは顎に手を添えながら、無言で考え込んでいた。

「方針に変更はない。君への接触は最低限で済ませる。真犯人に対してはこちらも独自に動くことにしよう。尤も大がかりに動けるとは思えんがな」

 時間や人手が足りないというのは本当だろう。どこか疲れたような表情を浮かべていた。

「奴は情報屋や潜伏している異星人と接触している模様です。既に警視たちの動きを探られている恐れもあります」

「かもしれんな。こちらも警戒を強める必要がある」

 まるで隠れるようにこの場所へ来た理由がわかった。ガデスが二人の知らないところで何かを仕込んでいてもおかしくない。それこそ情報屋を使って自分を監視させているかもしれないのだ。これならシャリアが行動している間の出来事を知ることができる。記憶を共有できないからこその手段である。

 しかしここならその手も届かないだろう。人通りが滅多にない道である。住宅が連なっているため視界も悪く、高い場所から監視することもできない。盗聴器などを装着しても、シャリアには気づかれてしまうはずだ。

「用心するに越したことはない。何しろ我々はこの町はおろか地球のことをほとんど知らないのだ。地の利はこの星に住みついた者たちにある」

 ロッドマンも細心の注意を払ってここに来たのだ。地元の人間でしか知らない抜け道や隠れ家、特殊な監視方法なども用意しているかもしれない。文明が劣っているからといって油断する真似はしないはずだ。

 地球に来ているのだから当然どこかに滞在しているはずだ。ロッドマンたちからすれば知られたくはないだろう。

 

「緊急を要するときはここへ連絡してくれ」

 小さな紙片をシャリアに渡す。目を通して、何度か呟くと紙片を返した。どうやらもう頭に入れたらしい。

「本当に事態をややこしくしてくれるものだ」

 苦々しく口端を曲げる。文句を言いたくなる気持ちもわかる。ただでさえ難度の高い任務の最中に、より巨大な災難が振りかかってきたのだから。

「その身体の本来の持ち主はどうする? 重要参考人としてこちらで保護することもできるが」

 両介の心臓が小さく跳ね上がる。まさか矛先がこちらに向かうとは思わなかった。

「彼とはなるべく行動を共にしたいと思います。日常生活を円滑に進めるためにも必要な存在です」

 両介の意思を代弁する。確かに安全かもしれないが、両介としてはロッドマンたちに付いていく気はなかった。たたでさえ訳のわからない状況である。事件解決はもちろん大事だが、日常を過ごすことも重要である。ロッドマンも特に異論はないようだ。

「了解した。引き続き調査任務に当たってくれ。くれぐれも無茶はするな」

 行動に釘を射したのか、気遣ってのものかわからないが、ともかく方針は変わらないようだ。

 両介はひとまず胸を撫で下ろす。これ以上、事態をややこしくしないで欲しかった。今の状況でシャリアたちと引き剝がされたらと考えるとゾッとする。

 ロッドマンの背中が見えなくなると、シャリアが小さく息をつく。今度こそ話は終ったようだった。



「何だかとんでもないことになっちゃったね」

 両介が鞄から顔を出す。心臓が大きく鼓動していた。ここ数日で起こる数々の出来事に頭が追いつかない。一人だったらとっくに逃げ出している。

「でもどうしてあんなことをしたの」

「警視は合図を出していたの。もしあの時点で情報が筒抜けならこの場で別れる。そうでなければ改めて合流するってね」

 驚きのあまり目を丸くする。状況を見ていたのにまるで気づかなかった。

「私たちが恐れるのは決定的な情報がガデスに漏れること。だから警視もああいう形を取ったんだよ」

 シャリアとガデスは肉体を共有している。あの時点でロッドマンたちが知っていることはこれぐらいで、詳しいことはほとんどわかっていない。

 しかし警察側としても接触はしておきたかったはずだ。ガデスというトラブルの種を無視するのはあまりにも難しい。

 関わり合いになりたくないといって放置した結果、本来の目的が潰されてしまったら元も子もない。かといって尾行や監視などで迂闊な行動を取れば、余計な警戒心を抱かせる恐れがある。事態を悪化させてしまったら本末転倒である。

 両介が同じ立場ならとっくに胃の穴が空いている。あるいは一睡もできないだろう。

「ちょっと待って。もしかしてあの人が話したことは」

 ロッドマンの最初の言動を思い出し、大きく口を開く。まるで舞台劇を演じるようにわかりやすく状況を説明してくれた。現状は宇宙警察がいても動けないということだけは強く印象に刻まれ、両介もすっかり信じこんでいた。ただほんの少し違和感も抱いた。シャリアの反応を見たからである。

「警視も嘘は言ってないわ。もしかしたら油断を誘えるかもしれない」

 全ての記憶や見たことを共有できるなら、こっそり伝えたところで無駄である。だったら堂々と姿を現せばいい。その上で何もできないという印象を与える。シャリアたちがどんな状態がわからなかったこそ、ああいう形で接触したのだ。

「でも情報が漏れていないことがわかった。だからこうして堂々と伝えることができたの。少なくても情報面では奴の上に立てたことになるかな」

 リスクとリターンを考えた上で行動していたのだ。用心深さに感心してしまう。若くして出世する理由が何となくわかる気がした。


「流石に警戒しすぎじゃないかな」

 正直な感想である。ガデスはとびきりの悪党であり、抜け目のない部分があることは理解しているが、どうしても信じられなくなるときが多々あった。普段の彼を見ていると大悪党の姿と一致しないのだ。あれこれと考えすぎている気がしてくる。

「どうかな。奴が裏で何かを企んでいる可能性は大いにある」

 同じ肉体を使っていても思考や感情は共有していない。それは有利な面もあれば、不利な面もある。チャンスでもあり、ピンチでもあるのだ。

「でもこういう状況になったのはガデスも予想外だったんでしょ。まだ数日しか経ってないし、あの人たちの存在に気づくのは難しいんじゃ」

 何しろ味方であるシャリアですら、接触されるまで彼らの存在を知らなかったのだ。ガデスが警察など気にするとは思えない。

「それが間違いなの。奴が真実を話している保証なんてどこにもない」

 言われてはっとする。ガデスの言動は行き当たりばったりでトラブルしか起こさない。雰囲気や態度を見ていると、本当に何も知らないようにしか思えなかった。

 しかし彼がどこまでの情報を持っているかは、誰にもわからないのだ。ロッドマンたちが地球に滞在していることを知っていながら、あえて知らないフリをしている可能性がある。

 ガデスという男は息を吐くように嘘をつくことができるだろう。両介に話したことのどこまでが嘘で、どこまでが真実かなど確かめる術はない。

「でもそれじゃあ」

 どこまでが真実かわからないのなら、そもそもの前提条件すら変わってしまう。アインという黒幕がいることすらも疑わしくなってくるのだ。

 ガデスの宇宙船に乗り込んだ際、シャリアはアインらしく人物の姿を見ている。でも本当に彼が装置を作動させたのかはわからない。決定的な場面をガデス以外は見ていないのだから。可能性を考慮すればするほど、ドツボに嵌ってしまう。

「あんまり考えすぎない方がいいわ。私から言っておいて何だけどね」

 シャリアが優しく頭を撫でる。混乱する思考が不思議と落ち着く気がした。

「あるのは目の前の現実。まずはしっかりと受け入れよう」

 裏に何があるかはわからないが、三人は実際にこうして肉体を失ってしまったのだ。自らの肉体を取り戻すという目的だけは一致している。

「私たちのやることは変わらないさ。仮に何かを企んだとしても堂々と打ち破ればいい」

 どんな時もブレない彼女には勇気と力強さをもらえる。彼女がいる限り、何があっても解決できる気がした。


 ただ一つ気になることがある。最大の懸念であり、弱点になりえることだ。


「僕が情報を漏らすとは考えないの」

 今のところ両介はどちらの味方ともいえない。片方だけに肩入れしていないからだ。一刻も早く事件を解決し、元に戻ることを第一としている。そのためなら選り好みなどしていられなかった。

 もちろんこの町が危険に及ぶかもしれないということはわかる。ガデスの好きにさせたらどうなるか心配でもある。

 だがわかっていたところで何もできないのだ。一介の高校生であり、今は猫でしかない自分に何ができるというのか。無力さが嫌になってくるが仕方ないことである。

「もし僕が捕まったり、拷問とかされたら」

 ガデスがしなくても他の犯罪者や情報屋がするかもしれない。黒幕であるアインは未だに姿を見せないが、このまま何もしないとは断言できないのだ。

「そんなことさせないわ。何があってもあなたは私が守る」

 曇りなき眼で言い切る。これほど頼り甲斐のある存在もいない。

「だけどもし自分の身に危険が迫ったら、包み隠さず話しても構わないわ。後ろめたいものなんて感じる必要はない」

「でも作戦が」

「両介は被害者なんだ。自分の身を守ることだけを考えて欲しいの」

 シャリアの主張は一貫としている。どんなときも市川両介の味方であるということだ。宇宙警察の都合など関係ない。それこそ世界を敵に回してでも彼女は味方してくれる。仮に宇宙警察が両介の身柄を引き渡すように命令してきたら、彼女は全力で逃げ出すだろう。

 巨大な組織に所属していながら、どこまでも己の信じるものを貫く。シャリアという女性の強さであり、同時に厄介な部分でもあるのだ。

 シャリアにとって両介は守るべき存在であり、事件を追う相棒として信頼してくれている。彼女の信頼に応えるだけの何かを示せるのか。今の両介には見つけることができなかった。


「早く行こう。このままでは遅れてしまう」

 今度こそ学校に向かって全力で駆け出した。暗い路地裏を飛び出すと眩い朝陽に包まれ、爽やかな風が顔を撫でる。きな臭い話が無縁に感じる世界。本当に犯罪者がいるとは思えないほど平和な街並みが広がっていた。


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