第8話 その名はガデス・パンドン


 夜の街を少年と猫が歩いていく。正確には少年と女性なのだが外からではわからない。

「やっぱりダメそうだね。別の手を考えるしかない」

 普段なら人気のない廃工場も今は灯りで照らされており、警備の人間が入口を封鎖している。警察は昼からずっと捜査をしており、夜なら少しは緩むと思ったがどうやら考えが甘かったようだ。この様子ではしばらく調査ができそうにない。

 工場の崩落事故など小さな町では珍しい事件であり、ちょっとした騒ぎになるのもわかる気がした。

 生徒の中にも耳聡い者は廃工場の件を知っていたし、ここへ来る途中にスマホで撮影している者ともすれ違った。流石に天井の壊れた原因が宇宙船によるものとは思わないだろうが。


「警察にはバレないかな?」

 未知の物質や破片が見つかったら大変な騒ぎになる。科学技術はシャリアたちの方が優れているのだ。

「大丈夫だと思う。手掛かりになりそうなものはなかったから」

 初めて入れ替わった夜も宇宙船の残骸はなかった。どんな手を使ったかわからないが完璧に隠してしまったらしい。それでも何かあるかもしれないと思ってここにきたのだが、無駄足を踏んでしまった。

「問題は他の異星人だね。この星にどれだけ訪れているかわからないから」

「そんな漫画じゃあるまいし」

 町の中に潜伏する姿かたちが異なる種族。想像するのは容易だが、俄かには信じられない。あくまでフィクションの世界と割り切っているからだ。

「この宇宙は管轄外になっていて手を出せないのが現状なんだ。人間に擬態する技術もあるし、潜り込んでいてもおかしくない」

 嘘をつくような人間じゃないのはわかる。実際にこうして宇宙人と対峙もしている。それでも受け入れることは難しかった。スケールが大きくて学生には付いていけないのだ。

「別にそこまで大仰な話じゃないよ。人間社会に溶け込んでしまえば見分けなんてつかないから。他の星から来た存在なんて、意外と身近に存在するものよ」

 都市伝説や怪異の入口が身近な場所に存在するように、宇宙人も人間の生活圏内に潜むのだ。巨大な城や秘密基地など必要ない。

 特別な能力や未来の技術。そういったものを使わず、容姿なども変えてしまえば、地球の人間との違いなどなくなるのだから。

 この町には長く住んでいるが、それでも知っていることは意外と少ない。向かいの家に住む住民の名前や家族構成はわかっても、どういう人生を送ってきたまではわからない。仮にその中に宇宙人がいたとしても、自分に害がなければ気に留めないだろう。知らないことなど沢山あるのだ。

 

「何とか警察に連絡はできないの?」

 通信機や装備はシャリアの肉体が持っている。もちろん廃工場にはなく、肉体ごと持ち去られたと考えるのが普通だろう。

 だがシャリアの言う通りなら他の星から地球へ持ち込める技術などはあるということだ。別の通信機などを仕入れることができるかもしれないし、連絡を取る手段が見つかるかもしれない。

「難しいと思う。ここはあまりにも遠いから。私が携帯していた通信機もこの星に来る前には途絶したの」

 シャリアたちが住む宇宙を中心と考えるなら、地球は辺境にあるのだろう。技術レベルがまるで違うから当然と言える。どうやら救援は期待できなさそうだ。

「来るのは簡単だけど出るのは難しい。厄介なところだね」

 自分が住んでいる星だが冷静に評価を下してしまう。何となく炬燵や寒い日のベッドなどが頭に浮かんできた。規模はまるで違うが、両介の拙い想像力ではこれが限界である。


「地道に捜査するしかないわ。でもどこから当たればいいのか」

 普段から明るい女性にしては珍しく声音が重い。どこか焦りが見て取れる。

「そんなにまずい状況なの」

「騒ぎになっていないのが奇跡に近いんだ。このままじゃこの星だって壊される」

 今までの様子とは明らかに違う。はっきりとした敵意が滲み出ており、緊張感に満ちていた。見慣れているはずの自分の顔がひどく強張っている。こんな顔をしてしまうほどの人物なのだ。


「ガデス・パンドンだけは絶対に捕まえなくちゃいけない」

 シャリアが追ってきた凶悪犯。この事件の元凶ともいえる人物。


「宇宙史上最低最悪の大泥棒。数々の星が奴の手で滅茶苦茶にされてきた。経済的損失や被害総額は計測不能。文字通り宇宙を傾けてきた男よ」

 心の底から忌々しそうに語る。あらゆる感情がごちゃ混ぜになっていた。息の根を止めてしまえるほど鋭い眼光をしている。

「どんな化け物なの?」

 シャリアほどの女性がここまで言うのだ。脅威は理解できるがまるで想像つかない。かろうじて頭に浮かんだのはとんでもなく巨大な怪獣。あるいはゲームに出てくる魔王みたいな姿だ。

「姿かたちは私たちと何も変わらないよ。でも中身は明らかに違う」

「い、いくら凄いって言ってもただの泥棒なんでしょ」

 宇宙警察の規模はかなりのものだと聞いた。科学技術も大幅に進歩している。小さなコソ泥くらいなら逃げられるかもしれないが、やっていることの桁が違うのだ。宇宙にどれだけ人が住んでいようが逃げ切れるとは思えない。

「ガデスも無敵ってわけじゃない。実際に警察も何度か捕まえている。だけど悉く脱走されてしまうの。まるで遊んでいるみたいにね」

みしみしとこぶしを握り締める音が聞こえてくる。激しい怒りが炎となって燃え上がっていた。警察にとっては思い出したくもない恥部だ。どれだけ煮え湯を飲まされてきたのだろうか。

「狡猾な計画犯でありながら快楽的な愉快犯でもある。盗んだ金をばらまいたり、やることなすこと理解不能だ」

「義賊ってやつ?」

 テレビや漫画などで思い当たるイメージ。庶民のために支配者と戦う。法で裁けぬ悪を自らの手で裁く。


「それは違う! 奴はそんな生易しいものじゃない。間違っても使わないで」

 シャリアには似合わない怒りに染まった声で否定する。口調が強くなっていることに自分でも気づいていない。

 ガデスによって盗まれた金や数々の宝。滅茶苦茶になった経済。齎される災厄によって簡単に秩序は崩壊していく。無軌道な行動がどれだけ多くの混乱を巻き起こし、たくさんの人生を狂わしてきたのか。

 一部のマスコミや市民だけが熱狂的に支持している。行動は誰よりもスケールが大きいからだ。今の両介のように無邪気に庶民の味方だと信じる者もいるらしい。

「思考回路が壊れているとしか思えない。奴のやることは常識じゃ計れないんだ」

 全宇宙から指名手配され、賞金まで懸かっている。つまり警察や犯罪者、一般人からも狙われる立場なのだ。それでも彼の生命を奪えた者はおらず、罰を下せた者もいない。悠々と犯罪活動をしている。

「私はあいつを絶対に許さない。どこに逃げても必ず捕まえてやる」

 阻むのなら神であろうと倒す。そう思わせるような強い覚悟が伝わってくる。文字通り生命を懸けているのだ。この燃えるような正義感の持ち主からすれば、ガデスという存在が許せないのは語るまでもない。

「犯した罪を白日の下に晒す。それこそが被害者に報いることなんだ」

 ガデスの犯行はあまりにも幅が広く、未解決事件が山ほどある。主犯なのか、それとも無関係なのか。全ての証言が取れれば、宇宙の犯罪史が引っくり返ると言われているらしい。

 だがシャリアはそんな大きなことを考えていない。一番堪らないのは真実を知ることができない被害者たちだ。彼らのためにも全てを明らかにするべきだと思っている。ただ生命を奪うだけではダメなのだ。


「恐くないの? 相手はとてつもない大泥棒なんだよ」

 単純な勝敗の話だけではない。己の信じる道をどこまでも突き進んだ果てに届かなかったらどうなるのか。自分の全てを懸けながら何一つとして報われることがなかったら。積み重ねてきた時間が無意味だと思い知らされたら。自分には何もできないのだと突きつけられたら。

 いくらでも浮かんでくる事実に両介は震えてしまう。ある意味死ぬより辛い。困難な壁に挑むことが間違いであり、違う道を見つける方が賢い生き方だ。

「だからといって立ち止まってなんかいられないよ。私はどんなときも前に進みたい。倒れるとしても前だけを向き続けたいんだ」

 己の言葉に嘘をつかず、どこまでも貫いてきた。だからこそシャリアはこの星にやってきたのだ。きっとこの先も同じように突き進んでいく。安心感を抱くと同時にあまりにも眩しく見えた。


「ごめんね。僕は足を引っ張ることしかできない」

 両介には謝ることしかできなかった。本来の身体ならもっと色々なことをできたはずである。自分のような凡人が邪魔をしていいはずがなく、申し訳ない気持ちになる。相棒と言ってくれるが何一つとして力になれていない。

「謝るのは私の方だよ。両介は何も悪くない。断罪されるのは私たちの方なんだ」

 シャリアの言うことは正しい。市川両介は事故の被害者であり、何一つとして過失はない。文字通りただ巻き込まれただけだ。

 それはわかっているが納得できないものがある。自分が彼女の物語に割って入る余計な染みのように思えるのだ。

「両介には私を憎む資格がある。どれだけ罵倒されても仕方ない」

 秘めていた心情が垣間見える。強い正義感を持ち、平和を愛している彼女が今の状況を素直によしとしているわけがない。

 無辜の民を巻き込み、平和な生活を破壊する。彼女が忌み嫌うことを自ら行ってしまった。本当は両介を捜査にも連れて行きたくないのだ。危険なことに巻き込む可能性が高いからだ。しかし両介がいなければ学校生活にも支障をきたしてしまう。

 誰よりも己を許せず、罪悪感を抱いている。表には出さなかったが、どれだけ暗い感情を抱え込んでいたのか。

「でも君はそれをしなかっただろ。私がどれだけ救われたかわかるかしら」

 言われて初めて気づく。巻き込まれて嫌だという思いはあるが、シャリアを非難する気はない。怒る気持ちにならなかった。

「それに両介がいなかったら、今頃もっと酷いことになっていた。こんな状況になって正直不安だったんだ」

 照れくさそうに微笑む。自分ではしないような仕草。シャリアという女性の顔が透けて見える。心からの言葉に胸が熱くなり、どこか救われる気がした。

 故郷から遠く離れた見知らぬ星。情報がまるでない中で通信もできなければ、サポートも受けられない。元の肉体に戻れるかもわからず、帰ることすらできないのだ。不安や孤独を感じるのは当然である。自分がシャリアと同じ状況に置かれたとしたら、とっくに潰れていたはずだ。

 だが彼女はそんな姿を一切見せない。本当に強い女性である。

 自分には何の力もない。それでも彼女を少しでも支えたかった。たとえ何もできなかったとしても、せめて彼女の行く先をこの目で見ていたい。その姿を自らに刻みたいと思えた。

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