美の価値域ー入ーⅢ
顔の横で指をフリフリ回し、モネが部屋を歩きながら目的の内容を語る。
「この美の価値域での目的はね、労働力、コマーシャルやプロモーションなんかに使う用にモデル、あと単純に美術品の確保」
一つ一つ指折り数える。全部挙げ切ったようでモネは頷いた。
「なんだか多いな。どうやるつもりなんだ」
リベルが問いかけると、モネが考える仕草を取る。熟考しているようで目をつぶり両人差し指をこめかみに当てる。はたから見ると間抜けだ。普段の余裕綽々とした感じからして余計にである。
「手法については、君にも言わない。たぶんだけど、言うと君が気を利かせて思った通りに事が動かなくなりそうだから。目的も言ったは言ったけど、あんまり気にしないで」
リベルは不満だった。
「ぼくだってモネからいろいろ知ったんだ。きっと助けになることだってできる」
モネはふっと息をつき、リベルに微笑みかける。そしてその頭をやさしくなでた。
「知ってるだけじゃ足りないのよ。知識は活用しなきゃね。その練習はまだ積めていないから、今回は私に任せなさい。次の価値域に行ったら意見を聞かせてもらうから。気持ちだけ、ありがとうね」
モネはいつになくリベルをぎゅっと抱きしめる。呼吸が少し浅い。しばらくするとモネはぐっと息を吸い込み吐き出し、リベルを離す。
「君、臭いね」
「モネだって少し臭うぞ」
「あー!うら若き乙女に向かってなんてことを言うのかなー。ま、否定はしがたいけど。温泉があるってことだし、入りにいこっか。あ、目的も他言無用だからねー」
からかうような笑みを浮かべつつ、モネは旅行鞄を漁る。「シャンプーと、石けんと……タオルって持ってった方がいいのかな。一応持ってこ」と呟きつつ準備を進めるモネを見、リベルも真似をする。準備が完了し、向き直ったモネは目を丸くした。リベルもきっちりと温泉用に装備をしている。
「なんとなく、あとで教えないといけないかなーって思いながらまとめてたけど、マネするってこと覚えたんだね。いいね。人間は何でもまずは模倣からよ!」
リベルが上半身を曲げるも、モネはサムズアップしてくるだけだった。リベルは頭をかくことにした。
「ま、否定はしがたい、けど」
「プッ……アッハハッハッ、いいセンスしてるね。その調子だよ」
モネは腹を抑え、膝を叩き、珍しく大笑いをする。リベルはなんだか顔が熱を持ったために今度は頬をかく。段々と落ち着きを見せてきた。息を整えたモネは「じゃ、温泉に行こう!」とリベルの腕を引く。
エントランスに下り、受付の奥に温泉があった。目の前には右に「男」と左に「女」との文字が書かれた暖簾がそれぞれ下がっている。モネが「女」の方に歩いて行った。リベルがそれに倣おうとすると、さすがにモネがリベルを押しとどめる。リベルはなおもわからない。
「なんでだ、モネ。モネがそっちに行きたいんだろ。ぼくはついてくだけなわけだから、どうして止められなくちゃいけないんだ」
モネの顔は真っ赤だ。
「そういえば、これも言ってなかったけど!君は生物学上、男っていう、の!で!私は女!温泉でこんな風に男と女って分かれてるところは各々対応した性別の人が入っていくの!いい!?君は男!だからこっち!」
勢いよく腕を振り下ろし、右を指す。リベルはあまりの勢いにまた無知ゆえにやらかしたことを知った。
「悪かったよ。でもそんな怒ることないだろ。知らなかったんだから」
「怒るっていうか、これはちょっと恥ずかしいんだよ!もう!」
フンと鼻を鳴らし、そのまま左へと進んでいってしまった。リベルも仕方なしに右へと向かう。
温泉というのは非常に気持ちがいいものだった。リベルは湯気を立たせるため池に真っ先に入ろうとして他の客に止められてしまったが、叱責されるということはなく、みな優しく作法やマナーについて教えてくれた。体を先に洗ってから温泉に浸かる。馬車で凝り固まった腰が溶けていくようだった。そんな満悦な顔をしていると、隣で浸かるガタイのいい男から提案される。
サウナはどうか、と。
リベルは興味津々であった。語る男の顔を見るに非常に満たされるらしい。男について水分補給をしたうえ、サウナなるものに入った。時計の読み方を教えてもらい、サウナ六分、水風呂三十秒、外気浴十分を三セット行う。吹き出る汗を手で拭い、高温で揺れる壁をどこともなく眺める時間は最初は退屈でつらいと思った。水風呂では心臓が止まるかとさえ思った。しかし、終わってみれば体の内部、その深奥から熱が伝播し、頭が無色透明になったかのような感覚だ。ぼんやりとにやけながら、隣の師匠に聞くと、これは「整う」というのだそうだ。リベルは朝一番にもう一回来るべきかとぼやくと、「ようこそ!キミもこれで立派なサウナーだ!」とまたサムズアップをかまされる。悪い気は微塵もしなかったそうだ。
風呂から上がり、エントランスで待ち、上がって合流したモネに興奮しながらリベルがサウナについて語ると、その熱量に押され、珍しい困った顔を見ることができた。リベルはやはり明日も入ろうと決意した。
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