大軍の兵糧

 ここで亜美さんから、


「信長は三万の大軍ですよね」


 そんな話だったはず。だけど今でさえそうだけど、昔の合戦の軍勢が実際にどれほどだったかは藪の中も良いとこみたい。ああいうものは多い方が優勢に見えるから、それこそ鯖を読みまくり状態だってさ。


「それもあるけど、どこまで数に含めたかもあるやろな」


 軍勢も少なければ手弁当だけで合戦に行ったそうだけど、


「あのな戦国時代は自給が原則や」


 とは言っても、長期戦になるとそうはいかないはず。


「そうなるわな。金ヶ崎の退き口やったら二月二十五日に岐阜を出陣して、敦賀に雪崩れ込むのが四月二十五日や。こんだけの兵糧を自前は無茶や」


 ちょっと話が戻るけど、信長軍は三月三日に常楽寺に着いて、三月五日に信長が京都に行ってから、


「今津に向かって進んどったはずや。売るほど日数はあるさかいな」


 それとだけど信長公記に信長の動きは残されてるけど、


「よう気が付いたな。信長が先頭切って突進しとるとするのは不自然や」

「それにいくら大軍でも道は狭いのよ」


 小学校の遠足でも長蛇の列になるものね。そうなると信長より前に先発隊が若狭に入っているはず。それはいつから、


「そこは記録に残ってへん。残ってへんけど、そこに信長の動きを考えるカギがあるかもしれん」


 常楽寺の相撲興行も、京都での茶器集めも、能興行も朝倉を油断させ、不意打ちを行うため。


「それが定説みたいになっとるけど、そんなんで油断するか?」

「司馬遼太郎でさえ、常楽寺に信長軍がおるだけで朝倉がピリピリする様子を描いていたじゃない」


 近江にいる信長の大軍が、どこに向かうかは朝倉なら神経質にならないほうがおかしいか。


「もう一つポイントがある。信長が対朝倉の戦略をどう考えとったかや」


 そんなもの鎧袖一触で滅ぼすだけ。


「三年後はそうなったのは史実やけど、この時の朝倉はちゃうで。まだ姉川やる前のピンピンしとる朝倉やぞ」


 朝倉は決して弱い国じゃないってことか。でも信長の戦略と言われても、


「敦賀に攻め込んだし、手筒山城を落とし、金ヶ崎城は開城させとる。それとやが、敦賀から木の芽峠を越える作戦も展開させとるのもわかるやん」


 それで、


「そやけど朝倉軍の主力は福井平野に健在や。朝倉を滅ぼす気やったら、福井平野で姉川をやらなあかん。つまりや、それまでの兵糧補給の手配も考えるんが戦略や」


 コトリさんは仮に作戦期間を一か月としてたけど、


「三万の兵を食わすには一日一人あたり六合いるんや。三万人なら十八万合、千八百斗になる。これじゃ、わかりにくいやろうから、一日に白米で四百五十俵や」


 ふぇぇぇ、三万の大軍って一日に四百五十俵も食べるのか。


「これを前線基地の佐柿まで運ぼうと思うたらやな・・・」


 今津までは琵琶湖の水運で運べるとして、そこからは陸路だ。


「ちょっとだけラクできるところはある。熊川宿からは北川の水運が使えるねん。そやけど、また丹後街道を陸路で運ばなあかん」


 陸路となれば馬だけど、一頭に載せられるのは二俵だから二百二十五頭も必要なんだ。


「もっとや。運んだら帰らなあかんやんか。連日運ばなあかんから、今津から熊川宿だけで四百五十頭、さらに佐柿まで四里ぐらいやけど、やっぱり四百五十頭必要や」


 あわせて九百頭か。


「それ以外にも武器弾薬、味噌とか塩も必要やから軽く千頭以上は必要のはずや」


 これが連日運び込まれて三万の軍勢がやっと維持されるのか。


「事前準備はもっといるはずや、考えてもみいや。一日分の弁当だけもって戦うのは無理あるやんか」


 前線基地の佐柿に一週間分なり、できたら二週間分の備蓄は欲しいよな。


「それだけの船とか、人夫とか、馬丁がいるねんよ。さらに言えば、佐柿から金ヶ崎に前線が進んだら、さらに馬も人足も必要になる」


 それって、


「そうや、黒猫も、佐川も、ペリカンも、ゆうパックもおらんから自分で調達せんとならん。さらにやが、そういう連中も食うんよ」


 三万と言っても戦闘員だけの三万じゃなくて、輸送部隊も含めての三万と考えるのか。そうなると、


「言い忘れとったけど、今津に運び込む兵糧の調達もいるで。言うまでもあらへんが、兵糧部隊の護衛もいるし、補給拠点の護衛も必要や」


 そうなると、それだけの人夫とかの手配をして、佐柿へのルートを確保し、佐柿に兵糧が蓄積されるのを待っていたのが京都の信長だったとか。


「それだけが目的やないはずやが、準備が出来上がる時間も含めて信長は京都におったはずや」


 そんな大輸送部隊の様子が隠せるはずもないから、


「朝倉は信長が若狭に來るのは百も承知やったはずや」


 なのにあの醜態になったのは、


「そうなったんを考えるんが歴史ムックや」


 大軍を動かすのってこんなに大変だったんだ。


「合戦に勝つ必要条件ってわかるか」


 えっと、えっと、


「相手を圧倒する大軍を決戦場に集めるこっちゃ。それには兵士もかき集めんとあかんけど、集めた兵士を食わす算段もセットになると思うたらエエ」


 でもさぁ、でもさぁ、昔から名将って少ない数で大軍に勝つ人じゃないの。


「そういう思想は日本でもあって、楠木正成とかは称賛はされとる。そやけど正成でも湊川で尊氏の大軍に押し潰されて討ち死にしてるんよ」

「そういうこと。戦場で戦術だけで勝とうとするのは曲芸なのよ。それに戦争では戦術では戦略に勝てないのは鉄則よ。信長は合戦を戦略で勝とうとする思想を打ち立て、これを受け継いだのが秀吉だと思う」


 あくまでも仮定とコトリさんはしてたけど、信長は朝倉に一か月で勝つ戦略を考え、それに必要な大軍と、兵糧を若狭に送り込む作戦を実行していたはずだって。これが一か月より長いと見積もれば、さらに壮大な戦略になりそう。


「だけど失敗してるのよ」


 そうだった。浅井の離反が起こってしまったんだ。


「コトリならどうしてた」

「金ヶ崎はやらん。素直に姉川を選ぶわ。ほいでも、姉川を回避したかった気持ちもわからんでもない。姉川やったらどうなるかは歴史が結果を示しとるからな」


 浅井が離反しない金ヶ崎ってなかったの。


「ほとんど必然みたいなもんや」

「お市の方でも効果はあれぐらいだったもの」

「やっぱり上洛戦か」

「それはそれで無理あるよ」


 なんの話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る