来やがった

 北井本家の連中だって、わざわざ神戸に押しかけてこないぐらいに高を括っていた部分はあったんだ。だって福井県と神戸は遠いもの。それにユリのマンションを知っているとも思えないじゃない。


 お母ちゃんは従兄弟叔父の道夫さんにに連絡を取ろうとしてたけど、これが取れないんだよ。状況から考えて軟禁状態になってるかも知れないって推測してたけど、相手は警察でも、ヤクザでも、半グレでもないじゃない。


 そりゃ、怪しいところの借金の返済のために行方不明になった人の話は聞いたことはあるけど、やっているのは婚約問題だよ。それでそこまではやり過ぎだろ。北井本家って暴力団も裏でやってるとか。


「ないよ。それに北井本家だって一族以外にこんなことはしないよ。でもね、一族の中ではやりかねない」


 とんでもなく頭の古い連中だ。亜美さんだけど、うちに来てもやっぱり怯えてる。それもわかる。家に居るところを襲われ、友だちの家まで襲われてるものね。この家だっていつ襲われるかの恐怖があって当然だもの。


 亜美さんは実家と友だちの家で二回襲われてるのだけど、実家はわかりやすい。シンプルに押しかけられただけど、友だちの家が問題だった。だからお母ちゃんと対策を考えたのだけど、


「簡単じゃない。ユリに任せたよ」


 それだけ言って妄想部屋に籠ろうとするな。亜美さんが不安そうな顔してるじゃない。ユリだって押しかけられるのは迷惑だ。


「くれぐれもやり過ぎないように」


 くそっ、籠りやがった。それから亜美さんと時間を過ごしていたのだけど一階の警備室から連絡があったんだ。


「警察の方がお話を伺いたいと来られてます」


 もう、ここまで来たって冗談だろ。青ざめる亜美さんに心配しないように言い聞かせて、とりあえず部屋の前で応対する旨を伝えて来てもらった。相手が警察だから警備室では追い返せないものね。


「ピンポン」


 さて気合入れて対応してやるか。インターホン越しで、


「こちらに北井亜美さんが滞在中とお聞きしたのですが」


 してるよ。


「これは保護者の了解があるのでしょうか」


 直接はないのよね。だって連絡が取れないのだもの。


「中でお話を聞かせてもらって宜しいでしょうか」


 誰が中に入れるものか。そうしたら警官の機嫌が悪くなってきた。まあ、こういう時はせめて玄関ぐらいで対応するのがマナーだろうし、そうなると思って来てるよね。


「あなたは法律に詳しくないかもしれませんが、これは警察官による職務質問になります。場合によっては署でお話をうかがっても良いのですよ」


 てめえなんかに出来るものか。


「はっきり申し上げますが、あなたには未成年者誘拐罪の容疑があります。捜査に御協力頂いた方が良いですよ」


 嫌なこった。そうだそうだ、念のために警察手帳を確認しておこう。


「まさかお疑いとか」


 でも拒否できないのよ。あれこれ渋られたけどついに見せてくれた。本物の警官であるのは間違いないけど、やっぱりね。そうじゃなきゃ、ノコノコ来るはずないもの。同じ手口はここでは通用しないよ。


「任意で御協力頂けないのなら、正式の手続きを行いますが」


 やれるものならやってみろ。さすがに警官だから『覚えてろ』みたいな捨て台詞は吐かなかったけど、インターホンのビデオを添えて地元の警察署に送ってやった。これで二度と来ないだろう。亜美さんが、


「あんなことしてだいじょうぶなのですか」


 心配するのはわかる。でもね、ああいう対応にしたのは警官に対する情けなんだ。こうやって職務質問に来たこと自体が本来は大問題なのよ。あれでもしユリの家にたとえ玄関でも足を踏み入れていたらクビになるんじゃないかな。


「どういうことですか」


 わざとそうする手もあったけど、それはあまりに可哀想だからやめたってこと。こっちだって、こんな事で騒ぎを大きくしたくないもの。


「でも未成年者誘拐は・・・」


 亜美さんが友だちの家にいられなくなった理由だものね。これって知らない人も多いのだけど、保護者の同意なしに未成年者を家に泊めただけで罪が発生するんだ。それも理由の如何に関わらず的なとこもある。


 もちろんケースバイケースはあり、あれこれ事情も斟酌はしてくれるそうだけど、重ければ刑法に問われ、軽くても青少年保護条例に問われることだってある。青少年保護条例がどうなってるかだけど、


『何人も、保護者の委託を受け、又は承諾を得た場合その他正当な理由がある場合を除き、深夜に、青少年をその住所若しくは居所(以下「住所等」という。)から連れ出し、又はその住所等以外の場所に居させてはならない』


 読めばわかるけどとにかく網羅的で、困っていそうだから善意で泊めても運が悪ければ厄介ごとに巻き込まれてしまうぐらいかな。というのもその他正当な理由の解釈がかなり辛いらしいとか。


 どれだけ辛いかはケースバイケースだろうけど、容疑者扱いされたら個人では抵抗が難しくて、弁護士の助けを借りないとならないケースもあるぐらいだそう。とにかく警察が絡むから厄介みたいなんだよ。


 それとあの警官だけど本物だけど、兵庫県警じゃなくて福井県警の警官なんだよ。そう、あの警官も実は北井の一族で、本家に頼まれて動いてるってこと。そこまでするかと言いたいけど、亜美さんの地元の場合はまだしも正統性があった。


 だけどね、神戸となれば話が変わる。その辺の管轄とか所轄の感覚までユリにはイマイチわからないけど、他の県警の管轄でああいうことをするのは警察的には宜しくないはず。違法行為にはならないだろうけど、警察内の統制問題として後で大目玉を喰らうはずなんだ。


 それと兵庫県警、とくに地元の警察署の警官なら絶対にあんなことはしない。まずだけど、ユリの家に亜美さんが泊ってもなんの問題も発生しないんだよ。


「どういうことですか」


 だからこの部屋の中では未成年者誘拐罪も、青少年保護条例も存在しないってこと。さらに言えば警察官は愚か、総理大臣だってユリの許可なしに一歩でも立ち入ることは出来ないんだよ。


「この部屋って・・・」


 ここは神戸にあるし、言うまでもなく日本にある。だけど部屋の中は日本じゃない。


「じゃあどこだって言うのですか」


 この部屋の中はエッセンドルフ公国の領土になると思ったら良いよ。ドア越しの廊下は日本だけど、敷居を越えた瞬間にそこはエッセンドルフ公国になり、日本の法律じゃなくエッセンドルフ公国の法律が適用されることになる。


 ちなみに警官はピストルを持っている。つまりは武装していることになるのだけど、武装した外国人がエッセンドルフ公国に不法侵入したならば犯罪者として扱われる。これはエッセンドルフじゃなくてもどこの国でもそう。


 日本で警官が銃を持つのは合法だけど、国境を越えた途端に不法所持に変わるのよ。もちろん警官の身分もなくなるのよね。扱いとしては武装した不審者になり、侵略者とさえ見なされてしまうってこと。


 だから部屋に入って来た警官をユリが射殺しても日本政府は文句が言えないぐらいだ。言うまでもないけどユリは鉄砲なんて持っていないし、持っていても、そこまでやると国際問題になるからやらないけどね。


「どうしてこの部屋の中がエッセンドルフ公国になるのですか?」


 信じられないかもしれないけど、この部屋は公式の在日エッセンドルフ大使館なんだよ。建前と現実のギャップは長くなるからそのうち話す。だから日本ではなくエッセンドルフ国内になり、部屋に入るにはパスポートかユリの許可が必要になるの。


「ユリさんの許可って・・・」


 仕方ないでしょうが、そういう仕事を無理やり押し付けられたのだから。そうだよ、ユリは正式の特命全権大使を副業でやってるのよね。ここは大使館で、ユリが大使だから、警察と言えども手出しの出来ない場所ってこと。


「ユリさんってエッセンドルフ人なのですか」


 違う、断じて違う。ユリは日本生まれの日本育ちの正真正銘の日本人だ。国籍ももちろん日本だ。だけど少々どころでないややこしい事情がこれでもかと積みあがってしまって、否応なしに二つの顔を持つことになってしまっている。


 一つはどこにでもいるありきたりの日本人としてもユリだ。ハーフなのはほっとけ。日本人としてのユリは大学も通ってたし、バイクでツーリングもするし、就活に失敗して嘆いている女に過ぎないの。


 でもねもう一つの顔は鬱陶しいぐらい重い、重すぎる。特命全権大使も重すぎるけど、これだってオマケみたいなもの。だいたいだよ名前さえ変わってしまう。日本人なら北井友里亜だけど、エッセンドルフ公国を代表する時はユリア・エッセンドルフ侯爵になっちゃうんだよ。


「こ、侯爵ですか」


 ああそうだよ。宮廷内序列第二位のバリバリの貴族様だ。いや、エッセンドルフは公国だからユリは王族としても良いかもしれない。だって元首であるハインリッヒ公爵の異母だけど妹だからね。


 だからユリがもう一つの顔になれば警察如きでは手も足も出せない存在になるってこと。もし手など出そうものなら、国家間紛争になりかねないぐらい。以前にユリが突き飛ばされて怪我した時は、エッセンドルフ議会が糾弾決議をするわ、国家元首からの厳重抗議が公式に出されるわの国際問題になったぐらい。


 もっともこんな面倒なものは厄介で負担にしかならないし、お蔭で就活も失敗させられた。だけど今だけで言えば亜美さんは安全地帯にいることになるよ。ここは誰にも踏み込めないし、踏み込んだりしたら日本政府が乗り出して来るレベルになる。

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