10 ジェットコースター
登坂さんは口を開いた。
「ジェットコースターに乗りたかった」
「それならそういえばいいのに。あれ? 絶叫マシンはノーサンキューじゃなかった?」
「ううん、この遊園地のジェットコースターじゃないよ。比喩表現。なんていうか……ジェットコースターみたいな人生だって歩めたはずなのに、結局観覧車みたいなのんびりした人生過ごしてる。これでいいのかな」
登坂さんの言うことを咀嚼してみる。
きっと、ジェットコースターみたいな人生というのは、たとえば将棋棋士の養成機関に所属して、将棋指しになることを言うのだろう。
なんと答えればいいのか、しばし迷った。登坂さんは本当のところ、将棋で生きていく人間になりたかったのだ。親に押し付けられたふつうの人生など、望んでいなかったのだ。
「でも……さ、登坂さんがふつうの高校生だから、僕は登坂さんと友達になれたわけで」
「そうだね、マドノくんと友達にならなかったら、こうやって自分の気持ちを見つめることもなかったかもね」
登坂さんは観覧車から見える海を見つめた。
「おかしいなあ、マドノくんが相手だといらないことしゃべっちゃう。本当は将棋指しになりたかったの、誰にも言わないつもりだったのに」
「誰にも言わないつもりって……なんで?」
「まあまがりなりにも社長令嬢が、将棋指しなんて蛮族の仕事したがってるってバレたら親が恥ずかしいでしょ」
「将棋棋士って蛮族なの? 知的なイメージだけど」
「蛮族だよ。プロの将棋は知恵を使った殴り合いみたいなものだよ。知的格闘技だ」
登坂さんはニヒヒと笑ったけれど、その表情はやっぱり悲しげだった。
「うちの親はさ、ふつうの子がいいんだって。ふつうにそこそこの大学出てふつうに2、3年働いて帰ってきて、ふつうにお婿さんと結婚して、ふつうに子供作って、ふつうに歳をとる人生がいいんだって」
「ふつう、って、なにを基準に言ってるんだろうね」
「わかんない。とにかく将棋指しみたいな、特別な子供はいらないんだよ。小学生のころ将棋大会で優勝して、公民館に集まってくるおじさんたちが師匠になるプロの先生探そうとしてくれたけど、うちの親丁寧に断ったから。次の年の将棋大会は出ちゃダメって親に言われたから」
登坂さんは特別な才能を持っているのに、それを活かすことを認められていないのだ。なんだか、そういうことを考える親は傲慢だと思った。
観覧車は、ゆっくりと地面に近づいてきた。
「そうだ」
登坂さんははた、と表情を真面目にした。
「保健室で初めて会ったとき、マドノくんわたしの名前聞いたでしょ?」
「うん、それがふつうだろうから」
「将棋クラスタってあんまり他人の名前に興味ないから、公民館の将棋道場でも名前知らないひとけっこういるんだよね。だから名前から友達になるって初めてでさ」
「そういうものなの?」
「なんか名前はいいからまずは指そうぜって感じ。他人の名前に興味ない人多いよ」
「へえ……じゃあ、僕の名前にも興味なかった?」
「ううん、初めて会ったとき学校のジャージだったでしょ。苗字はなんて読むのかなあって思ってた」
「よく言われるし、よく『シンデンさん』って言われる」
登坂さんはニヒヒ、と笑った。
「そっか。あ、もう降りなきゃ」
観覧車を降りる。バスで駅に戻ったらもうギリギリだ。急いでバスに乗り、遊園地をあとにした。
足の裏がクタクタだ。こっちに越してきてからこんなに歩くのは久しぶりである。
無事に帰りの列車に乗ることができた。登坂さんはサッチェルバッグから小さい本を何冊も取り出して渡してきた。
「これ、もう暗記するまで遊んだから、マドノくんにあげるよ」
将棋雑誌の付録の詰将棋の本らしい。どれも3手詰だ。
「ありがと」
「はあーあ……帰るのかあ、あの家に帰るのかあ」
「帰りたくない感じ?」
「ううん、帰るよ。列車が到着したら門限ギリギリだもん」
「そっか。僕んちは特に門限とか決めてないけど、あんまり遅いと怒られそうだな」
「おたがいしんどいねえ……」
「うん……夏休み、終わっちゃうね」
「二学期から真面目に授業出てみようかな。たぶんつまんないけど」
「たぶんつまんないよ」
2人で笑った。登坂さんは笑うと八重歯がとてもかわいい。
2時間かけて、列車は地元に到着した。もうすっかり夕方だ。遠くでヒグラシが鳴いている。
母さんの車が迎えにきていた。登坂さんは歩いて帰る、というので、母さんにお願いして登坂さんも送ってもらうことにした。
登坂さんの家は、とても立派な日本家屋だった。土地代だけでもすごそうな平屋で、玄関の前は広々とした庭になっていた。
去っていく登坂さんの後ろ姿を見てから、母さんは車を家に向けて走らせた。
登坂さんを、いつか芽衣ちゃんと呼べたらいいな。
そんなふうに考えて、それってどんな関係なんだろう、と己に問う。恋人とかいうやつになっちゃうのではないかというところに落ち着いて、それはそれで肯定していいんじゃないかな、ときょうの楽しかったことを思い出す。
夕飯のあと弟がテレビを占領してゲームを始めた。これが弟なりの、思い出との向き合い方なんだよな、と思って、僕は部屋に引っ込んで勉強することにした。
登坂さんからなにか連絡が来ていないか、スマホを見る。メッセージが来ていた。
「きょうはとても楽しかった。親が、お母様によろしくお伝えくださいって言ってたよ」
とても登坂さんらしいメッセージだった。なんだか安心したのだった。
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