7 友達だから
登坂さんはファッションに興味はないのだろうか。
「洋服とかは見ないの?」
「うーん。親がときどき必要な服を仕立ての依頼に出すから……お店だと靴下とかタイツとか下着しか買わないなあ。小さいころから自分で着たい服選んだことないんだよね」
「それ大人になってから大変じゃないの?」
「まあ大学もせいぜい県内だろうし、大学が終わったら親が適当な結婚相手見繕ってきて婿養子にするんだろうし、ずっと親の下から出られないんだよ」
ずいぶん窮屈そうな暮らしだなあ、と思った。
「親御さんはなにをしてるの?」
「縫製工場経営してる。けっこう羽振りがいいみたい。それを継いでくれる婿養子が欲しいんだって」
つまり登坂さんは、登坂さんとしての価値や、登坂さんという存在を認められていないのだ。それはどれほどつらいことだろう。
「そんなの間違ってる」
「そう? それはそれで楽ちんな人生じゃない? 少なくとも奨励会だ三段リーグだっていう修羅道にいるよりかは」
「登坂さんはそれでいいの?」
「いいと思うしかないんだろうね」
「……変なこと言ってごめん」
「大丈夫。わたしの境遇を話すとみんなそうなる。自分だっていいとは思わないよ、でもこうするしかできないわけ」
登坂さんは寂しそうな顔をしていた。
「娘に苦労かけたくないっていうのが大きいところなんだと思うよ、うちの親の考えは。確かに苦労したことってほとんどないし、なにより将棋指すのはとめられなかったし」
「そっか……」
「そうだなあ、大学入れたら進学祝いにすごいパソコン買ってもらおうかな。ふつうの家庭用パソコンのスペックじゃAIも大して強くないし」
登坂さんは夢想するようにそう言う。
ところで、と登坂さんに手番が渡った。
「マドノくんはなんであんなバカ高に入ったの? 東京だとそこそこ賢い私学にいたんでしょ?」
「市内の高校、あの学校だけだから……隣町とかにもうちょっとマシな高校あったりするの?」
「うん、隣町にすごい名門校があるよ。県北で成績のいい子はみんな行くとこ。次くらいに賢い学校も隣町にある。そこは中高一貫で、英語に力入れてて、修学旅行は韓国」
そうだったのか。父さんの下調べの甘さを恨むが、下調べが甘かったおかげで登坂さんと出会えたのだ、ということに気づく。
「登坂さんこそなんであの学校に? 名門校が隣町にあるんでしょ?」
「うーん……中学のとき、保健室登校で内申ガタガタだったから。通知表に記録の残ってない科目もあったし……先生も授業に出てないから無理しないであの学校にしなさいって言ってて」
「中学のときも保健室で詰将棋解いてたの?」
「まあね。中学荒れててさ、教室で軽くいじめられて、スクールカウンセラーの先生も好きじゃなくて。あのころ力士みたいに太ってたからあだ名が『五月人形』だったんだ」
五月人形。芽衣、めい、May、ということだろうか。
「もしかして5月生まれだから芽衣って名前になったとか?」
「その通り。5月5日が誕生日。毎年かならず休日!」
登坂さんはニヒヒと笑った。なんとなく安堵した。
ショッピングセンターをうろうろして、またフードコートに戻ってきた。
2人して、フードコートのお店のフラッペをすする。僕は、
「紙の詰将棋って、玉方の動きも考えなきゃいけないんだよね」と尋ねた。
「そうだね。なるべく長引くように動くのがルール。まあ慣れないうちは盤に駒を並べると分かりやすいよ」
「わかった。じゃあ指す?」
「うん。ちなみに言っておきますが、いままでの勝負で技をかけたことは一度もありません」
「技?」
「まあハメ手も技といえば技か。でもかなーり加減してやってるのは確か」
「ありがたいことです」
登坂さんはニコニコしている。優しいんだか厳しいんだかよく分からないが、とにかく指すことにした。
もちろんまたボロ負けした。なんでこんなに戦力に差があるのにボロ負けするのだろう。なんというか今川義元ってこういう気持ちだったんだろうな、と思ってしまう。
「厚みだね」と、登坂さん。
「厚み」
「上手は当然歩と金銀しかないから、金銀を進めるために歩を進めるわけで、それで厚みが出る。要するに陣地の広さの問題。そっちもどんどん金銀を前に進めていくのが肝心」
「金銀って守備に使うんじゃないの?」
「玉の守りは金銀3枚、っていう格言があって、一個攻めに使って大丈夫。えねっちけー杯を見ればわかるけど、銀は攻め駒として重要だよ。だいいち駒落ちなんだから総力を挙げて攻撃しても勝てるよ」
小声の早口でそう言う登坂さんの言葉をありがたく聞く。
「それから、飛車は横にも使わないと」
「横」
「まあそれはやってればおいおい分かるか。どうする? もう一番指してく?」
「いや、そろそろ帰らないと」
「そっか、買い物で無駄な時間使っちゃった」
「ううん、すごく楽しかったよ」
「……ごめんね、家のこと話したりして」
登坂さんは、なんというか赤い顔をしていた。恥ずかしいことを話しました、という顔。
「なんでか分からないけど、マドノくんが相手だといろんなことしゃべっちゃう。家のこととか、昔のこととか」
「友達だからじゃない?」
「友達」
「そう、友達。……じゃあね、また」
僕は登坂さんに手を振って、ショッピングセンターを出た。
登坂さんの友達になれたのかもしれない。そう思うとなんだか嬉しくて、自転車のペダルにも力が入るのだった。
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