第1話「停戦条約」

陽歴、1999年

西の大国、合衆王国は協定を破り、東陽民国に侵攻を開始。


東陽民国は合衆王国を挟んで地球の反対側にある、以前から対立していた暴君の大国・鉄氷帝国と一時的に同盟を結んでこれに対抗。


同2004年

段階的な国民動員法案発令


同2006年

大学生・専門学校生・一部の高校生に対し、

休学による軍への参加が奨励される


同2008年

膠着状態に陥るかとみられていた戦局が打開される。

(合衆王国内部での王国派と合衆国派の内紛が原因)



そして2009年。


東陽民国東部・某陸軍基地

敷地内の訓練場


その日もまた、業界用語でハイポートと呼ばれる、

銃を構えたままでひたすら走らされるという

およそ拷問にしか思えない訓練が一段と続いた日であった。


「ヨシカワ!ヨシカワ・コタロウ二等兵!ペースが落ちているぞ!シャンとしろ!」


鉄氷帝国が武力併合したどこか北方の国の出身で、

難民としてうちの国に来た金髪に青い目の、

黙っていると敵兵にしか見えない

レイラ・マクギフィン三等軍曹が怒鳴った。


「すみません!」

「ペース落として体力温存してたってわけかァ。

なら先頭までダッシュしろ!」

「わ、わかりまひた……」

「何だァ?」


美人なのだが、極めて神経質そうな顔、

その眉間に皺を寄せて、彼女は唸るように言う。


「ヨシカワ二等兵先頭までダッシュし、

小隊を先導致します!」


声をからして叫び、ちょっと気を抜くと

笑い始める足にむちを入れる。

――目をつけられたのは運が悪かったが

彼――ヨシカワ・コタローにとって、

その日も常と変わらない一日となるはずであった。


シャワーに入り、

便所で、あれほど汗かいているのになぜか出る小便を垂れる。これもいつもと同じだ。強いて言うと――


「あら、かわいいじゃない」


ナニを振って尿を飛ばしつつ、背中ごしに

本来聞こえるはずのない高い声がする。



我が国――東陽民国には、ふたなり、という人たちがいる。一言でいうとナニが付いている女性のことだ。とかく偏見の目で見られがちの彼女たちを、軍が受け入れたのは、道義的にも論理的にも当然のこと――戦時中ならなおさらだろう――と思うし、男子トイレ使ってもいいことになっているので問題はないのだが――


「カナザワ、お前さ、気後れとかしないの?」

「んー、私より❝大口径❞な人がいたらするかもね」


今は残念ながらショートだが、入隊する前に事務所で見た流れるようなポニーテールが印象的だった。美人だ。誰が見てもそう思うであろう彼女はニヤッと笑った。じっさい、彼女に勝てる者はうちの教育隊にはいないわけで。


思えばこの、いつもと変わらないがちょっとだけ違う、

が二度続いたのが何かの前触れだったのかもしれない。


それから三十分経ったか経たないかだろうか、

もうすぐ夕食という時になり、全員がテレビのある談話室へ集められた。


「なんだよ、どうなってんだ、」

「俺に聞かれても困る」


仏頂面で答えた、童顔だが、筋肉質の同期のイタクラが

短く答える。


「おい、イタクラ。尻尾出てんぞ」


後ろから近づいてきた別の同期が言う。


「しまった。毛をとかしてたんだ」

「お前意外とマメだよね。」

「サボるとボソボソになってしまう」


イタクラ――彼もまたトイレで会ったカナザワと同じといえる。狼のそれに似た獣耳と尻尾があるのだ。だから他にどうということもないが、たかだか半世紀ほど前まで彼らを動物扱いする国があったのも事実だ。


「静かにしろ静かに!非常に重大な放送があるからテレビを見ろ!」


「でも班長。映んないっすよそのテレビ」

「オオジマーー、なんとかしろってよ」

「はいはい。いい加減買い換えりゃいいんだよな、こんなの」


家が電気店のためにこういう場合いつもかり出される同僚がしばらくいじり回したあげく、角度45度で側面にチョップを食らわすとようやくテレビが付いた。


「合衆王国の女王だ。結構いい女だな」

「敵の親分だろ。隣にいるのって大統領だよな」


何かを悟ったような面持ちの、

いかにも育ちの良さそうな女性と

白髪の、目が死んでいる長身の白人男性が並んでいる。

コタローは学校の授業を思い出した。確か合衆王国の政治体制では実権を握っているのが大統領の方で、象徴としてあるのが女王、ということのようだ。なるほど、爺さんのほうがその大統領でもう一人が女王か。どおりで見覚えがあるわけだ。


『我が合衆王国は、1999年以来、神聖な我らの国土を守るために

此度の戦争を――』


汗を拭きながら、プロンプターに視線をやりつつ、

大統領の方がしどろもどろに述べる。


「そっちから仕掛けといて何言いやがる!」

「うるさいぞ!」


ヤジと、それを咎める声が、三個小隊強の人員が集まった部屋の

そこここから上がる。


『以上の通り耐えがたい苦痛と忍び難い犠牲に耐えて参りました。

しかしこれ以上の交戦を続けることは

我が合衆王国のみならず、全地球規模の悲劇であり――』


演説内容は非常に小難しく、長ったらしく、もってまわった言い方で

ヨシカワを含め、見ていた者にはなかなか理解できなかったが


「もう講和したいが負けたとか降伏するという言葉を使いたくないということだ。しかし女王はやつれたな」


という小隊長――財界の令嬢だったが遅れてきた反抗期なのかなんなのか、軍に志願した物好き(当然ながら戦地には送られなかったが)――の総括が一番わかりやすく思われた。彼女はなんと女王をその目で見たこともあるそうだ。


メシは黙って喰わなければならないルールだったので夕飯は静かだった。しかし、その後は、当然のことながら、あちこちで騒ぎになった。


「これで戦争に行かなくて済む」


と安心する者がまずは圧倒的に多かった。当然の反応だろう。


しかし、しばらくすると


「今軍隊を辞めさせられると困る」


という声も聞こえてきた。ふたなりのカナザワや獣耳尻尾族のイタクラ、あるいはマクギフィン三曹と同じ難民上がりの者などは軍隊を2年間(教育隊の期間を含めると2年半くらいになるが――)務め国に貢献したという証をほしがっていた。


学生から参加を募ったわけだから当然だが、シンプルに学費を稼ぐまで居たいという者も大勢居る。


――――三日ほど後。


「先輩、悩んだってしょうがないじゃないっすか。とりあえず、荷物纏めて帰れとか言われる気配は今のところないんですし」


ヨシカワは大学を休学して軍に入った二十歳の、痩せ型の同僚の背中を叩いた。


「ありがとう。」


鉄砲の分解とかにも慣れてきたし、何よりやっと覚悟が決まってきた所だったのにこれはないよ。彼は誰に言うともなく、そう言い残した。心の中で、ヨシカワもつぶやく。


「しまいにはツメがなくなるんじゃないの」

「うるさい包茎。」


親指の爪を噛む作業を中断し、

カナザワは上目遣いに彼を睨んだ。


「キツいな。」

「あのさァ、私がガッコにいたころ――」

「裏から手を回してお前を退学に追い込もうとしてた女生徒会長を下半身裸で追っかけ回したって話なら56回聞いた。軍隊に居らんなくなると困るのはわかるけど落ち着きなよ」

「人の話遮んな童貞。バカ」


ぷい、と顔を背けて言う。

だいぶ神経質になっているらしかった。


「ヨシカワ、それにカナザワ。あれを見ろ。正門だ」


イタクラが基地の正門を指さした。

中年の夫婦らしいのが何事かわめいている。


騒ぎを聞きつけ、二人だけでなく

数人の新兵が集まってきていた。


「なんつってるの?」

「誰かの親だな。戦争が終わったんだからウチの子を返せと言ってるらしい」


彼の聴力は普通の人間より鋭いのだ。

それを聞いたギャラリーの中からは

失笑が漏れる。ツバを吐いたモノもいた。

ほどなく、おそらくその夫婦の息子と思われる新兵――

ヨシカワたちとは違う小隊だ――が遠目にも

顔を真っ赤にして歩み寄り、怒鳴った。


「バカヤロー」

「今すぐ帰れ!」


そう言っているのが並みの聴力しか持たない

ヨシカワにも聞こえた。

まあ気持ちはわかる。こんなの後でどれだけバカにされるか

知れたもんではないだろう。


――それからさらに数日後。

戦争が終わってから一週間が経とうとしていた。既に、講和交渉、事実上の降伏交渉だが――は進んでいるらしかった。


「えー、総員聞け。我々は合衆王国の首都に暫時、派遣される事となった」


夕飯を終えて、小隊長が言う。


「戦争終わったのにですか?」

「黙って聞かないか。治安維持のために占領軍が必要ということだ。」


マクギフィン三曹が言う。


合衆王国中央部の前線から、これまで戦っていた損耗率の高い部隊を引き抜いて民国本土に帰還させる。静養させる必要があるし、

家族に会いたい者などもいるだろうから。それと交代する形で占領地へ、治安維持のためにこれまで本土にいた、練度の低い部隊を配置する――まさに、それは我々のことだった。


「治安維持って何すんの?具体的に」

「要するに鉄砲持って立ってればいいんだろ。お巡りみてえにさ」

「私は実戦経験したってお墨付きがほしかったけど」


安堵したように言う同僚に口を挟む。

カナザワはまだ不満らしかった。


――鉄砲持って立っていればいいだけ。

戦場に出るのと比べれば退屈にもほどがある。

正直この時点では、ヨシカワも含めて誰もがそう思っていた。


もっともそれが大いなる間違いであることを

すぐに思い知るのだが。


一週間後には、実包の弾丸が支給され、あれよあれよという間にヨシカワのいる小隊を含めこの基地で訓練していた600名、1個連隊近い新兵たちは

海軍が徴用した輸送船に押し込まれ、機上の人ならぬ船上の人になっていた。


「すごい艦隊だな。なんだかんだうちの海軍は凄いよ。

アレは合衆王国の軍艦だよな?」

「そう。でもうちが接収したんだよ。国旗も海軍旗も東陽民国のだろ?」

「あっちの先っぽだけ見えてる艦は?沈んでるみたいだけど?」

「接収される前に自沈させられたのが何隻かあるって聞いた」


合衆王国西岸部の港につくや、あちこちでそんな会話が交わされる。

そして……



「通勤電車しか徴用できなかったからって夜通し乗せるんじゃねえよってハナシ。いくら港から合衆王国の首都まで直行出来るからって……」

「腰痛いんだけど」

「網棚で寝るのはルールで禁止じゃないっスか」

「戦争はルール無用だろ」

「終わったっつうの、戦争。」


民国のそれより天井が高く、電力不足のせいで薄暗い地下駅のホームに各小隊が整列している。外見上瑕疵はない。


オリーブドラブ色の作業服はみんな真新しい。

散々教え込まれていただけあって、

小銃にも錆一つ浮いていない。

――磨きすぎて地金が出て銀色になってる者が何名かいるのはご愛敬。


「いいか、ここは敵地だ――戦争が終わっていようがいまいが、

注意を払わねばならぬことに変わりはない」


財閥令嬢上がりのタワラマチ少尉が凜とした声で訓示を述べる。彼女は軍隊を勤め終えたら、どこか親の傘下の会社でかなり早いうちから重役か、ともすると社長として生きていくことだろう。ひょっとするとここでこうしていっぱしのリーダーにならんとしているのはその予行演習か何かなのだろうか。


ヨシカワは訓示を聞きながらボーっとそんなことを考えていた。

それに比べ、自分はよく考えたら兵役が終わった後の予定なんか

なーーーんにも考えていない。


「実弾を支給してあるはずだが、安全装置はしっかりかけろ。誤射、紛失、いずれも営倉入りだ」


終わりにマクギフィンが青い目を光らせて睨め付ける。相も変わらずクマがひどい。

無愛想この上ないが、苦労している分いい人だ。そのせいで心労が耐えないということなのだろうか。


「エスカレーターなんで止まってんのよ。足痛い」


美容師の専門学校に入る金を貯めたくて志願したという女性兵士が文句を言う。

シェルターにすることも想定しているというその地下駅は

嫌に深く、改札があるロビーまで垂直に離れていた。


「三曹、子供が居るぞ」

「なんで民間人が入り込んでいるんでしょう。

MP憲兵は何やってるんだ」


小隊長とマクギフィンが小声で言葉を交わす。


東陽民国の小旗を持っているその

身なりの汚い子供たちはボロボロのバスケットを手に、

何事か喋っている。ぎこちない民国語を口にしている者も居た。


「何か買ってくれと言っています」


大学生の兵士が2人に囁く。


「構うな。寄ってきたら追い払え」

「威嚇射撃でもしちゃえばいいじゃないですか。

なんかあっても敵国人でしょ」


カナザワの言葉にマクギフィンが額をくっつけるようにして凄む。


「メッタなこと言うなカナザワ二等兵。警戒はすべきだが相手は民間人の子供だぞ。

戦争はもう終わっているんだ。軍の刑務所へ行きたいのか」

「…………。」


そう言われてしまえば

飄々としているカナザワも、憮然として押し黙るほかない。


「なんだ、こんなところで何をしてるんだい?」


そんななか、気の抜けた声がロビーに響いた。いつの間に現れたのかよりによってMPの腕章を着けた中年の兵士――二等軍曹だ――が膝を折って、子供たちに話しかけている。


「な……おい二曹、ソノ、ん゛ん゛っ。

民間人との不要な接触は避けるべきだと通達が出されているはずだが」


咳払いをして声をかける。少尉の方が階級は上でも、軍隊とは所詮飯の数だ。それに相手は自分の部下ではない。気を遣うのは彼女の方であった。


「ああ?」


果たして、その二等軍曹は実にもって不愉快そうな顔で少尉を睨んだ。


「いや……だから……」

「連絡にあった新兵部隊ってアンタらか。

隊長なら新兵のお守りだけしておけばいいだろ」

「いや、そういうことではなく、通達が――」

「うるさいな。あんた、タワラマチっていうのか?育ちの良さそうな名前しやがって。士官か何か知らないけどお勉強だけできるお嬢ちゃんが出しゃばるもんじゃないよ。」


蔑意の籠もった視線を向け、その二等軍曹は言いたいことだけ言って背中を向けた。

タワラマチ。東陽語で書くと「俵町」確かに吉川とか金沢とか板倉に比べると、タワラマチという名前はそこはかとなくお嬢様っぽいと思う。


「お……お嬢ちゃん……」


タワラマチ少尉はぷるぷると震えていた。こんな無礼な応対をされたことがない、というのもそうだが。彼女はそう呼ばれることに極度にコンプレックスを持っているのだった。


「私はお嬢ちゃんでもお嬢様でもない!」

「あーそうですか、その程度で怒るなよ少尉さん。ごめんねー。

ここは怖くてうるさいおばさんがいるからこっち行こうか」

「おば……ッ」

「少尉。もうほうっておいて行きましょう。時間が推してます」


言葉を失うタワラマチの肩を

マクギフィンが叩いて言う。


「女児と話すときだけ猫なで声になる。

ヨシカワ。ああいうのがその……ロリポップか」

「惜しいな。ロリコンだよ、ロリコン」


イタクラは山の中で自分たち獣耳種族の仲間とだけ暮らしていたために、

世情に疎かった。そんな彼に軽く突っ込みを入れ、訂正してやる。


「何か売っているのかい?小さいのに

お金を稼ごうなんて偉いねえ?見せてみなさい?」


脂ぎった二曹の言葉に

その小さい子供は、スゥ……と息を吸い込み、


「ハイル・プリンセス!」


地下駅のロビーに響き渡る声で叫び、勢いよくバスケットの蓋を開けた。


爆発音とともに、二等軍曹が――というより彼だった物体が四散し、

壁に床にへばりついた。


バスケットにはピンが外れるのと同時に爆発するように細工された手榴弾が仕込まれていたのだった。

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