10:不老の魔法

 夕食も終えて、明日の仕事の準備も終わった。

 四人部屋に眠る同僚たちの寝息が安らかに聞こえる。


「……ヤヌス、ライオラ……」


 黙って目を瞑り、何度も寝返りを打ってみても、眠らなくていい私の体は夢に落ちてくれない。

 だから今日は眠れないな。と部屋を抜け出し、城の尖塔に登ってみた。

 城下町を見下ろす絶景の上で星空を見上げ、厨房からこっそり持ってきたシトロネラの茶を啜る。


「……はぁ。三十年……」


 魔獣との死闘も、皆で野営した事も今では老人の思い出、遠い昔の事になったのだ。

 そんな風に過去のことを想うと、故郷の茶が身に染みる。

 私の心は、夏の夜にきらめく広大な星の海に、なんとなくぼーっと漂っていた。


「ライオラにも、逢いたかったな……」


 何十年も前、牢獄で憎悪に燃えていた頃はずっと殺してやるとばかり考えていた。

 しかし今では……仲間への復讐心を乗り越えた今は、私を知っている人に逢いたい。その想いがどんどん強くなる。

 何人か知っている人の中で、生きていそうな何人かを心に浮かべてみた。


「……みんな、もういないのかな」


 剣の師は多分もういない。当時既に老人だったし。

 育ててくれた乳母もいないだろうし、エッケザックスの民で私を知っている人々も、もうほとんどいなくなったのだろう。

 そんな風に知っている顔を思い浮かべていると、急に現れた一人の顔に凄まじく苛ついた。


あいつアルベル……まぁ、ヴィクトールの話が本当なら、また逢う羽目になるか……」


 自分でも笑ってしまうのだが、奴だけは本当に腹が立つ一方だ。

 逢ったとしても、多分黙って聖剣を抜くだろうな。

 心臓を突こうか、喉を突こうか、頭を突こうか。なんて下らない空想がよぎる。

 ただ、控えめに言って雑魚の彼では、聖剣なんかで斬ったら跡形も残らないだろう。


「いや、腹が立つだけ。止めよう」


 どこか虚しい妄想を止めて、お茶も無くなった。

 アルベルの事を考えてやるなど、心地よい夏の夜なのに実に勿体ない時間の浪費をしたものだ。

 

「とりあえず、もう一杯持ってこようかな」


 そんな独り言を呟いて、私は階段を降りていく。

 果てしなくカツカツと降りていき、お手洗いの前を通ったところで、ランプの明かりが揺れていた。


「あ、ヴィクトール様」


「うわっ!? な、なんだ、ジュリアか……びっくりした……」


 眠そうな顔で出てきた彼に声をかけると、果てしなく驚いた様子で飛び退かれた。

 ……そんなに怖かっただろうか?


「まったく、ランプくらい持ちなよ!! 真っ暗なのに良く歩けるなぁ」


「……? あぁ、目に魔法が掛かっているので」


「それは……便利なことで。ウチに幽霊出るとか聞いたこと無かったから、こっちは本気でビビったんだけどね?」


 私の瞳には魔法がかかっているのを、そういえば完全に忘れていた。

 晴天の昼間でも闇夜でもしっかりと見えているのだが……そういえば、昔ライオラが彼と同じように腰を抜かしていたな。

 真夜中に浮かぶ私の真っ白な髪が怖すぎると、泣きながら文句を言われた記憶がある。


「……ふふっ」


「人を驚かして喜ぶとは、趣味が悪いな……」


「申し訳有りません。昔の仲間に同じ反応をされたので」


「誰でもするよ!! 全く、目が覚めたじゃないか!!」


 ヴィクトールには悪いけれど、私は記憶の中の彼女と同じその反応が面白くて笑っていた。

 ただ流石に申し訳なかったので、お詫びをしようと提案する。


「眠れるように、お茶を沸かしましょうか」


「……じゃあ、頼むよ」


 少し拗ねたような顔をする彼は、しょうがないなと呟き私の後をついてきた。

 厨房に忍び込み、炎の魔法でお湯を沸かし、シトロネラの葉を散らす。

 しばらく蒸らして爽やかな香りがした頃、濾し器に流してコップに注いで……二人分の茶を持っていく。


「どうぞ」


「ありがとう。いい香りだ」


 少しスッキリしてしまうので、寝る前の茶としてはそんなに良くはないかもしれない。

 しかし爽やかで落ち着く香りは、彼の表情を緩めていった。


「ん。僕が淹れたのより美味しいじゃないか」


「故郷の茶です」


「……そうだったのか」


 どこか申し訳無さそうにコップを置いた彼は、私から目を逸らす。

 ああ、確かに何も知らずに……私が憎んでいると思われる故郷の茶を出してしまった事は、かなり気まずいだろう。

 ただ私は自分でも不思議なことに、もう故郷を憎んでなどいないのだ。


「オリオンの事は、もう憎んでいません」


「……どうしてだい?」


「私が守った国ですから」


 それをヴィクトールに言うと、驚いたような顔をして私を見た。

 驚くのは当然だろう。私だってつい昼間までは、オリオンのことはあまり良く思っていなかった。

 しかし、怒りの矛先を改めて考えさせてくれたのは彼だ。


「ヴィクトール様が私の腕を掴んでくれたお陰で、そう考えることが出来ました」


 ヤヌスに向けようとした刃を止めて、私が見境のない復讐者になることを止めてくれた。

 今私が怒りを向けるべき者は、たった一人だけだと理解させてくれた。

 感謝を込めてそのことを話すと、彼は穏やかに笑った。


「良かったよ……僕も結構、悩んでたんだ」


「ありがとうございます。ヴィクトール様」


 ふわふわと暖かい気持ちで自然と頬が持ち上がり、彼の目を見つめる。

 嬉しそうに細めた彼の長いまつげの影が、ゆらゆらとランプの灯に揺れた。

 二人でお茶を少し飲んでいると、彼は何かに気付いたような顔をする。


「しっかし、君もアルベルと縁があるとは……ん!? ……いや、まぁ、そうだな……うん」


「ヴィクトール様? えぇと、どうなさいました?」


「いや!! なんでもないんだ……なんでも……」


 不審な素振りの彼に尋ねると、更に不審に手をバタバタと振る。

 一体どうしたのだろう? もしかしてお腹でも壊してしまったのかと、心配になってしまった。


「大丈夫ですか? 具合が悪いのでしたら、医者を」


「そうじゃないんだが……」


「喋っていただかないと、私としても不安です」


 歯切れの悪い彼の額に手を当てたが、特に熱が出ているわけではない。

 今度は治癒魔法を使って診断しようと考えた時、彼は観念したように……歯を食いしばって、気まずそうに……震える口を開いた。


「分かった……女性に聞いて良い事ではないことも分かってるんだが……君、三十年も投獄されていたと、ヤヌスと話していたよね?」


「はい」


「気づいてしまって恐縮なんだが……ジュリア、君はいくつなんだ……?」


 なんだ、そんな事だったのか。と、ホッとした。

 確か三十年前は十八歳くらいだったような気もするので、今は四十八歳かな。

 ちゃんと覚えていないから誤差もあるだろうしと、とりあえず答える。


「五十くらい、でしょうか?」


「やっぱりか。見た目からして三十年、完全に変わってないんだろ?」


「……申し訳ありません」


 ヴィクトールに恋をしたかもしれない。

 なんて思ったけれど、良く考えてみれば恐ろしいほどの年の差だ。

 こんな年増に迫られてもなとは思うし、我ながら浮かれていたな。

 それが急に恥ずかしくなって俯いていると、頭の上から興奮した声がした。


「今度から誰かに年齢を言うときは、十八歳って言うと良いよ。ギネビア王家の大賢者様も八十くらいだけど、十三歳っていつも偉そうに言ってるからねぇ」


「え?」


「不老の魔法だろ? 確かに馬鹿みたいに難しいし安定しなくて効果に個人差有りすぎな魔法だけど、歴史上何人か完成させた人いるし……君は本当に凄いなぁ!!」


 難しい試練の突破を祝うような感覚で、彼は思い切り私を褒めてきた。

 寿命が尽きるまで歳を取らないようにする不老の魔法が存在することぐらいは、私も知っているけれど。

 聖剣の加護はそれより遥かに上位で、ほぼ完全な不老不死を付与するもの……いやまぁ、話を合わせておけばいいか。

 そう考えて、なんとなく笑顔を作って頷いておいた。


「……ありがとうございます」


「剣も強いのに魔法も凄いとか、流石本物の勇者だな……親父は挫折してたけど……僕も研究してみるか……」


「……応援しています」


「ああ、詰まったら助言を頼むよ」


「は、はい」


 後で知ったがギネビアでは、不老の魔法研究が貴族の嗜みのようなものらしい。

 ヴィクトールは私がそれを完成させた一人だと勘違いしていた訳だが、下手に加護の事を話さずに済んでよかったなと、私はホッとしていた。





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