6話
ラムは資料で把握しただけの誰とも知らない女に変身し、男と食事をする。笑顔の裏に下心が見え隠れする視線。不快だが自分に向けられている訳じゃない。変身した女性に向けられたものだ。
外見が同じなら中身の違いにまるで気づかない。そんな想いに一体どれだけの価値があるのか。恋だ愛だと囁いてみても所詮はその程度。我ながら人を騙しておいてそれはないと思うが、冷え切った心が更に冷めていくのは止められない。
務めを果たし、適当なところで別れを済ませ帰路を辿ったラム。着いたのは、広い庭を柵が隠す一軒家。一目見れば分かる、所謂金持ちの家だ。
高級車の脇を通りドアを開ける。それなりに揃えた靴と、乱雑に履き捨てられた靴が目に付く。ラムは軽くため息を吐き、それらと離すように端で靴を揃えた。
芸能活動での功績を称える賞状とトロフィーの飾られた廊下を歩く。
ラムは容姿も優れていた上、演技力にも自信があった。才能に加え、変身能力が発覚して以降、演技力が必要となる依頼をされることも多かったから。
役者としての評価を素直に喜べたのは最初だけ。
芸能活動を続けてほしい母と、ラム自身でやりたいことを見つけられるまでもう少しゆっくりと見守っていたかった父がよく揉めるようになった。徐々に言い争いはエスカレートしていき、破鏡の憂き目を見るのは時間の問題だった。
仲の良かった両親が次第に口を利かなくなっていく様を見て。そしてそんな父と母の仲を取り持ち、それぞれの顔色を窺いながら過ごしていくうちに、芸能活動での功績に何の意味があるのかわからなくなっていった。ラムがどれだけ頑張ろうが、一番欲しいものには届かない。
親権を勝ち取った母とラムが二人で暮らすようになってからは、父と会えていない。連絡先も教えてもらえず、父の方から連絡してくれるのを期待したがそれもなかった。父はいつもラムのことを思ってくれていたからこそ、その事実がラムの心を抉る。裏切られた、物事を斜めに見るようになったラムはそう捉えてしまった。
動画かテレビでも見ているのだろう。居間の扉の奥から漏れる雑音を聞かないようにして二階へ上がった。
入ったのは、値が張りそうな家具が備えられているが、雑貨などは少なく生活感の薄い部屋。入るなりすぐに鍵をかける。
知名度があるため、ラムは外出時には防犯の観点からイヤホンをしない。しかし自室ではそんな心配も必要ない。イヤホンをつけて嫌いな音を遮断し、ベットに横たわった。
明るくない家庭環境。
誰かもわからない権力者の依頼で、変身能力を用いて誰かを演じ、人を騙す日々。
最近は役者としての仕事を減らしたが、そちらでも役を演じなければならない。
次第に自分以外の人間を演じている時間が増え、自分として何かをすることが減っていった。自分として振舞っていても、自分を演じているような感覚。それが気持ち悪かった。
それからだった。ラムが視線を苦手になったのは。
他者の視線も、自分を見ているのか、自分を通して別の誰かを見ているのかわからず気味が悪く思えてしまう。自分の卑しさ、浅ましさを探られているような不快感まで覚えるようになった。依頼で人を欺き続けている罪悪感がそれを増幅させていた。
ラムは無気力に情報端末を操作する。女性を中心にSNSを賑わせる男性アイドルの画像を見て端末を手放した。ラムをしつこく食事に誘ってくる、関係者の間では評判の悪い男だった。
何も見たくない。
そうしていつも目を閉じると真っ先に過るのは、幸せだった日々。誰かが笑えば、釣られて誰かが笑う。家族三人の笑顔が連鎖する暖かな時間。いつか父がラムのもとへ帰ってきて、辛いことも全部やめさせてくれて。母も穏やかなあの頃に戻してくれる。そうやって全て救ってくれるのだと夢想する。
その夢が霞んでいくと、今度は最近ちょくちょく遭遇する寝ぐせ頭が浮かんできた。
気持ちの沈んだラムの前に現れてはめちゃくちゃやってどこかへ行くあいつ。
ラムに僅かな関心もないが、不快には思わない不思議な視線を向けてくるあいつ。
(無関心でいられるのって、楽なんだ……)
初めて気づいた。初めて出会った系統の人間だったから。あんな人間がうじゃうじゃいてたまるか、とも思う。
(あんなやつに……)
なんだかむかついたので、そのイメージを振り払う。
そして気がづけば眠っていた。涙を流すことに疲れてしまった瞳が枕を濡らすことはない。枯れた心が萎びていく。それが姿勢にも表れる。ラムは自身の体を抱いて、布団の中で小さく丸くなった。
◇
朝の校舎。
乾燥した冷たい空気が喉を刺す、初冬の廊下。始業時間も近づいてきたため、多くの学生が歩いている。
人の行き交う中、廊下を歩くラムの周囲だけ人が少なかった。ラムから不自然に距離をとり、遠慮なく視線をぶつける学生たち。芸能人であるラムは彼らにとって最高の話のタネだった。仕事故、休むことが多いため学校にいるのが物珍しいのだろう。
ラムは誰とも視線を合わせないように歩く。不快感を顔に出さぬよう、表情を殺して。もう慣れたものだが、良い気はしない。足取りを速めるが、教室についたとて視線から逃げ出せるわけじゃない。むしろ猛獣のいる檻に閉じ込められたような不安に駆られるだけだ。
しかし鬱屈としていたラムの耳に、声が届く。
「なぜ職員室にくさやを投げ込んだ!」
「女騎士にはなんもしてねーっすけど!」
「女騎士ではない! 私は風紀委員だ!」
ラムの前方から走ってくる二つの人影。見ずとも、それが誰なのかわかる。
(あいつはいつもいつも……)
ラムが悩んでいることなど知らず、気持ちも日常も全部めちゃくちゃにしてくる。
「あ、お前いいとこいんじゃん! 女騎士止めてといてくれー!」
デイタがラムを見つけてラッキーとばかりにニコニコ手を振る。味方だと思っているらしい。ラムならデイタに手を貸してくれると期待し、追っ手を阻んでくれるものだと。
ラムはデイタの暢気な顔を見て、怒りに肩を震わせていた。どうやらデイタの見込みは外れのようだ。
ラムの横をデイタが颯爽と通り抜ける。かと思われたが、ラムがデイタの腕を掴む。
「お前って呼ぶのやめてって言ったはずだけど!」
一泡吹かせてやろう、とデイタを引き留めようとした。
「どうでもよくね!」
しかしデイタの怪力に、ラムの細腕で敵うはずもなく。
「え、ちょっと! うっ!」
逆に引っ張り返されて、肩に担がれてしまった。咄嗟にスカートを押さえる。
「なにするの!」
「先に邪魔したのそっちじゃん」
「降ろして!」
「じゃあやだ」
ラムもデイタの顔を引っ張ったり体を叩いて抵抗を試みるが、デイタは意にも介さない。
デイタとしてはラムを連れていく必要性など微塵も感じていないが、嫌がってるから連れて行ってやろうと決めた。悪戯好きの少年に隙を見せてはいけない。
「待てっ!」
追いかけるヒヅキ。
デイタは階段の踊り場に飛び込み、内側の手すりを掴む。そこを軸に、強引に軌道を変えて一気に下りる。
「ひゃっ……!」
ラムが絶叫アトラクションのような視界に悲鳴を上げる。
デイタは着地すると、ヒヅキの視界に入っていない内に曲がる。
負けじと階段を飛び降りたヒヅキ。デイタは視界から消えてしまったが、ラムの声で逃げた方向を割り出す。
その後も窓や階段を駆使して飛び回るデイタ。
「貴様はサルか!」
「ついて来ないでくださいよゴリラパイセン!」
ヒヅキも尋常ならざる動きで後を追う。風紀委員の範疇を外れた問題行動にもかかわらずヒヅキがデイタを追いかけているのは、ヒヅキにしか追いかけられないからだ。
「なんか今日足速くね!?」
デイタはいつもよりしぶといヒヅキに違和感を抱いた。とっくに撒けていてもいい頃だ。
そしてようやく気づく。
ラムが悲鳴を上げ続けていることに。ヒヅキがそれを辿っていることに。
「ちょっと黙れ!」
ラムの返事は、突き立てた中指。整えられた爪が艶めくほっそりとした指が、強烈かつ下品なメッセージを放つ。
イラっときたデイタがラムを抱え直す。
「っ!?」
その抱え方が所謂お姫様抱っこというやつだと気づいたラム。声にならない声を上げた。
「恥ず……っ!?」
デイタは何か言いかけたラムの顔を自分の胸元に押し付けて口を塞いだ。
ラムがあまりの出来事に放心する。心が戻ってくると、鼻腔をくすぐるものに気づく。
(ん。これ、汗……?)
一般的に良い匂いとされる香りではないが、嫌じゃない。緊張するような落ち着くようなそれを少し堪能した。
ふと、我に返る。
今の、変態っぽかったなと。
「~~!」
ラムのくぐもった声はヒヅキに届かない。足をばたつかせ、せめてもの抵抗としてデイタをポカポカと叩くが放してはくれない。口をふさがれた息苦しさで、鼻から酸素を取り込む。酸素とともに入ってくる匂いが、またしてもラムの平静をかき乱す。
手がかりを失ったヒヅキがデイタを見失うまでに時間はかからなかった。
誰もいない屋上に上がったデイタ。
「今日は女騎士も先生もキレてきそうだし……サボるか!」
思いついたように言って、屋上を飛び移り校舎から離れていく。
少しして、大型ショッピングモールの屋上で止まった。
デイタが、すっかり大人しくなったラムを見下ろす。もう頭を押さえていないのにもかかわらず離れようとしない。
「おい」
「……」
声をかけるが、返事もない。
「……おろすよー」
仕方ないので、ベンチに座らせた。
「あ……」
ラムはぼーっとした顔で、おもちゃを取り上げられた子どものような声を零した。
「どうした? バカみたいな顔して」
その声でラムは自分がどんな顔をしていたのか気づいた。徐々に瞳が色付いていく。ガタッと立ち上がると、目頭と目尻を指先で擦り、袖で口元を拭う。微かに湿った袖が、如何にはしたない顔をしていたのか再認識させる。
ということは……
ラムの視線の先。さっきまで押し付けられていたデイタの胸元。そこもしっかり湿っていた。
サッと後ろを向く。今は顔を見られたくないから。
「最悪最悪最悪……!」
小声で溢れる感情を吐き出す。
最悪。初めてデイタとラムが会ったとき、デイタが軽率に使っていた言葉。当時そのことに苛立ちを募らせていた筈だ。その言葉をラムも軽率に使い始めたことに、気づいてない。その心境の変化が何故起こっているのかも。
「君にだけは、言われたくない……」
遅れて言い返す。しかし、いつもよりぼそぼそとか細い声だった。
「あっそ」
デイタが頭の後ろで手を組んで仰向けに寝そべり、
「ってか暇だしどっか行こうぜー」
空を見上げながら言う。
「……学校、戻りたいんだけど」
ラムが反抗する。本音を偽る言葉で。どこかに連れていかれるのも困るが、学校に居たくもない。否定的な言葉が出たのは、無意識に気持ちを隠そうとしたから。
「いーじゃん、どうせキレられんだしさ」
「君だけね」
「どこ行きたい?」
「聞いてる……?」
ラムはそう言いながらも、顎に手を当てどこへ行こうかと考える。
「映画……はダメだし」
デイタを見て考え直す。大人しく座っている想像がつかなかった。勝手にはしゃぐのは結構だが、他の客に迷惑をかけるのは論外。
「カフェとか、遊園地とか、あとは動物園とか水族館とか?」
「めっちゃあんじゃん」
ラムは言った後で目を丸くする。己の失態に気づいて。行きたい場所を聞かれただけなのに、考えていたのはまるでデートのようで。
「あ、ちが……」
「じゃあそれ全部行こう!」
訂正しようとしたときにはもう手遅れだった。
デイタが飛び起きて言い放つ。
「全部って……ってか行くとは言ってない」
「またまた。ほんとは行きたいくせに」
「うっさい!」
「掴まっといて」
デイタが口答えするラムを引き寄せる。
「っ!」
ラムはまたお姫様抱っこされてしまうと悟り焦る。あの羞恥心と充足感は危険だ。荒んだラムの心は無意識に身を委ねようとしてしまう。
しかし現実は、
「……」
荷物のように肩に担がれただけだった。
ラムが何とも言えない表情になる。そもそも最初はこうだったのだ。勝手に期待、もとい焦燥に駆られていただけ。
「一番近いのどこ?」
「……近いのはカフェ。たくさんあるし」
何を言っても聞く耳を持たないデイタに、ラムが折れた。
「かふぇって飯屋じゃなかったっけ? 朝飯食ったばっかなんだけど。お前は?」
「私もだけど」
「じゃあ別のとこで」
「なら動物園、だと思う」
「どっち?」
「あっち」
ラムが指で示す。街には未だプテラによる被害の痕跡が多く残されている。それでも以前の活気を取り戻しつつあった。
「おっけー。動物園って魔物はいねーの?」
デイタは屋上から跳びながら聞く。
「は? なにそれ」
魔物。ラムには聞き覚えのない言葉だ。忙しさもあってそういった単語が登場する創作物に触れる機会もなかった。
「そんなことも知らねーの?」
馬鹿にしたようにいうデイタ。
ラムがその憎たらしい頬を引っ張った。
デイタは気の向くまま。ラムは流されるように。
ハードスケジュールな一日が始まった。
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