第6話
朝になるとユキは布団の上から小太郎に足蹴にされ、起こされることになる。
「いつまで寝てるんだ? 先は長い、さっさと起きろ」
小太郎の声に驚き飛び起きると、すでに和歌は着替え終わり荷物をまとめているところだった。
ユキもあわてて身支度を整え、荷物をまとめ始める。身支度、荷物と言っても、和歌と違いユキの荷物など無いに等しい。着替えもない着た切り雀だし、一枚の手ぬぐいと、家を出る時になけなしの金から持たせてくれたわずかばかりの小銭に、買ってもらったばかりの柘植の櫛だけ。
それらを手拭で包むと、まだ膨らんでもいない胸元へと仕舞い込んだ。
旅路は長い。体力を温存するために無言で黙々と歩き続ける。しかし、和歌の足取りが重いように感じる。何となくだが歩き方もおぼつかない様に見える。
そんな和歌にいち早く気が付いた小太郎が、
「つれぇか? 先は長い、無理するな。きつかったら早く言え、休み休み行きゃあいいんだ」
「いえ、大丈夫です。先を急ぎましょう」
そう言って和歌は先陣を切って歩き続けた。
そんな和歌を心配そうに見つめ、隣に並び歩く小太郎の姿があった。
途中、茶屋で菓子を摘まんだりして小腹を満たし、三人は歩き続けた。
そんな旅も、あの町を出てから三晩の行程の予定だった。だが、気が付けば五日目の晩になっていた。
二人の若い娘の身体を考慮してゆったりな旅だとユキは思っていたが、小太郎の思惑はそうではなかった。
一度抱いてしまい覚えてしまった若い娘の肌を手放すことができなくなってしまったのだ。
ユキと同じように貧しい家の出である小太郎が相手にする女と言えば、ユキのように一生懸命仕事をした娘ばかりだ。手は荒れ、肌は日焼けをし、髪も肌も手入れなどというものを一切したことのないような女たちばかりだった。
和歌のように使用人たちに甲斐甲斐しく手入れをされてきたような、日焼けもせず手も荒れてはいない。絹のように白く、吸い付くような滑らかな肌の女を抱いたことがなかったのだ。
あれから毎晩、二人は肌を合わせ続けていた。
時に狂おしいほどに激しく。そして、愛おしいほどに優しく。
そこに愛などないとお互い理解しているはずなのに、それなのに二人はただ身体を重ねるだけでなく、そこには確かに『情』を感じることができる気がしていた。
手探りで始めた情交も、毎晩同じ男を自らの中に受け入れ、その熱を感じるうちに、いつしか身体そのものが男の形に変わって行くような気がしてくる。
初夜はただ痛く苦しくても、身体が、心が男を受け入れるようになれば、それは辛いものから快楽へと変化していくのは簡単だった。
三晩目には、和歌は小太郎の熱を素直に受け入れ、ただ快楽の海に沈んでいったのだった。
男は、生涯手に入れることなど出来ないと思っていた高嶺の花をその手に抱き、征服感を味わっていたのだろうか。
女は、初めて知った男と毎夜肌を重ねるうちに、絆され、溺れ、決して口にしてはいけないものを本能が感じ取っていたのかもしれない。
明日には目的地である一河に付くと知った五晩目の夜。
小太郎は和歌を胸に抱きしめたまま、その若く美しい肉体を蝕もうとはしなかった。ただ、その温もりを確かめるように、背をさすり、髪を指ですき、時折頬を優しく撫で、和歌の顔を見つめ続けていた。
「最後に抱いてはくれないの?」
自分の腕の中で、見上げるように問いかける女の目に情が宿っているのを小太郎は感じ取っていた。元より、自分自身もすでに後戻りができぬほどに、腕の中の女に情をかけているのはわかっている。
だが、この娘を買い付けるための金を店から貰い受けていた。
このまま引き渡さなければ、その金を自分で返さなければならない。そんなことは小太郎くらいの力の流れ者には、土台無理な話しだ。
「おめえの望み通り、話が上手くいきゃあ明日にでも客を取らされる。せめて今日くらいは身体を休めた方が良い。
おめえほどの器量と、家の名がありゃあすぐに上客が付く。下手すりゃ一晩に何人も相手にせにゃならん。
今は大人しく寝ておけ。朝までこうしていてやるから」
小太郎は和歌の頬を撫でながら、優しく諭すように話した。
和歌は身を起こし小太郎の肩に両手を置くと、上から見下ろすように告げた。
「最後だから。せめて、最後にもう一度抱いて欲しいの。
あなたを忘れないように。
これから先、何十人、何百人客を取らされても、あなたを忘れないように。
せめて今日だけは、商品じゃなく一人の女として抱かれてみたい。
一生に一度で良いの。惚れた男に抱かれたって言う、それがあればこれから生きていける。もう二度と会えなくても構わない。
あなたが、す……」
和歌の最後の言葉を飲み込むように、がばりと起き上がった小太郎がその唇をふさいだ。今までにないほどに、直情的に激しく貪るような接吻。
言いながら和歌の頬を流れ落ちる涙の雫が、小太郎の頬にあたる。
その生暖かい雫が、彼の脳内を麻痺させていった。
気が付けば最後の言葉を封じるように、愛しい女をその腕に抱いた。
果てることを知らないかのように。
子が出来ることだけは避け続けていたのに、この夜ばかりは我慢がならなかった。
何度も何度も……。気が付けば朝を迎えていた。
それでも、愛おしくその腕から離せないほどの想いを断ち切れず、小太郎は和歌を抱きしめていた。
朝も白み始め、安宿の障子にも明るさが映し出されたころ。
和歌は小太郎の腕の中でぽつりと呟く。
「最後の、本当に最後の我儘をきいてくれる?」
「なんだ? そろそろあいつも起きる。抱くのはもう無理だぞ」
「ふふ。もう、十分よ。
あのね、私の名を呼んでくれる? 私の目を見て、名を呼んで欲しいの。
お願い……」
小太郎は敢えて二人の名を呼ぶことをしてこなかった。「おい」とか「おまえ」とか、下手に名を呼べば情が移ってしまうことを知っていたからだ。
だが、最後にその願いを叶えてやりたいと、そんな風に思ってしまった。
「和歌」
「もっと呼んで」
「和歌」
「もっと」
「和歌」
「もっと、もっと。ずっと呼び続けて」
和歌は小太郎の腕の中から見上げるように瞳を見つめ、その頬を撫でるように手をあてた。その手がゆっくりと彼の唇に動いていく。
自分の名を呼び動くその唇に触れ、耳で彼の声を覚える。そして、動く唇を見ながら、目でも覚えていくのだ。
これから源氏名をもらい、この名を捨てることになるのだろう。ならばその前に、自分くらいはこの名を覚えていようと思う。忘れないように覚え続けてやりたい。
今は捨てられた身なれど、産まれ落ちた時には望まれ、幸多い人生をと願って名付けられたと信じたい、その名を。
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