第232話 淑女の筋肉論

「お前を見に来た。でも私の事を知っているとは思わなかったんだ」


今度は拗ねたようにそっぽを向く。

つまり、見に来たけど、自分の存在を知っていて、思わず嫌味で対応してしまった、のだろうか?


「殿下は、案外可愛らしい御方ですのね」


子供っぽい、という意味で。

年齢は長兄と同年代くらいだろうか。

でも、兄と比べたら見た目も筋肉も、立ち居振る舞いも会話も、筋肉も知性も、全てが及ばない。

特に筋肉はすごく足りていない。


野心家なら、野心家らしく、獅子の様に逞しくあるべきでしょう!


と何故かマリアローゼは憤慨した。

大きなお世話である。


「な……んな…っ?…か、可愛いだと…?」


自分より小さく華奢で、幼い娘に可愛いと言われて、キルクルスは一気に赤面した。


「わたくしにも兄が居りますが、もっと……大人ですし、狡猾ですし…それに人の邪魔をする…意地悪で、策略家で、困った兄ですの。勿論愛しておりますけれど…その兄に比べたら、大変可愛らしゅうございます」


初対面でそんな風に評されると思っていなかったキルクルスは拳を握ってぷるぷると震えた。


「不敬だと思わないのか」

「あら?不敬というのは侮蔑の言葉を発した場合でございましょう?わたくしは可愛らしい、とお褒めしたのですが」


キルクルスは、むっ、と口を噤んでから、今度は搾り出すように答えた。


「可愛い、は男にとって侮蔑の言葉だろう」

「まあ、それは存じ上げませんでしたわ。では、わたくし、エネア殿下の事を馬鹿にしてしまったのかしら」


先ほどまで一緒に居たエネアはそれはそれは可愛かった。

連れて帰って弟にしたいくらいに可愛かった。

マリアローゼは思い出してにっこりと笑う。


「エネアは赤ん坊だろう。私とは違う」

「個人の主観で罪か罪でないかを計っていては、それこそ決着がつきませんことよ。

わたくしはお褒めしたかったのですが、もし違う褒め言葉を欲していらっしゃるのなら…

まずは、筋肉をおつけになることをお薦め致しますわ」


びしりと人差し指を突きつけながら、マリアローゼは言い放った。


「は?……き、筋肉???」


「そうですわ!」


当然と言えば当然の、キルクルスのぽかんとした顔に、マリアローゼはふんす!と言い返した。


「身体を鍛えれば、心も鍛えられますし、何より健康になれますわ。

健全な魂は健全な肉体に宿りますのよ。それに、筋肉は殿下を決して裏切りませんわ」


「んっ……?……うむ、まあ、それはそうかもしれんが…」


裏切り、という言葉に反応したのだろうか、何故かキルクルスは考え込むような雰囲気だ。


しかし。

何故、わたくしは、ここまで熱く筋肉論を展開してしまったのか。


マリアローゼは、はたと気がついて、会話を締めに入った。

こほん、とひとつ咳払いをして、ゆっくりと続ける。


「宜しければ、我が兄シルヴァインをご覧頂きますと、わたくしの申し上げた意味が分かるかと存じますわ。それに、逞しい男性は、わたくし、とても素敵だと思いますのよ」


にっこりと微笑んで、キルクルスを見詰めると、キルクルスは気圧されたように頷いた。


「そ、そうか。うむ、分かった。検討してみよう」

「賢明なご判断でいらっしゃいますわ」

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