第53話 ---図書館の日々
※時系列はルーナ&ノクスが来てから、神聖国へ行く話が出るまでの間です。
キリが悪かったので、普段より長めです。
図書館の司書、ヴァローナの過去話も有ります。
恋愛ではないけれど、ある意味初恋なのかもしれません。
表向きは平穏な日々が流れていた。
ノクスとルーナはすっかり元気になり、言葉を覚えるとマリアローゼの借りた本の中から、マリアローゼが読み終わった本を借りていき、二人が読み終えると図書館に返すようになる。
マナーの授業が一旦修了となったのは、座学で学ぶべき事を一足飛びに覚えてしまったからだ。
その分の時間は、歌を習う予定だったが、今は中途半端な時期で家庭教師が見つからず、空いた時間は図書館での勉強の時間としてもらい、マリアローゼはすっかり通いつめていた。
一番の目当ては司書のヴァローナ…ではなく、ヴァローナの師匠であり、責任者のフィスィアノスだ。
年齢は90を超えているという、萎びた老人である。
頭に毛は無く、その代わりに山羊のように白くて長い鬚が生えていて、眉毛も同じように長いので、目が開いているかどうかも、近くにいないと分からないほどだ。
「アノスおじいさま。今日もお話を聞かせてくださいませ」
「ふぉっふぉ…今日も元気が宜しいのう」
好々爺な笑い声を立てて、ゆったりとした動作で顎鬚を撫でる。
二人は図書室の外廊下にある、素朴な机と椅子で対面に座っていた。
この図書室にある本も殆ど、無い本も沢山呼んでいる古老は、とても多くの経験と知識を有している。
今しか聞けない知識の宝庫なのだ。
彼が参考にした本や、出典なども書き留め、意見を聞く。
効率的に知識を得るには、先達の教えを請うのが近道だ。
遠い島国から、ずっと旅をして知識を得て、彼が見つけた安住の地がこの図書館なのである。
時々様子を見に、お茶や焼き菓子を持って、ヴァローナが立ち寄るのが最近の日課だ。
「随分熱心に書かれているのですね」
「ええ、本を読む指標にしようと思ってますの」
「見せて頂いても?」
「ええ、かまいませんわ」
興味津々といったヴァローナに覚書の紙を差し出すと、まじまじと注視してから、
ふむふむと頷く。
「私にもお奨めの本がございますよ」
にっこりと微笑まれて、マリアローゼは首を傾げた。
「教えて頂けるの?」
「ええ、是非」
了承したのを受けて、インクを含んだ羽ペンを差し出すと、
机に紙を置き、さらさらと走り書きを付け足していく。
字が綺麗すぎるんですけど。
自分が書いた子供っぽい乱れた字と見比べて、マリアローゼは頭がくらりとした。
見た目が綺麗なだけじゃなく、字まで綺麗なんて…
「美しい字を書かれますのね」
「お褒めに与り光栄でございます」
チラリとこちらを流し見て、口だけニコリと微笑む。
絶対にこれで死ぬ乙女がいると思った。
とても途轍もなくもてそうな人が、公爵家で人目の少ない仕事をしていて良いのかしら?
世界の損失にはならないかしら?
治癒師に続いて二人目のイケメン従業員である。
いや、確かに表で働く従僕や騎士にも、美形は掃いて捨てるほど存在しているのだが…
それは謂わば表舞台で活躍する人々なので、顔面込みで採用されている事もあるだろう。
だが、司書というのは人目に触れないその道のプロ、専門職なのである。
二人とも、大金叩いても囲いたい商人や貴族の御婦人が大挙して押し寄せそうなほどの美貌だ。
この世界でも手に指輪を嵌めて、婚姻を示すのは変わらない。
ヴァローナの男性特有の骨ばってはいるが、細長い綺麗な指を観察した。
指輪はどの指にも嵌っていない。
「結婚はなさらないの?」
「……縁がありませんねえ……」
少し考えてから、のんびりと言う。
何となく聞いてしまって、マリアローゼは赤面した。
「ごめんなさい。不躾なことを…」
あわあわと慌てる幼女に、ヴァローナは噴出しそうになるのを堪える。
「い、いえ…ふふっ。お嬢様は面白い方ですね……ふっ」
まあ確かに。
おばちゃんに聞かれるよりはマシだよね。
内容はすごくおばちゃんだけど。
寧ろ私の中のおばちゃんが顔を出してしまったんだけど。
むむむ、と赤くなった頬を両手で押さえて、マリアローゼは激しく後悔した。
そこで救いの神の様に、正午をしらせる鐘が鳴り響く。
まだ愉しそうに、微笑んでいるヴァローナから覚書を受け取ると、マリアローゼは椅子を降りて、ちょこりん、とスカートを摘んで膝を折って挨拶をする。
「ヴァローナ、ありがとうございました。アノス先生も…あら?」
振り返ると、いつの間にか老人は眠ってしまっていた。
「お疲れになったのね。毛布をかけてさしあげてくださる?」
「ええ、承りました。お嬢様を扉までお送りして、毛布も取ってまいりましょう」
差し出された綺麗な手に、マリアローゼは小さな手をちょこんと乗せる。
そうして、二人は図書館の大扉まで歩いて行った。
廊下の端で控えていたエイラが、本を積んだワゴンを押して、その少し後ろを歩いていく。
出入り口に着くと、恭しく会釈するヴァローナを振り返り、マリアローゼは小さく手を振った。
ヴァローナにとって、公爵家の図書館は職場であり故郷であり、終の棲家でもあった。
幼い頃から本が好きで、注げる時間は全て注いできたのである。
出来るなら没頭していたかったが、見目が良い事が禍して、両親にはあちこち連れ歩かれるのが苦痛だった。
それを理由に血の繋がった兄弟姉妹から妬まれるのも鬱陶しかった。
海を隔てた大陸の学園に通い、その蔵書に感銘を受け、さらに素晴らしい図書館があると聞いて、
王国へ足をのばしてここに辿りついたのだ。
その時の感動は、未だ薄れる事を知らない。
フィロソフィ公爵家はアウァリティア王国の知恵といわれる名家で、他国でも貴族ならば知らない者はいない。
学園にも幾つもの本を寄贈していて、歴代の公爵家の人々のサインが本に残っている。
長期期間の休暇を利用して毎日フィロソフィ家の図書館に通い詰め、
フィスィアノス老と出会った。
図書館の利用記録を見たのか、時折話しかけてきて、本の内容に関することや
その内容に関連があったり、一歩踏み込んだ内容について質疑応答をする。
本を読むのは勿論の事、自分より遥かに知識の深い老人に、とても魅せられたのだ。
長期休暇を帰郷しない事で両親には文句を言われたが、帰る気は全く無かったし、
ヴァローナを疎んでいる兄弟姉妹達からは逆に応援される結果となった。
最終学年に至った時に、進路をどうしようかと悩んだ。
帰国する気も結婚する気もなく、王国を離れる気も失せていて
法律家から官吏に至るまで文官としての仕事をこなせる様に試験は全て合格した。
そこに、フィスィアノスから司書の仕事をしないかと誘われたのだ。
ヴァローナはその話に飛びついた。
氷の公爵と呼ばれるフィロソフィ公爵との面談を経て、ヴァローナは司書として働き始めた。
実家との繋がりは籍を抹消する事で解消し、司書となって勤めていたものの、
冒険者や商人の婦人から言い寄られる事もあり、うんざりする日々もあったが、
表に出ない仕事もあるので、暫く姿を隠していれば何れは諦めて去っていく。
公爵家の使用人に関しても、育ちや行いの悪い者は元々少なく、
問題があると知ればすぐに暇を出されるので実害は無かった。
何年も好きな書物の管理と修復と蒐集に勤めていたある日、
可愛らしい淑女が図書館に訪れるようになった。
公爵家に生まれた唯一の未婚の淑女は、小さい姿をしているが、好奇心旺盛に本を読み始めた。
あらゆる知識を得ようとするかのように貪欲に。
美しい外見をして、甘やかされて育っている筈なのに、彼女は礼儀正しく知的な淑女だった。
淑女教育の合間に、時間を見ては本を借りに来たり、侍女に頼んで借りたりと
読むペースは中々落ちない。
だが、その内本を読むよりも、ヴァローナの師匠であるアノス老と話す時間が増えていった。
知識を得る為に本を読むのも大事だが、先人の教えを請うのが先だと判断したのだろう。
5歳という幼さで、そんな早く気付きを得て、邁進する姿は自分以上だと始めて思い、その貪欲さに舌を巻いた。
見た目を褒められる事はあっても、字を褒められる事は無かった。
純粋な好奇心でした質問に、自分を恥じている姿も奥ゆかしく可愛らしい。
大人の知識と子供の好奇心、淑女としての嗜みと幼い無垢さ。
そのどれもが彼女の美徳として、一人の人間を形作っているような…
きっともっと幼い頃に出会っていたら、一瞬で虜になっていただろう。
今はただ、アノス老の残された時間が彼女との時間で埋まる幸せを見守っていたい。
長年かけて集めた知識と知恵を携え、資格ある者に譲り渡せる穏やかな時間。
何と幸福な時間なのだろう。
長い歴史からみたら一瞬の奇跡のような時間、
その時間に立ち合える幸福をヴァローナは改めて噛み締めた。
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