2023年5月28日

自由な発想というものは、何ものにも縛られないものだと思う。


つまり、そこには自分さえいない。


自分の存在が曖昧になる。


誰が発想しているのか分からない。


考えてみれば、自分というものは、常に周囲の環境に影響を受けているのだから。


確立された自分などというものは、初めからいないとも捉えられる。


しかし、実際問題として、主観は常に存在する。


自分はそこにいる。


そして、自分しかいない。


この孤独を感じることこそが、何かを生み出す起点となる。


電信柱に凭れかかった彼女に、そう言った。


彼女は、血を流した口を開いて、声を出す。


何と言ったのか分からない。


分からない。


死?


生きている間は、ずっと、死について考えているのに。


いざ、死を目の当たりにすると、生のことが分かる。


表裏だから?


表裏というのは、どういう意味だろう?


表を見ている間は、裏は見えない、という意味での、対のことか?


それとも、表を見ることは、裏を見ることと同義、という意味での、対のことか?


彼女は僕をじっと見つめている。


目が開いている。


涙が零れた。


それは、僕の目から。


泣いたって仕方がない。


けれど、それは、笑っても同じこと。


笑っても仕方がない。


それでも、人々は笑う。


僕は笑わない。


彼女は笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る