2023年5月25日

書くのにも疲れてきた。


話すのにも疲れてくる。


言葉を書く、言葉を話す、ということを意識的にやってしまうと。


仕舞いには、何も書けなくなり、何も話せなくなる。


そうした方に意識を向けてはいけない。


しかし、外に出れば、あれもこれも意識的にやりなさい、と言われる。


そして、その意識的にやった結果に、責任を持ちなさい、と言われる。


意識とは何か?


責任とは何か?


そんなものが存在するのだろうか?


それから、それらは、存在という在り方をとるものなのか?


目の前にある、コップや、机や、木々。


そうしたものを大切にしたい、と思うこの頃。


ただの慈善。


ただ気持ち良くなるだけ。



けれど、ものに触れれば、それがそこに存在することが分かる。


何らかの、触感や、温かさが訪れる。


これこそ、何よりも大切なことではないだろうか。


映画を観るというのは、普通、その映像に含まれる中身を享受することを意味するが。


映像を観ると、観た側に何らかの反応が起こる。


そのことが、何よりも大切なのではないか。


忘れている。


僕も。


触れようと思えば、人にはすぐに触れられるのに。


誰も触れようとしない。


存在を確かめようとしない。


すべて、映像かもしれないのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る