第8話 望まない願いと望まない言葉

黒よりも黒い黒の世界で異物の者は、伊吹に言った

 「欲しいものは、何だ?空を飛べる力か?

ギターを、人智を越える程に、上手く弾ける力か?

いや、それとも、、」

 と、異物の者は自分の仮面を、手で撫で回した。

 

 そして、あえてゆっくりと、愛おしむ様に、異物の者は言葉を述べた。

 「煌が、欲しいか?」

 

 伊吹は

 「いや、人間を欲しいとか駄目だろ。」

 と、即答した。

 

 しかし、異物の者は答えた。

 「いや、駄目じゃない。

何でも、と伝えただろう。

人間も、手に入れられるぞ。」

 

 「人間は物じゃないんだ。

誰が欲しがるんだよ、人間な、」

 伊吹の言葉を割いて、嬉しそうに異物の者は、

 「いるよ、いるいる!沢山いるさ!

伊吹、お前が知らないだけだ。

 いや、『知らないフリをしているだけ』だ。

好きな人を欲しがる奴、憧れのアイドルだの何だのを欲しがる奴、

沢山いたぞ!皆、自分の欲望のために、人間を欲しがっていたぞ!」

そう言って、笑い声と思えない様な声で、笑った。

 

 その言葉、その異物の姿が、

伊吹の心にスーっと、自然と入り込んできた。

そして、伊吹は改めて思った。

 

 ああ、忘れてた、このユートピアに来る前の、昔の世界を。

たしかに、昔の世界は、自分の欲望の為に、人間すらを欲しがる、そんな様な連中が居ても、

おかしくない世界だったな。

 

 改めて考えてみると、

このユートピアに普通に在る、本当の安心、みたいなものは、

昔の世界では、どこにも無いだろう。

隅から隅まで、例え、くまなく探したとしても、絶対に見つからないだろうな、

と。

 

 たしかに、こいつの言う通りでもあるな、と。

 

 「で、お前は何が欲しい?」

 改めて、異物の者が問う。

 

 「俺は、、」

 伊吹は、考えを馳せながら言った。

 

 「俺は、特に無いかな。」

 伊吹は更に軽く言い切った。

 「俺は特に無い。今があれば、それで十分だ。」

 

 「ふーん。そうか。」

 特に動揺する素振りも無く、異物の者が答え、

 

 そして、こうも続けた。

 「なら一つだけ言っておこう。

 伊吹、お前は、

 『元の世界に帰る』

 事も、願う事が出来るぞ。

 

 それだけは、覚えておけよ。

 また、聞きに来てやるぞ、伊吹よ!」

 

 異物の者が言い終えると、スポットライトが消え、

瞬きの間に、伊吹はユートピアに戻っていた。

 

 伊吹は、川辺で釣りをしている所だった。

隣には、いつもの様に、煌が居る。

 いつもの、日常だった。

 ユートピアの、日常。

 

 「元の世界に帰る、か。」

 伊吹は、小さく呟き、独り言にした。

伊吹は、元の世界に戻る事を望んでは居なかった。

このユートピアに、

そして、煌との時間に、幸せを感じていた為だ。

そして、伊吹は、煌を好きになっていた為だ。

 

 

 魚がちゃぽんと騒ぐ。

 

 空は小鳥の囀りで彩られる。

 

 「あのさ、」

 煌が言った言葉に、

 

 伊吹は、何も言えなかった。

 

 「二人の旅、今日で終わりにしよう。」

 

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