第6話 笹の家
「ほら、見てください蒼先輩。可愛いでしょ? 私の家で飼ってる猫。名前、たろ助って言うんです」
「……うん。可愛い」
「えへへ。ですよね? もう、今もすっごく可愛いんですけど、子猫の時はもっと可愛かったんです。小さくて、手のひらサイズで」
「……うん」
「どうせなら先輩にも生で見せてあげたかったなぁ、たろ助の子猫時代。一緒にタイムスリップしたいですね。タイムマシン、今度探しに行きましょうか。探検だーって言って」
にへら、と屈託のない笑みを浮かべながら隣で話してくれる笹。
俺はそんな彼女の話を適当に相槌を打って返したり、薄い愛想笑いを浮かべたりしながら聞いていた。
横に並び、カップルみたいに。
向かってる場所は、今度は俺の家じゃなく、笹の家だった。
最初、家に来て欲しいと言われた時は焦った。
だって、笹はあの竹崎竜輝の妹だ。
下手をしなくても、奴に会うハメになるんじゃないかと真っ先に問うた。
すると、彼女はこう言うのだ。
『大丈夫ですよ。私、もうあの男とは縁を切ってるので。別々のところで住んでます』
実の兄に向ける言葉と表情ではない。
険しく、冷たく、どこか憎しみのこもった、そんな言い方だった。
一筋縄ではいかない何かがあるのは明白だ。
「ここです、蒼先輩。私のお家」
「……あ、ああ」
ぼんやりしながら、鬱屈な思いで笹の横を歩いてると、家へ到着したことを知らされる。
眼前に建つ彼女の家は、大きすぎず、小さすぎもしない、いたって平凡な一軒家だった。
今は父親と二人で暮らしてると聞いたから、それを考えると少し広いのではないかと思うものの、感想としてはそれくらいだ。
「この時間帯だと、たぶんお父さんもまだ仕事だと思います。二人きりの状態です」
「そ、そっか」
別に意識することなんて何も無い。
何も無いのに、俺の心臓はなぜかバクバクと鼓動を早めていた。
開けられた玄関から俺たちは一緒に中へ入り、靴を脱ぐ。
当たり前だけど、辺りからは笹の匂いがする。笹の家だから当然なわけだが……、なんかこの感想はいやに変態っぽい。
ヤバいな俺。結構緊張してるじゃないか。
昨日、自宅へ笹を招いた時はあまり緊張してなかったのに。
「……家の中、結構広いんだな。お父さんと二人暮らしって言ってたけど、ど、どうなんだ?」
気まずい空気を作らないよう、ぎこちなく問うと、笹は「ぷっ」となぜか笑う。
「どうなんだ、ってどういうことですか? 部屋が余ってるかー、とか、そういうことです?」
「あ、ああ。そうそう。そういうこと」
「ふふふっ。まあ、余りはしてますけど、お父さん以外の人が使ってた部屋には私入らないようにしてるので、何とも言えませんね。誰かがいなくなっても、その部屋は基本そのままになってると言いますか」
「あ……そ、そうなの?」
「はい。……って、何ですか? その、『マズいこと聞いちゃったかな?』みたいな顔」
「えっ!? い、いや、別にそんな顔は――」
「大丈夫ですよ。気になったことは何でも聞いてください。私、あまりそういうの気にしないタイプなので」
胸を張って自慢げに言う笹だが、そういうことなら少し安心できる。
この状況、気を抜けば失言しかねない。
どんな言葉を選べば正解で、どんな言葉を使えば不正解なのか、あまり把握しきれていない節があったから。
「そ、そか。なら、ちょっと安心。気楽になれる」
「はいっ。気楽になったついでに、二階にある私の部屋へ行きましょう。こんな廊下で立ち話続けるのも何ですので」
言われ、俺は笹の後をついて行く。
ついて行くと、【SASA】という木造のネームプレートが掛けられてる部屋の扉に遭遇。
ここです、と笹が言うので、俺は彼女と一緒に室内へ入った。
「おぉ……」
思わず声が漏れる。
女の子の部屋に入ったのは、これで人生二度目だ。
一度目は……今思い出すのも辛いが、茜の部屋。
二度目が今回になるわけなんだけど……。
「全然違う……」
「へ……? 違う……? 何がです……!?」
少しばかり不安そうにして聞いてくる笹。
俺はとっさに手を横に振って否定の構え。
「ち、違うんだ! 変な意味じゃなく、考えてた笹の部屋のイメージよりずっと大人っぽかったっていうか……! い、いい意味での驚きだよ、これは!」
「……茜先輩と比べて子どもだなぁ、とかではなく?」
「ち、ちがっ! 何でそこで茜が出てくるんだよ!」
ムーっと頬を膨らませる笹に対し、俺は必死の弁解。
「まあ、いいですけどね別に。蒼先輩の中には、まだたくさん茜先輩のことが詰まってますもんね。仕方ないことです」
「だからそうじゃないんだって! 茜のことは今思い出させないでくれ! あいつは……! あいつはもう、俺じゃなく、他の男のところへ行ったんだから!」
辛いが、事実だった。
事実の限りを思い切り声にしたせいか、室内に重苦しい沈黙が流れる。
それは五秒ほどの沈黙だ。
時間が経って、笹が再び口を開いた。
「だったら……蒼先輩の頭の中には……今何があるんでしょう?」
「え……?」
「茜先輩じゃないとしたら……先輩の脳内メモリを占領してるのはどなたですか? 人ではなくなってしまったパターンもあると思います。何なのか、教えてくれませんか?」
「何なのかって……」
そんなの、簡単に答えられない。難しい質問だった。
でも、答えがないわけじゃない。
答えはあるけれど、それを口にしていいのかわからないといった意味の難しさがある。
「それは……笹」
「へ……!?」
「――って言ったらさ、なんか軽い男みたいだし! 俺たち、こうして話し始めてまだ二日目とかなのに変に馴れ馴れしくてキモいし! 違う! そうじゃないんだ! あぁぁぁぁ! なんて言ったらいいんだこれ!?」
「……///」
なぜか笹はうつむき、頬を朱に染めていたが、俺はそれに構わず自分の頭を掻いた。ぴったりな言い方が見つからない。
頭の中で考えてるのは、もちろん茜がゼロだってわけはない。
何人かに分散していて、それぞれが重要な割合を占めていて、とてもじゃないがこの人が脳内の大部分を占めてます、とも言えない。
恥ずかしさを誤魔化すという意味でも、俺は頭を掻いた。
そうやって掻いてると、だ。
「――っ!?」
いきなり、目の前にいた笹が俺に抱き着いてきた。
俺は、ついバランスを崩し、立っていたところからうしろにあったベッドへ倒れ込む形となったのだった。
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