『死』
今の私は食われるのを待つ豚だ。
刀の手入れ、傷の治療、食事、入浴、それらを行いながら私は『バカバカしい』と思っていた。
だってそうだろう、弱っている相手を目の前にわざわざ戦いを遅らせる理由はなんだ?くだらない騎士道とやらか?あるいはこちらを舐めているのか?
気に食わない。
気に入らないが従うしかない、茶番だ喜劇だなどと嘲笑を浮かべながら与えられた時間を活用する以外に道は無い。
今はせめて万全に。
私に時間を与えたことを後悔するようなモノをぶち食らわせてやる。
舐めおって、私は戦えた、戦えたぞ英雄、勝ち目?そんなもの知ったことか、理性と理屈の狭間でドス黒い炎が燃え盛る。
——目に物見せてやる。
これから向かうのは断頭台ではない、この手には斧が握られている、ロープに吊るされた悪しき者、その首を根こそぎ抉り飛ばしてやる!
廊下の、片付けられていない比較的新しい死体、私は決して彼らのようにはなるまい、あの残骸のようには絶対になってたまるか。
復讐心を滾らせながら私は、この途方もなく不服な状況に瞼を閉ざすのだった。
※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※
「……来たな」
司令室の扉を開けるや否や、僅か昨日ばかり聞いたセリフが耳に入る。
整った部屋、割れていないガラス、傷ひとつない机、床も壁も天井も無事なまま、ただし大量の死体がそこらに転がっている。
「……言葉は嘘では無かったようだな、体調はすっかり万全と見える」
机に腰掛けて、獲物の刃先を爪でいじりながら、その静かな物言いに似つかわしくない`猛り`がチラリと顔を覗かせた。
その瞬間に虫が這い回る、得体の知れないものが骨の内側を貪る。
「おかげさまでのう」
精一杯の軽口を、私は『いつ何時も飄々とあれ』という師の教えを守る、この魔物を前にして感じた怖気を追いやった。
——コツ、コツ、コツ。
刀柄を指で叩く、この時間を刻むように。
「……いい目だな、いいイカレ方だ、お前はきっと俺のようなロクデナシだ、敵と戦いたいが故に味方を消す俺のような」
おしゃべりだな、興奮しているのか?血が滾っているのか?最初に見た時のような落ち着いた雰囲気はもう何処にも無い、まるでケモノだ。
——コツ、コツ、コツ。
注意深く観察し、不変不滅の集中を、そこに万にひとつの綻びもない、それは全くもって驕りでなく、過信でなく、ただの純然たる事実であった。
だというのに。
いや、だからこそか。
——男の姿がブレる。
「……ッ!!」
辛うじて。
——ガギィィィン!
これだけの能力を集中させておいて尚、たった片鱗を捉えるのが精一杯という事実。
「く……ッ!」
受け止めた腕が異様な痺れ方をする、まるで筋肉が弾け飛んだみたいだ。
衝撃を殺しきれず、大きく後ろに下がらされる。
どうにか反撃の手立てを掴もうとするが、完璧に刀身がコントロールされ、驚くほど容易く体勢を崩され、右手の盾で思い切り殴り付けられる。
——ゴッッッ!
私の体はゴムボールのように跳ねっ返り、背後の扉をぶち破って廊下に飛び出し壁に激突、肺の中の空気が全て漏れ出る。
「かっは……」
そして視界に映り込む凶刃!浮いた足が地に着く前に防御を強いられる!
——再びのインパクト
だが今度は受けなかった、壁を蹴り床を転がった、そしてすれ違いざまに足元を薙ぐが、地面が数センチ薄くなっただけだった。
膝で滑ってターンを二度、距離を取って左へステップ、刀を真っ直ぐ構えて突き込むが、奴の盾に切っ先を逸らされる。
手を伸ばして盾を掴もうとするが、目元を切り払われて防御に意識が行く、その隙に足を引っ掛けられてつんのめる。
この勢いを攻撃に利用、体重と速度を乗せて捨て身で切り掛る。
……だが!
——コツン。
奴は剣の切っ先で、振り上げた私の刀の柄を突き、手から滑り落とさせた。
予想外の一撃、思ってもみない奇襲、そんな曲芸じみた技を実戦で使うなど正気の沙汰ではない、ほんの少したりとも実用的でない。
私は丸腰で敵に飛び込むだけ。
武器も持たず、武器を持った相手に、両手を上げてバカみたいに。
「——それがどうしたァーッ!」
自分から地上を手放す、そして空中で回転、ただ勢いにまかせて身を翻し、加速をもって奴の顔面を回し蹴る。
ガツンッ!
蹴りは盾に防がれた!だが無意味ではない!
盾は膂力を受け止めきれなかった、私の振り下ろした踵は盾を弾いた。
背中から着地、地面に手を着いて体を跳ね上げ、足を伸ばして奴の膝を蟹挟む。
——ガクン。
膝を折る英雄、このまま関節を……!
ガッ!
お返しと言わんばかりに伸びてくる足、槍のようなそれは顔面に突き刺さり、私の体を容易にはじき飛ばした。
短い滞空時間、地面に手をついて宙返り、先程手から離れた刀を回収して飛び込む。
「くっ……!」
だがそれは『飛んで来た死体』によって阻まれる。
身を屈めてそれを避けるも、死体の影に隠れて既にこちらへ距離を詰めていたヤツは、すれ違いざまに私の髪の毛を掴んだ。
瞬時に掴まれた分の髪を切り離すが、顔を思いきり切り付けられてしまう。
既のところで顔を逸らして被害を抑えるが、頬がバックリと裂けた。
だがこちらも——ッ!
カァン!
切られると同時に振っていた刀が、しかし彼の盾によって防がれる。
だがそんなことはどうでもよい!両手で刀を握り込んで力を篭める!そのまま盾ごと奴の体ごと、全身を捻って思い切りかっ飛ばすッ!
——ドンッ!
切れずとも関係は無い、盾に止められるのなら盾ごと彼方へ吹き飛ばしてしまえばいい、これほどの嫌がらせもあるまいて!
「……冗談みてぇだな」
離脱しながら、ニヤリと口元を歪める英雄。
——ズザッ!
足を大きく開き、足元に転がっている兵士の剣を掴み取り、ただただ万力を込めて投げ付ける。
恐ろしい勢いで飛来したそれは、誰かを害する事など無かった。
男は自ら窓の外に飛び出した!ガラスを突き破って外に体を投げ出し、投擲を躱した。
「どういう身体能力をしておる……!」
吹き飛ばされながら床を蹴り方向を変えるなど、あの速度であの一瞬でやれる事じゃない、あんなのは冗談みたいな馬鹿の話だ。
耳をつんざく金切り声をあげながら剣は宙を裂き、そのまま壁を貫通して消えていった。
僅かな沈黙ののち、巻き起こる異変。
——ガガガッ!
「……っ!」
廊下が傾く、常識外れの斬撃を加えられ道が落ちる、平衡感覚が狂わされ重力の均衡が崩れる。
私は坂のようになった廊下を滑り落ちていき、そのまま外に放り出された。
遥か地上に見えるのは奴だ!奴は構えて私が自分のところに来るのを待っている、万全完璧の準備を整えてこちらを討ち果たすために待っている!
私には分かる、あそこに飛び込めば私は仕留められる、数度の打ち合いの末滅ぼされる!
「そうは……いくか……!」
懐から四つ石を取り出し指の間に挟む、そしてその全てを同時に真下へ投げ打つ。
——ビッ!
礫は見た目以上の鋭さを持っている、鎧や岩石など容易く貫いてしまうほどの、しかし奴が手にしている盾は普通で無い。
——ガガガガッ!
刺さらず、貫かず、弾かれる。
だがそんなのは承知のうえ!
「——ッ!」
男は初めて焦りを見せた。
何故ならそれは時間差で叩き込まれた『刀剣』が、身を引かなければならないほどの威力を誇っていたからだ!
——ズダン!
地面に突き刺さる私の刀。
石を投擲した刹那、刀を空中に置き宙返り、天に掲げた右脚を鉄槌のように叩き付け、矢弓の如く撃ち出したのだ。
着地点、着弾点は安全となった、私は危険なく地上に降り立ち、失った刀をこの手に取り戻す。
——そして跳躍!
——間髪入れずに跳躍!
身を引いたばかりの奴に向かって、両手で刀を振りかぶり、鬼のような鬼の形相で切り掛る。
しかし。
奴は自分の剣と盾を勢いよくぶつけ、耳を塞ぎたくなるような大きな音を立てた。
「——!」
緊張の糸は常に張り詰めている、そこにハサミを入れたらどうなる。
それが極限状態であればあるほど反動はデカくなる、体は至極真っ当な反応を起こす、硬直という形になって全身に現れる。
そんなバカな話が……。
世界の速度がスローになる、音も景色も遅れて、なんもかんもが嘘みたいだ、それが束の間の静寂であることなど忘れてしまいそうな程に。
——閃光。
腹、足、首、防御を掻い潜って胸、奴の剣が私の体を撫で付け肉を開く。
反撃に振り下ろした一撃を、盾で私の刀の持ち手ごと弾き上げて二連突き、グルッと回って穴の空いた腹を蹴り付ける。
「ぐ、ぁ……!」
両足が床を離れる、その足をすくい上げて私を跳ね飛ばし、容赦なく踵で顔面を踏み抜く。
——ガァンッ!
背中から墜落、バウンド、血反吐を吐きながら床を転がり雄叫びをあげながら起き上がる。
その起き上がりに顔面を切りつけられ額が切り裂かれる、血が視界を赤く塗りつぶし目が死ぬ。
五感を頼りに攻防を続けようとしたが、顎先を何か尋常ではなく硬いもので殴り飛ばされ体が打ち上げられる。
後ろ受身を取ろうとするが服の裾を掴まれた、目も見えぬまま地面に引き倒され背中を刺される。
「ガァ……ッ!」
両手を地面に叩き付け痛みを噛み殺す、そして割れた地面の欠片を真後ろに放り投げ、背中に剣が刺さったまま起き上がる。
「なんて女だ——!」
「嬉しそう……だな……ッ!えぇ……!?」
——ビュン!
大きく振りかぶって片手で切り付ける、男は身をかがめて脇をすり抜け、通り過ぎざまに右足を引っ掛けて行った。
——ガッ!
「……!?」
だが、足を取られたのは逆に、奴の方だった。
「——虫の息、とでも思ったかッ!」
——ドスッ。
刀を逆手に持ち、奴の腰を貫く。
そして素早く背後に回り込み、刺さった刀を両手で握って斜めに切り上げる。
血の飛沫!肉体に深い深い切れ込みが入る!
だが奴は私と同じように、私の背中に突き刺さっている己の獲物を掴み、引き抜いていた。
鮮烈な苦しみが脳髄を駆け回るが唇の肉を噛みちぎってまで耐える。
そして膝を曲げて腰を落とし、重心を低くしっかりと保ちながら肩で体当たり、体幹勝負に持ち込んで奴を弾き飛ばす。
——ザッ!
振り向きながら放ってきた突きを刀の腹で受け流し、奴の膝を斜めから蹴り付ける。
だが、普通なら一撃で足が破壊されるはずがそうはならなかった。
「……ちぃ!」
奴は手を伸ばし、私の踵を掴んで持ち上げ、片足を抱えながら剣を振るった。
——トンッ。
掴まれていない方の足で地面を蹴り、自らの体を空中に投げ出す、そのまま横っ面につま先を突き刺し蹴り抜く。
破裂音が鳴り響き足が解放される、落ちながら体勢を変えて両手を地面に着く。
そのまま転がって受身を取りながら立ち上がり、殺す気で睨みつけたあと、突然フッと力が抜けて膝をついてしまった。
——まだだッ!まだやれるッ!
気力も体力も十分だ、血は出ているがまだ死にはしない、一秒でも動けるのなら刀を振れ!おの男の喉笛を一秒でも早く食い破れッ!
己を奮い立たせ、肉体の限界を超えて命の垣根を飛び越える、死の向こう側の川を力づくで干上がらせるような恐るべき生への執念。
一度は着いた膝だがもうそうではない、とうに私は立ち上がり、全盛期以上の力を宿して眼前の宿敵へと向かい合って——
……だが、
——ガッ。
復帰を待ってくれるような奴は存在しない。
——投げつけられた岩が顔に直撃した。
グラつく体、避けられなかった、防げなかった、十分ではなかった、足りない防御は綻びを生む。
腿を貫通する剣、襟首を掴まれて引き込まれ、鼻っ柱に頭突きが叩き込まれる。
大きく仰け反った私は髪を掴まれ、飛び膝蹴りを顔面に食らわされる。
一瞬意識が飛び、再び世界に戻った時、私は片腕を掴まれ吊るし上げられていた。
「楽しかったぞ女剣士」
そして。
——ザンッ!
私の利き腕が切り落とされた。
「う、ぐ……あぁぁっ!」
刀と一緒に私の腕だったモノが地面に落ちる。
「お前の剣の道は終わった」
私は傷口を抑えながら膝から崩れ。
——だが。
血と嗚咽を撒き散らし。
——拘束は解かれた!
「……っ!?」
崩れる足を途中で止め、一撃を放つのに丁度いい位置から。
「お前……マジか……ッ!」
——バゴォォォォォンッ!
奴の顔面に、完璧に、全身全霊の一撃を叩き込んでやった。
奴はグラッとよろめき、全身の動きが止まった。
私は落ちた刀を『足で』拾い上げ、残った左腕に取り戻し、守りのない心臓を刺し貫いた。
途中で手に力が入らなくなり、獲物から滑り落ちたので、私は歯で刀の柄を噛んで挟み。
「——取った」
奴の剣が私の首を切り落とすよりも早く、その命を切断した。
——ドサ。
時間差で倒れ込む両者、ただし片方は大地に伏せて片方は片膝をついている、どちらがどちらかは最早言うまでもないだろう。
「……首から下が、動かない」
ぽつりと、まるで現実を受け入れられないかのような、夢を前にして出たひと言のような、感情の籠らない事実を述べる英雄。
私は床にうずくまり、失った腕の断面を抑えて叫び声を喉の奥で押し留める。
とにかく失血をしなくてはと衣服を破いて全力で締め付ける、意識があっちの方にぶっ飛びそうになりながら血管を浮き出させ、必死に締め上げる。
「……くそ、まだ俺はやれるぞ、心臓が止まったからって直ぐに死ぬわけじゃない、まだまだ戦いはこれからだろ
せっかく、せっかく祭り上げられるだけの退屈な平和が終わったんだ、せっかく足枷を外したっていうのに、まだ俺の全盛期は来てないのに
おい、女剣士、待っていろ、今起き上がって戦いを再開してやるから……それまで……少し……」
一瞬硬直して、その後すぐにフッとため息をつき、瞳から光が損なわれ彼は動かなくなった。
英雄サリウス=ジヴリールはもう二度と戦えない。
「くっ……ぁ……!」
そして私は、床をのたうち回っていた。
苦しい、痛い、苦しい、辛い、痛い、痛い、頭の中はそれでいっぱいで、傷口が焼けるように熱くてたまらない、勝利の味を噛み締める余裕もない。
まずい、このままではまずい、そうだこの基地は医療品が潤沢にあった、自分の足でそこまで行ってこの傷を。
「……おの、れ」
そんなことは出来ない、何故ならもう歩けないからだ、私はもうここから一歩たりとも歩くことが出来ないからだ。
這って行くんじゃ間に合わない、だいいち今の私には自分の体重を動かすだけの腕力がない、医療品の所までたどり着く前に終わる。
そもそも治療ができるのか?
こんな状態で、しかも自分で、正常な治療を施せるのか?今から処置を行なって間に合うのか?
低い、可能性は限りなく低い。
——だが。
ズリ……ズリズリ……ズリ……。
虫けらのようになってでも、私は、私の使命の為に、殺めた命に対する責任のために、こんな目前までやって来て死ぬ訳にはいかないのだ……!
ズリ……ズリ……。
「死ね、ない……死ねな……い……」
まるで亡者のように、虚ろに呟きながら地面を這って、そしていつしかそれも止んだ。
今度ばかりはもう、最後にはもう、私は目覚めることは無いのだろうなあと思いつつ……。
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