眠らない街 エレゴーラ
一度休憩を取る事にした私たちは、限られた時間の中で最大限に体を休め、今後の道のりに備えて英気を養った。
それもたった三十分だけの話だが、一日中ぶっ通しで歩き続けるよりは遥かにマシだ。
実際、旅を再開した後の我々の調子は、休息を取る以前と比べて明らかに良くなっていた。
集中力にも改善が見られたし、足取りも軽い、貴重な時間を犠牲にしたぶんの見返りは十分にあった。
獣の残した痕跡にいち早く気付き、この先は進むべきではないと彼らの縄張りの存在を周知させ仲間を危機から遠ざけるキリア。
突然熊に出くわしてしまった際、落ち着いて指示を飛ばし、適切な行動を選択するストランド。
行く手を塞ぐ増水した川に対し、迂回するという余分を産むことなく、近くに生えている大木を切り倒し架け橋とすることで直進を可能とした私。
三人がそれぞれの分野で活躍した結果、私一人で森を踏破しようとするよりも圧倒的に早い速度で進軍することが可能となっていた。
その甲斐あって、暗くなる前に森の中を抜けることが出来た我々は傾斜のキツい山脈を登っていた……
✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱
所々深い亀裂の刻まれた岩場の道。
足の踏む位置を間違えたら最後、ここから地上まで真っ逆さまに落ちる事になる危険な地帯。
岩場はまるで空に浮かんだ雲のようにまばらであり、足場と足場のそれぞれの間には数メートルの隙間が空き、谷底が大きく口を開けている。
高低差もまちまちで、どの順路を取るかで進む難易度と消費する体力に大きく差が生まれるだろう、時にはあえて難しい道を選ぶ必要も出てくるはずだ。
目的の街はこの山を超えた先にある、正確に言えば山を登り、そこからほんの少し下った場所だ。
終わりは目前に迫っている、ここは最後の関門であると言えよう、やや特殊な地形をどのようにして進んで行くかと言うと……。
「ほっ……!」
——ダンッ!
助走をつけ、隣の足場に飛び移るストランド、一見無謀な行いのように見えるが、人間の歩幅ではどうしようも無い距離なのでこうする他ない。
続いてキリアも、ある程度の速度を付け反対側の岩場に飛んでいく、特に危なっかしくもなく安全に。
さて、問題なのは私だ。
私は現在右足を負傷しており、歩くのはともかくそれ以上の激しい運動は厳しい状況にある、痛みは我慢すれば済むが動かないのでは話にならない。
助走を付けていたら突然力が抜けて谷底に真っ逆さま、なんて間抜けな最期を遂げるのはまっぴらゴメンなので、二人のような方法で先には進まない。
ではどうするか?それは——
「よい、しょっと」
小脇に抱えたハシゴを地面に立て、ゆっくりと倒すように対岸へ渡し、その上を、暗い暗い深淵を見下ろしながら這うように進んで行く。
元々この山は超える予定でいたのでどんな地形をしているかは知っていたし、今の状態で安全に進むことは難しいということも分かっていた。
故に私は森を抜ける前にちょうど良い材料を見繕い、繊維植物と相応しい木材を組み合わせてハシゴを自作したのだ。
長さと重さはそこそこだが、毎回命を賭けた大跳躍をしなくてはならない事を天秤に乗せて考えたら全くもって負担とは言い難い。
「落ちんじゃあねーかって見てて不安になるぜ」
無事に渡り終えた私を見下ろしストランドが言う。
「自分で作ったものだからのう、多少飛び跳ねたりしても壊れない程度の強度は確保しているとも」
そう言いながらハシゴを回収する私に疑わしそうな目が向けられる。
「何があってもそれだけは勘弁だね」
と吐き捨て、彼女は再び助走を付けて飛んでいく。
残ったキリアと目が合ったので『使ってみるか?』と手の中のものを揺らして尋ねてみる。
「拷問された方がマシってやつですよ」
逃げるように飛び去っていくキリア。
お手製のハシゴはどういう訳だか不評なようだ、こんなにも安全と安心と信頼に溢れているというのに、飛ぶ方がよっぽど危険だと私は思うのだがな。
飛んでは渡し、架けては走りを繰り返す。
一度の間違いが即死に繋がる険しい地形のせいも相まって、降り掛かる肉体的披露と精神的負担が森の中の比ではなく、それ程早くは進めなかった。
また、たまに起きる事故もそれを後押しした。
着地の際に体勢を崩し、床を転がり、そのまま勢いを殺しきれず、谷底に落ちてしまいそうになったのを抱き留めて救ったり。
助走をつけていたら脆くなっていた足場が突然崩れ、体が投げ出され、何とか足場の端に捕まったのを総出で引っ張り上げて助けたり。
ハシゴで対岸に渡っているといきなり物凄い突風が吹き、風に煽られ足を踏み外し、奈落に吸い込まれそうになった所を刀を壁に突き刺し難を逃れ、キリアとストランドに救助してもらったり。
注意の外から襲いかかる危険によって、三人の精神は着実に削られていった。
落ちるかもしれない、風が吹くかもしれない、足場が悪いかもしれない、常に死と隣合わせの状況はそれだけで大きな影響を及ぼす。
それからも何度か危険に見舞われて、その度に誰かの助力を得て生還し、また他の者の危機に手を貸したりして何とか誰も欠けることなく進んで行った。
そんなある時。
「暗くなってきたな」
ふと、空を見上げて呟いた。
日が落ち始めてきた、もう間もなく辺り一帯は闇に包まれるだろう、そうなればもう進むことも野営地を整えることすらままならない。
そろそろ頃合だな、と思っていると
「ここらで止まっておくか」
ストランドが丁度、そう尋ねてきた。
「手元が見える今のうちに、準備を進めた方が賢明だと思うが」
火を起こして明かりを確保したり、食べ物を用意したり、寝床を作ったりと色々やる事がある、余裕を持って行動するに越したことはない。
キリアも同意見なようだ。
「じゃあまず広めの足場を探すぞ」
三人が横になっても埋まらず、それでいて崩れる心配のない安全な場所を見つける必要がある、それを見誤ると最悪寝てる間に全員あの世って危険がある。
「私ン出番でさぁね」
そんな重要な役割を買って出たのはキリアだった。
彼はどうやら騎士団の中でも、とりわけ斥候に秀でた人物のようで、普通の人間に比べて遥かに視力が優れているのだという。
夜目こそ私には劣るようだが『遠く離れた場所を見渡す』という一点においては彼の方が上だ。
実際、どこを足場に選べば比較的安全なのかを判断していたのは彼だった。
キリアがそれぞれに潜む危険性を見抜き、ストランドがどの方向に進むのかを判断する、そうして我々はここまで何とか欠けることなく進んでいる。
危険が予想される場合は事前にその事を周知させ、万が一崩れた際の対応も考えた上で行動する、そうやってこれまで起きた事故も乗り越えてきたのだ。
仕事を任されたキリアは、一旦私達の元を離れ、この周囲を見渡せる位置にある足場に登って行った。
その動きたるや実に身軽なもので、多少怪我による鈍りこそ見えるものの、危なげと呼べる程のことではなく、あっという間に高台に辿り着いた。
彼はしばらくのあいだ慎重に地表を観察し、およそ一分経過した頃ここに戻ってきた。
「どうだった」
戻ってきたキリアを労いつつ、調査報告を求める。
「まず結論から言って、条件に合致する足場はこの近辺に三つ程発見することが出来ました」
それを聞いたストランドは腕を組み、険しい顔でこうこたえた。
「問題があるんだな」
キリアはそれを肯定するように頷き、神妙な顔つきで続けた。
「見つけた足場のうち二つは『崩れない保証のない足場』に周囲を囲われていて、安全に辿り着けるルートってモンが存在しません」
「……残りの方は?」
「安全ではありますよ、これまで通ってきた中でも比較的安定していると言って良いんですが、ちと遠い」
「どれほどだ」
「五十六マス、現地点から数えて正確に五十六マスの距離が開いてる」
それは暗くなる前に辿り着けるかどうか非常に怪しいところだが、おそらく途中で時間切れになる可能性の方が高いだろう、準備の時間もある訳だしの。
一拍置いて、ストランドが口を開いた。
「三人別々に分かれた場合ならどうだ?」
「それなら条件は緩みますが……」
「危険性が高ぇか」
「そうでしょうね」
危険性というのはつまり、何かあった際に誰かの手を借りることがほぼ不可能になるという点だ。
もし夜に誰かの容態が急変しでもした場合、他の者が異変に気が付くことは難しくなるし、そもそも気が付けたとして助けに行くことも困難だろう。
暗い中で、起こした火の明かりだけを頼りにして、狭く一人分の余裕しかない足場に、既に他の人間がいる状態で飛び移るなど正気の沙汰ではない。
それに一人づつという事になると、先程のような『事故』に見舞われた際にどうしようも無くなる。
受け止めたり、引っ張りあげたり、そういった万が一の時の保険というものが無くなるので、最悪三人全員取り返しのつかない事態に陥るかもしれない。
一人づつに分かれたところで、結果的に負う危険の種類が変わるだけで、そう劇的な変化は望めない。
手詰まりだ、しかし悩んでいる余裕は無い。
私は感じた、声の上げ時であるという事を。
「ならば提案があるのだが」
私から提示する`案`とは。
「なんだ」
「うむ、一人づつが危険と言うのならお主ら二人は固まって移動して、私だけが単独で寝床にありつけば良いのではないかね?」
自分を切り捨てる類のモノだった。
「何言ってやがる」
バカか貴様は、という顔が向けられる。
「まぁ聞け、お主らが何を危惧しているのかは重々承知しておるとも、その上であえて提案してるのじゃ
飛び移るよりハシゴの方が安全じゃろう?風にさえ気を付けていれば着地をしくじる心配もなかろう、なぁに安心しろ、うっかり落ちるような事はしない」
「……」
言いたいことは分かる、私の旅の事だとか自分達に見込める利益のことだとか、みすみす私という可能性を手放す事になるかもしれないのだから。
だが恐らく、そう思う一方で。
「……なるほどな」
それとは別の、決して口には出せない別の考えも頭の中には浮かんでいるだろう。
それはつまり。
「やれる自信はあんだな」
「もちろんじゃ」
`仲間じゃないコイツは、最悪失っても悲しくない、ひょっとしたらコイツの言葉は全部嘘で、街に辿り着いたあとで始末する事になるかもしれない`
という考えだ。
アマカセムツギという知り合ったばかりの敵か味方かも分からない他人の命と、自らの唯一残った部下の命とは、彼女の中で決して同価値では無いのだ。
「だったらそれで行こう、オレらとお前は別行動だ、何か意見のある奴は居るか?」
「……本人がそれで良いってんなら私も特に異論はありませんよ」
一瞬、キリアの目が鋭くこちらを捉えていたが、ストランドから声を掛けられると直ぐにそれも消え、いつもの調子でそう述べた。
「じゃあ安全なルートを教えてやれ」
「分かりましたよっと」
キリアが手元の紙を開く、忘れないようにそこへ書き留めておいたのだろう、彼は私にその紙を見るように指示をして、顔を少しだけ近付けて。
「中々食えねぇ女だなぁ、アンタ」
ストランドに聞こえないように、私だけに向けて、ボソッととそんなことを呟いた。
✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱
無事に夜を明かした我々は、その後も順調に歩みを進め、午前中の間に山を登りきる事に成功し、それから程なくして目的の場所
『眠らない街エレゴーラ』へと辿り着くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます