第18話 消えたセイリス

「……グリスタ卿か」


 セイリスが憎々しげに呟いた。


 グリスタ卿――父への援助を借金だと言い張り、レヴィアを連れて行こうとした貴族。

 この件がきっかけで、レヴィアはセイリスの妻となったのだ。

 

 もちろん相手が言う借金は、全てアイルバルト家が肩代わりしてくれた。


 だが終わったと思っていたのは、レヴィアたちだけだったようだ。

 相手の目的は、借金の返済ではなくレヴィアだったのだ。獲物を横取りされたことで、グリスタ卿はセイリスに恨みを抱いたのだろう。


 それが今回の襲撃事件へと発展したのだ。


(私が……私があの時、セイリス様の手を取ったから……)


 激しい後悔が、懺悔の言葉と涙となってレヴィアの瞳と唇から零れ落ちる。


「ごめんなさい……わたしが……私があなたに嫁いだから、こんなことに……」

「あなたは、何も悪くない……」

「しかし、遺恨を残したせいで、あなた様がこんな酷い目にっ‼」


 涙を流しながら叫ぶレヴィアに向かって、セイリスはゆっくりと首を横に振った。

 人々から氷壁だと称された顔には、優しい笑みが浮かんでいた。


 夫の笑顔に息を飲む。


 首筋に剣を突きつけられているとは思えない、穏やかな声がレヴィアの耳に届いた。


「私は、あなたを妻にしたことを後悔してはいない。今この瞬間も――」


 微笑んでいたセイリスの表情が、心の内を感じさせない氷壁へと変わる。ただ赤い瞳だけは鋭さを増し、レヴィアを捕まえている男に向けられた。


「だからあなただけは守る。その結果……あなたを失うことになっても」

「うしな、う……?」


 彼の言葉の意味が分からず、言葉の一部を口の中で反芻した瞬間、セイリスの姿が消えたのだ。残ったのは、彼が身につけていた服だけ。


 レヴィアは突然のことに言葉を失い、男達は騒ぎ出した。


「どこだ⁉ あの男、どこに消えたんだ‼」


 男達が怒鳴りながら周囲を見回している中、レヴィアは地面に残されたセイリスの衣服を見つめていた。


(この光景、どこかで見たことが……あっ!)


 脳裏に浮かんだのは、自分が猫になったとき、身につけていた衣服が脱げ、床に広がる様子。


 突然消えたセイリス。

 残った衣服。


『私に……血を残す資格などない』

『バケモノである私に――』


 猫になったレヴィアの前で、辛そうに呟くセイリスの言葉が蘇る。


 とてもよく似ていた。

 何故、今まで気付かなかったのかと疑問に思うほどに――


(まさか……まさかっ‼)


 結論にたどり着いた瞬間、それは現れた。


 レヴィアの前に、黒い影が落ちる。

 それほど、それは巨大だった。


「な、なんだっ‼ 何でこんなものが、ここにっ‼」


 男達が恐れおののき、中には腰が抜けたのか地面に尻餅をついている者もいる。それほど目の前のそれは、この場に居る者たちに畏怖を与えるには充分な存在だった。


「金色の……竜」


 存在を確認するように、レヴィアが呟く。


 竜は長い尻尾を揺らし、花を四足で踏み潰しながら、ゆっくりと男達に近付いた。


 口の隙間から見える歯は、人間など簡単に食い千切れるほど鋭利だ。全身は金色の鱗で包まれており、動く度に太陽の光に反射して輝いた。背中には、折りたたまれた翼がついている。きっと空も飛べるのだろう。


 竜は大昔に存在したと言われる生き物だ。

 まれにそれらしき存在の骨が見つかることもあるが、今では伝説上の生物とされ、書物などに描かれた絵でしかその姿を見ることはない。


 まさかそんな伝説級の存在が、目の前に現れるとは。


 金竜が口を開いたかと思うと、天に向かって咆えた。辺り一帯の空気が震え、ビリビリとした振動が体に伝わってくる。


 そのとき、何かがレヴィアの視界の端を横切ったかと思うと、竜の足下に地面に落ちた。


 良く見ると弓矢だった。

 男達の一人が放ったのだろう。

 

 しかし鋭く尖っていたはずの矢じりの先は、へしゃげていた。恐らくこの調子では、男達が持っている武器も効かないだろう。


 恐怖が勝ったのか、とうとう敵の一人がこの場から逃げ出した。それに続くように、他の男達も武器を放り出し、脱兎のごとく走り出す。


 レヴィアを捕まえていた男に至っては、レヴィアの体を竜に向かって突き飛ばして逃げていった。


 恐らく、レヴィアを餌にして、逃げる時間を稼ごうとしたのだろう。


 竜の前に突き飛ばされ、うつ伏せに倒れたレヴィアは、恐る恐る顔を上げた。


 視界に映ったのは竜の前足と腹部。さらに視線を上に向けると、竜の顔が見えた。


 赤い瞳がじっとこちらを見下ろしている。

 どこか寂しそうに。

 

 その表情が、自身をバケモノと呼んだ時のセイリスの表情と被った。


「セイリス……さま?」


 確かめるように名を呼ぶと、竜は肯定するように小さく唸った。

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